探訪 京滋の庭
兵主神社庭園 (滋賀県野洲市)
▼MEMO

平安時代の面影伝えるコケの緑

兵主神社庭園
平安時代の神社庭園に復旧された兵主神社の庭園
 拝殿の左手にある木戸をくぐると、玉砂利が広がるシンプルな景色の神社境内や鎮守の森とうって変わって、一面にこけむし、小川のような遣水(やりみず)や中島のある池が配された純日本式の庭が広がる。直径10メートルほどの中島の中央には、小さな社が立つ。周辺の木々やコケの緑に社の朱が映える。国の名勝に指定されている。

 1990年9月、台風19号が滋賀県を直撃。庭園のスギやヒノキなどの大木が根こそぎ倒れ、大きな被害を受けた。この修復作業に合わせ、発掘調査も行われた。91年から11年間に及ぶ調査の結果、地中から平安時代末期の庭園遺構が確認された。平安期には、小さな池を大海に見立てるため、岸辺に小石を積み上げる「洲浜」が施されていたことが分かった。

 同時期の洲浜は、宇治の平等院などの寺院に例はあるが、神社の庭園では極めて珍しく、当時の神社祭祀(さいし)や神社と庭の関係を解き明かす貴重な資料となった。もともとこの庭園は、園池と中島を設ける池泉廻遊式と呼ばれ、その様式から鎌倉時代の豪族の庭と考えられていただけに、200年もさかのぼる大発見だった。

 修復は、一部に修復前の石組みなどを使ったが庭の地割りや池の形などは平安時代の形を踏襲。洲浜や池に注ぐ遣水も再現。生い茂っていた木々も減らし、コケを一面に張った。

 井口昌宏宮司(44)は「学者から、この庭は平安時代の仏像と共通する美意識がある、と聞いている。10月下旬から11月末にかけて紅葉が真っ赤に色づき、コケの緑とすばらしいコントラストを見せる」と話す。

 琵琶湖に近い野洲川下流域で、近江富士の三上山を借景に、平安の雅に出会える。

【2002年10月16日掲載】


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