探訪 京滋の庭
心種園(京都府舞鶴市)
▼MEMO

こころの種残した 古今伝授松

心種園
昔と変わらぬ静かな風情を漂わせる心種園
 子どもたちや家族連れ、老人たちが憩う「舞鶴公園」。田辺城の跡を整備した園内には、今も天守台の石垣の一部が残り、当時の面影をしのばせている。公園の一角にある「心種園」も、築城当時の出来事にちなんで名付けられた。

 1580年、室町幕府の幕臣だった細川藤孝(幽斎)、忠興親子は、織田信長から丹後国をまかされ、現在の伊佐津川と高野川に囲まれた平野部に田辺城を築いた。1600年、各地で関ケ原の戦いの前哨戦が繰り広げられるなか、石田三成方の兵1万5000人に攻められた幽斎は峰山、宮津の城を焼き払い、手勢500人とともに田辺城に籠(ろう)城した。

 「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者(古今伝授)でもあった幽斎は、援軍が得られず籠城が長引くなか、自分のみが知る奥義を後世に残そうと、秘伝の書類を後陽成天皇に献じた。その時添えた和歌が、「いにしえも今もかはらぬ世の中にこころの種を残す言の葉」の一首。

 この歌を知った後陽成天皇は幽斎の才を惜しみ、西軍の陣に勅使を送って52日間続いた包囲を解かせた。その時、幽斎は場内の庭の松に「古今伝授松」の札を掛け、亀山城(今の亀岡市)に逃れたと伝わる。

 歌の下の句にちなんだ「心種園」の名は、徳川時代の城主牧野家の時に付けられた。今も、古今伝授の故事を記した石碑が、ゆかりの松のそばに建てられている。

 小さいころから近くに住み、よく園内で遊んだというまちづくりグループ「城下町倶楽部」の高本正弘会長(48)=舞鶴市竹屋=は「ここは幽斎が大きく出世するきっかけになった場所。舞鶴の誇りとして全国に発信していきたい」と話す。舞鶴公園に響く子どもたちの声を遠くに聞きながら、春は桜、秋は池の回りの紅葉が、訪れた人たちの心をなごませる。

【2002年10月23日掲載】


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