(上)和の文化と心 彩る桜
日本人ほど桜に特別な思いを寄せ、人生を重ねる国民はいないだろう。文学や美術、芸能などあらゆる面で桜と日本文化は親密なかかわりを持ってきた。だがそのイメージは、華やぎ、はかなさ、潔さ、清楚(せいそ)、妖艶(ようえん)、門出、死…とおそろしく多義的だ。桜をめぐる日本人の感性、歴史的背景や表現の変遷をテーマに、爛漫(らんまん)の花をめでながら桜好きの4人に語ってもらった。
土俗から貴族の美

見ごろを迎えた桜を眺め、日本文化との豊かな関係を語り合う座談会の参加者たち(京都市左京区・府立植物園)=撮影・佐藤均
−桜を愛でる文化はいつごろ始まったか。
松谷 桜が観賞の対象となるのはかなり後からで、古代は冬から春へ移るシンボルだったようです。農村ではヤマザクラの開花のころ、農作業を始める。周りは落葉樹が多い中で桜がぱっと咲く。神の依(よ)り代(しろ)として信仰の対象でもあった。
光田 桜が散ると、西日本では遅霜が来ない。今でも桜が散ったら種をまくと園芸の入門書にある。
平安時代になると、都人、特に貴族は花の霊力を受けるために山に入り枝を折って髪に挿す習慣があった。特に桜はご神格。農村でも都でも桜の真下で不作法なことはしない。お祭りした後の直会(なおらい)で木から離れて飲食することはあったが。
松谷 かつて御所の紫宸殿前庭には右近の橘、左近の梅が植わっていた。平安後期になり、左近の桜に代わった。唐風を愛でる文化から国風文化に移ったからと言われるが。
光田 万葉集に最も多く登場するのは萩で、次が梅だ。桜は7番目。ただ、梅がモチーフでも歌い方は古来の鎮魂(たましずめ)の日本風。それが古今集では歌の数で桜が梅を逆転する。しかし漢詩の影響で、桜を歌っても中国風のたたえ方になる。桜が日本を代表する花になったといっても唐ぶり(中国風)でたたえられるという皮肉な現象がでてくる。
高木 「平安後期は純粋な日本文化」というのも明治時代に作られたイデオロギー。中国とは違う独自性を、近代化の中で作り出し、過去にそれを投影するところがあった。
−桜の美を表現する文芸はどう変わっていったか。
光田 要約は難しいが、古今集以降、花と言えば桜になった。たたえ方も、貴族が都会風に洗練した表現になっている。土俗的で農村生活と密接に関わる花というのは払拭(ふっしょく)されて、田舎の住人は桜の美を知らないという風になる。和歌では、桜があるから春の美しさが特に心に染みるという考えも生まれる。桜を人生と重ねるというのもそれまではなかった発想だ。
松谷 一昨年、「千年紀」で盛り上がった源氏物語にカバザクラというのが出てくる。たぶん今のオオヤマザクラではないか。源氏物語には約110種の草花が登場するが、源氏が一番愛した紫の上をこの桜に例えた。紫式部は最も美しい花と思ったのでしょう。




