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中3、西京極で同大戦観戦 亀岡出身の恩師に連れられ 大八木淳史さん(元ラグビー日本代表・神戸市) |
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初めてラグビーを見たのは、京都市右京区の嵯峨中3年だった1976年11月。大学を卒業したばかりで、中学の社会の先生だった齋藤千昭先生(現亀岡高)に西京極競技場に連れていってもろたんです。 同志社大が100点の大台に乗せ、京都大を圧倒。釜本邦茂さんらにあこがれ、中学ではサッカー部やったけど、この試合は面白かったです。 母照子の実家・中井家が亀岡市余部町やったんですが、齋藤先生は近所の曽我部町出身。小柄ながら大学では自転車部で筋骨隆々。「ほんとうはラグビーをやりたかったんや。おまえはごついからラグビーか競輪の選手になったらどうや」と励まされました。
先生とは、一緒に嵯峨から亀岡市や京北町へサイクリングもしました。途中、水尾でサドルから降りず坂を越せたのが自慢ですが、祖父喜久一も、亀岡から嵯峨まで自転車に米を積んで運んでくれていたそうです。
親類が集まると、鶏をつぶしてスキヤキにするのが恒例行事。家には角を切っていない牛がいて、周辺は田んぼです。走田神社の鎮守の森が見渡せ、近くの川では祖父の手製の網でジャコ取り。改装前の古い市民プールでも泳ぎました。 両親はすぐ帰るので、兄貴と2人残るんです。最初は楽しいけど、テレビはNHKとKBS京都しか映らへんから退屈してきます。山田木材の「よいしょっ」と材木を持ち上げるCMを見て、「あれは横でだれかが支えてるんやろか」などとうわさしあったもんです。 ガレリアかめおかの完成前、あの辺に喫茶店があって兄貴と中学のころにレモンスカッシュを飲んだこともあったなあ。講演に呼ばれて懐かしいんで、余部町に行ってみました。減反で田んぼは減ったかもしれませんが、あんまり変わってへん感じです。 確かに住んでいる人の利便性を考えなあかんのでしょうけど、自然にはあえて手を付けず、残すことが亀岡らしさでしょう。大学時代、ニュージーランドに留学し、憩いの場としての自然の大切さを実感したんですよ。(2004.2.29 掲載)
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