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父の見舞い、バイクで帰省 涙目で走った国道9号 島崎 俊郎さん(タレント・東京都) |
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♪国道9号線 大井の坂を越えると 田んぼの中のしゃれた喫茶店 車は走る〜 洛北高2年の時、50ccのバイクで1、2週間に1度、下宿先から老ノ坂を越えて亀岡の実家に帰る途中にくちずさんだ自作曲「国道9号線哀歌」です。実家の窓に腰を下ろし、下宿先で知り合った同志社大の学生に教えられたギターを弾きながら作曲しました。 おやじの小三郎は島根出身で、全国各地で働く左官屋の棟りょう。工事の始まった京都タワー3、4階を請け負い、高知からおふくろと小学4年だったぼくら子ども4人を京都に呼び寄せました。
その後、流れ流れていたおやじが家を建てたんですよ、小さな平屋をね。亀岡市曽我部町重利山の下、近くに家は2、3軒しかなく、ほんとに山の下みたいなところ。兄の和郎が結婚して先に住んでいたので亀岡を選んだんです。高校でサッカー部だったぼくだけ京都に残り、下宿しました。
高校卒業後、兄の左官屋で東京に行く金を貯めるため働きました。亀岡に住んだのは、この半年です。セメントを練る仕事で、現場で壁塗りも。コメディアンのハナ肇さんの付き人で京都に来た時に工事した建物の前を通り、事情を説明すると、「そうかぁー」。ハナさんも水道屋の息子ですから、気持ちを察してくれたんです。 「だめならすぐ帰ってきていいよ。家に帰れないと思うなよ、だめだったとは言わないから」。芸能界を目指し東京に出発した、その年の9月28日におふくろに言われました。兄夫婦や甥っ子がずらり家の前に並び、見送ってくれたことが今も忘れられません。 人を笑わせることに自信はありましたが、自分の意志を確認しようと4時間かかる「こだま」を選びました。芸能界が自分の進むべき道か、東京に着くぎりぎりまで考え抜きたかったからです。 ビートたけしさんの番組の企画でヘリで実家に帰っておふくろと笑いを取り、水戸黄門のロケで亀岡に来たことも。京都学園大の学園祭に呼んでもらった時は、実家を控え室に大騒ぎでしたね。 亀岡に帰ると「9月28日」を思い出します。あの日が今のぼくの出発点なんです。(2002.12.15 掲載)
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