大震災 運転のバス危うく転落

 今は野球部員乗せ連日 保津へ


 福本 良夫さん(平安高スクールバス運転手・京都市)


 一瞬、西宮市の阪神高速道路の芦屋料金所手前で、前方に白い稲光のような光を見ました。1995年1月17日午前5時46分です。

 連休最終日の前日夜、長野県野沢温泉スキー場から満員の乗客を乗せ、京都、大阪で大半が降りました。車内は女性客3人と、運転の交代要員の相棒と私の5人だけ。

 最初に激しい横揺れを感じました。時速約70キロでしたが、必死でハンドルにしがみつき、側壁に当たらぬようにするのが精いっぱい。

 次は縦揺れ。道路が波打ち、車体が跳ねるんです。前も見えません。揺れが止まった途端、道路前方が「ドシャーッ」と落ち、前につんのめったんです。怖いという感情は通り越してましたよ。

阪神・淡路大震災で阪神高速道路が崩壊し、転落しそうになった観光バス。撮影は、地震発生の約30分後=福本良夫さん提供。1995年1月17日、兵庫県西宮市

 後ろの非常口から脱出。暗かったが、ひっくり返った車が見えます。約1.5キロ戻って階段を探し地上へ。阪神今津駅の公衆電話から京都市の会社に連絡しました。「バス落ちかかってるんや」「そんなアホな。車検証は持って帰れ」。信じてもらえないんです。

 発生からそれほど時間がたっておらず、ニュースもない段階やと思います。車検証を取りにバスまで戻り、待っていた相棒と停電で電気の消えたコンビニで使い捨てカメラを買い、写したのがこの写真です。レンズをのぞきながら「よう助かったなあ」と思い、初めて恐怖から気持ちが悪くなりました。

 ぼう然と座りこんだり、押し黙ったまま立ちつくす人たちがいました。ガス臭く、たばこを吸うのもためらわれました。タクシーを探すのに昼すぎまでかかり、足先まで冷え切っていました。

 あのバスは点検し、また運転しました。阪神高速も何度も通るけど、「ここやったなあ」と通り過ぎるだけ。怖くなることはありません。女性客3人は、1年ほどして訪ねてくれました。

 亀岡市保津町のグラウンドまで、毎日のように野球部員を送迎しています。個人的に地震の備えはしていませんが大震災から間もなく10年。最近は地震が多く、南海・東南海地震のニュースも気になります。

 前の職場では観光バスで全国を走りました。口丹波はクリ、亀岡牛など名産が多い。それらの販売施設に、大型バスを積極的に受け入れる駐車場がもっとほしいですね。湯の花温泉のお客さんを案内すれば喜ばれるはずですよ。(2004.10.31 掲載)

 ふくもと・よしお  1942年生まれ。帝産観光バス運転手としてスキー客を乗せた帰り、西宮市内で阪神・淡路大震災に遭遇。阪神高速道の倒壊で危うく転落しそうになった。福本さん自身が真下から撮影した写真は、海外でも反響を呼ぶ。2001年から現職。京都市在住。

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