あすの京北へ(下)

 平安京造営時を思い出し

  積極思考でまちづくりを

草木 陽一 さん (元JR西日本鉄道事業本部長・大阪市)


 口丹波1市8町の一員として行政、経済、文化などさまざまな分野で交流し、励まし合いが続いてきた京北町。平安の昔から禁裏御料地を抱え、都を造営する木材の生産地としての側面など京都市とのゆかりも深く、町制50周年の今年4月、京都市右京区に編入合併する。合併を前に、京北町にゆかりがあり、京北町を深く愛する3人にまちの将来へのエールを送ってもらった。(丹波総局 内田 孝)

 4歳で京北町弓削弾正を離れ、満州(中国東北部)から引き揚げたのは1946(昭和21)年。小学5年の夏休み前だった。

 「舞鶴から山陰線に乗り殿田駅で下車。丹バスに乗りました。おじの市野源太郎さん方の離れにやっかいになりました。おじは新しもの好きで、電話設置は弓削で四番。モーター付き脱穀機、材木を京都市の二条の問屋に運ぶシボレーの木炭トラックもあり、何度か同乗しましたが、栗尾峠では歩くより遅いんです」

 「川をせきとめて材木を集め、決壊させた鉄砲水で一気にどーんと材木を下流に流し、拾ってトラックで運びました。マンガン鉱から鉱石を湯浅電池まで運ぶことも。1・2カ月で引っ越したけど今も同窓会に呼ばれるんです、うれしいですね」

 「東京で勤務していたころ、関西出身なのに納豆を食べると驚かれましたが、京北では納豆も納豆もちも欠かせません。諸説あるようですが、明治維新のころ倒幕方だった山国隊が、東征の際に納豆を関東にもたらしたと考えるのはお国自慢でしょうか」

旧弓削小のスギの木。現在は校名が変わったが今も在校生に親しまれている(京北町上弓削・京北第3小)
 JRで鉄道運営の責任者として活躍。公共交通の専門家の視点からふるさとを見つめてきた。

 「国鉄入社後、八木町出身の井上六郎さん(前横浜高速鉄道社長)から『鉄道のない京北から鉄道会社に来たのか』と冷やかされましたよ。JRに組織替えした直後、山陰線複線化について記者から質問されました。JR西日本は当時、税引き後1日当たりの黒字が25億円程度。『複線化は多大な初期投資が必要で余裕がない』と答えたら、そのまま新聞記事になってしまって…。地元もそこは考えてほしい。いろいろ考えがあったのでしょう、複線化に尽力されていた野中広務さんから京都府副知事で京北町出身の草木慶治さんを紹介されました。血縁関係はないが、話すと遠縁だとわかったんです」

 「鉄道会社では、小さなミスや事故であっても内輪で処理せず原因を突き止めることが再発防止に必要です。まちづくりでも考え方は同じではないでしょうか」

 編入合併まで10日。希望と不安が交錯するふるさとに、積極的なまちづくりを勧める。

 「京都市が手を差し伸べてくれるとは考えず、平安京造営で木材を供出した時のように、能動的であってほしい。農業に関心のある市民に、京北に通ってもらう方法もあります。地域の公共交通と農林水産業を束ねた経営組織をつくるんです。ふるさと京北は、景色も空気もすばらしいのだから」

 くさき・よういち  1935年生まれ。大阪市立大卒。国鉄入社。千葉、大阪鉄道管理局長などを歴任し、88年退職。現在は大阪ターミナルビル顧問。社員らでつくる西日本鉄道文学会顧問も務め、このほど発刊された「近畿地方の日本国有鉄道 大阪・天王寺・福知山鉄道管理局史」編集委員会代表。大阪市在住。


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