探訪 京滋の庭
詩仙堂丈山寺(京都市左京区)
▼MEMO

山水画を思わせる唐風仕立て

写真
三十六詩仙を掲げた「詩仙の間」から唐様の庭をうかがう。庭と四季折々の花木とが見事に調和している
 書院に入るなり、目の前に広がる庭の白砂がまぶしく輝く。周りのサツキの刈り込みの奥からは、日本で初めて庭園に取り入れられたと伝わる「僧そう都ず」(鹿おどし)の音色が、心地よく耳を打つ。14代目の石川順之住職(49)は「竹が石をたたく音の余韻で、静けさが一層強調される。造営されたころも、そういう風雅を楽しんだのでしょう」と話す。

 洛北の名刹、詩仙堂丈山寺は江戸前期の文人、石川丈山が1641(寛永18)年、59歳の時に隠せいのために造った。隷書と漢詩の大家であった丈山は、李白や杜甫ら漢、晋、宋、唐の36人の詩人を、平安時代の和歌の三十六歌仙にならい「三十六詩仙」と選定。その詩と画像を掲げた「詩仙の間」が建物の中心にあり、詩仙堂の名はそこから付けられた。

 中国へのあこがれがあったのだろう。桂離宮や本願寺枳殼邸の庭の補修にも関わった丈山は、庭を山水画を思い浮かべた唐様に仕立てた。白砂を海、サツキの刈り込みを山に、滝からの水を川に見立て、これらが背景の紅梅や桜、紅葉などに溶け込むように見える。

 同寺の信徒総代を務めた作家の大佛次郎は「意匠を避け装飾を排して、自然の姿に近いことに人は気付くだろう。作った手を隠して、野や山につながるままに置いてある。文字で書く詩をこういう形で遺してくれた」と絶賛した。

 樹齢四百年と推定され、人々を魅了してきた庭のサザンカは、7年前に倒れてしまった。今、その根本近くで若木が育ち、花をつけている。

 「多くの才能を持った丈山は、当時は珍しい長寿で、老いの悲しみをなぐさめるためにも、庭を作りながら、悠々自適な生活を楽しんでいたのではないか」。石川住職は、当時に思いをはせる。「月に醒(さ)め、花に酔う」。丈山は90歳でこの世を去るまで、こんな思いで、この庭を眺めたのだろう。

【2002年7月14日掲載】


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