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戦争末期、宮島村に集団疎開 60年ぶり 泉竜寺で感無量 藤田 まことさん(俳優・大阪府) |
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写真でひとりだけ笑ってるのがぼくなんです。歯見せて、にこーっと。このころからカメラを見たら笑わなあかん質やったんですが、今の仕事に役立ってるんです。 きょう歌謡ショーで美山町に来て、集団疎開していた泉竜寺にも行き、いろんな思い出がよみがえってきて長年の苦労が飛んでいってしまいました。美山には2年前、「剣客商売」のロケで女優の小林綾子さんと来ましたが、とんぼ返りです。お寺は60年ぶりです。 宮島村(現美山町)に疎開してきたんは、昭和20(1945)年8月8日でした。京都市立格致国民学校(現洛央小)6年の時で、宮島国民学校(現宮島小)に編入したんです。 ぽとん、ぽとん…。 お寺では午前6時起床です。境内にクリの木があって、イガが落ちる音が聞こえるんですねえ。顔洗って歯をみがき、先生の「行けーっ」の合図で競争で拾うんです。。
京都市で運動靴の配給は抽選でしたから、ふだんはわらぞうりをはき、美山町を流れる由良川沿いを集団登校しました。流れの速い由良川で、ふんどし姿で泳いだこともありました。 昭和天皇の玉音放送の意味はわかりませんでした。京都市に戻ったのは11月10日。国鉄山陰線が京都駅に着くと、見上げるような黒人の米兵がいて、「戦争に負けたんや」と実感しました。 6歳年上の兄が16歳で海軍特別年少兵に志願。鹿児島県知覧基地で訓練を受け、昭和19年8月16日に那覇沖で船が沈み、戦死しました。 亡くなる前々日の消印で、17歳とは思えん覚悟の内容のはがきをくれました。「まことにはまだよくわからないと思うが戦いの現実を見ています。みなお元気で。さようなら」。死亡通知は20年10月に届きました。 「戦争」という文字が心の傷でしてねえ。新聞でもこの二文字を見るともう読まない。イラクから目の手術で子どもが来日しましたが、罪のない子どもが巻き込まれるのはたまらんことです。 今月、美山と沖縄の仕事が連続してあるんです。日本兵と米兵が一緒にまつられている「平和の礎(いしじ)」に兄も眠っています。墓参りに行こうと思います。(2004.6.20 掲載)
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