農地改革で「月給取り」に

  国連職員として海外へ


 川勝 昭平さん(青山学院大名誉教授・東京都)




 「おまえは月給取りになれ」。戦後、農地改革で農地がなくなり、富本村(現八木町)で自分の背より高い牛を使って農業を手伝っていた私に父が言いました。実家の蔵に小作の人たちが米俵を運んでいた秋の風景をかすかに思い出しますが、それを当てにできなくなったのです。改革後、同級生のきれいな地主の家の女の子が、金持ちの家へお嫁に行きました。

 農家の長男でした。後を継ぐため亀岡市余部町の現在の府農業総合研究所の場所にあった亀岡農学校(現亀岡高)に進学。軍事色が濃く、軍事教練ばかりの中、男前の植田勉先生のせん定作業を手伝ったりしました。先生はゲートルを巻くのが苦手だったのか、すき間がありました。

学会で訪れたベルリンのマルクス、エンゲルス像の隣りで(2000年8月)
 富本尋常高等小(現富本小)のころ、運動が苦手。両親に「運動会を見に行くのがかなわん」と言われていましたが、馬好きの父が飼っていた馬を乗り回すうち、馬のように早く走れるようになりました。軍国主義はよく理解できませんでしたが、「神吉出身で陸軍に後宮(うしろく)淳大将という立派な人がいはる」と毎日のように聞かされました。

 その後、京都青年師範学校(現京都教育大)の学生の時、「赤紙」を受け取りました。陸軍予備士官学校に合格しており、徴兵を免れました。入隊していれば、戦地で玉砕したかもしれません。

 戦後、国鉄二条駅近くの中学の先生になりましたが、大学に入り直し、農林省の役人になりました。米国留学の機会を得て面接の際、米国人の面接官に「他人のものを取り上げて平等化するのは共産主義だ。これがなぜデモクラシーかを研究したい」と述べました。

 日本人の面接官なら合格しなかったでしょう。なかなか味な国やと思いました。イタリア、インドでも国連職員として働きました。不景気が深刻ですが、若い人に言いたいのは「日本にこだわるな」。資格に汲々とするより、世界から求められる人材になればいいのです。人生、こんなに面白いものはありません。

 実家は空家で同級生の川勝正美君が会長だったシルバー人材センターに管理を頼んでいます。今春に大学を定年退職。多くの同級会に出席する機会ができましたが、小学校時代の同級生が、口丹波で大きな家に子や孫と一緒に暮らしている姿が何よりうらやましいと思うこのごろです。(2002.11.10 掲載)

 かわかつ・しょうへい  1927年生まれ。亀岡農学校、京都青年師範学校、京都大卒。農林省入省。フルブライト奨学生として米国留学。PhDとなり、経済企画庁を経て国連職員として世界の農産物価格調査などを担当。85年から今年3月まで青山学院大教授。東京都在住。

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