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Kyoto Shimbun 1999.3.11「京都・より道スポット」
洋風外観、内部は随所に和風
アメリカ人宣教師の助言を受けながら、日本の大工の手によって、一八七八(明治11)年九月に完成した。寄せ棟屋根の木造二階建て。一階が食堂や応接間など約二百十平方メートル、二階が寝室など約百四十平方メートルで、全体に質素な造りとなっている。 建物の外観は、東・南・西の三面にベランダを張り巡らし、アメリカの開拓時代を思わせるような洋風建築。内部は、いすやテーブルを配しているものの、障子やふすま、よろい戸があり、伝統的な和風の建築技法が随所に見られる。 一階部分は、公的な場としても使われた。玄関を入って右手にある応接間は、教室、職員室、大学設立の募金活動の事務所にも利用された。一八八一(明治一四)年に会堂が完成するまでは、教会の機能も兼ねていたようだ。 さらに、奥に進み、居間を抜けると、書斎が当時のまま保存されている。学生が出入りして、本を自由に借りていたといい、書棚には当時のまま、洋書がズラリと並ぶ。襄が愛用したいす、机、ランプ、たんすもあり、同志社設立当初の面影をしのばせている。 新島夫妻がここで暮らしたのは、わずかに十年。第二次世界大戦後は、無人となったが、一九九〇年五月から九二年七月にかけて、老朽化が激しくなった旧邸の保存修理工事を行った。改変された個所も創建当時の状態に戻された。 同志社社史資料室の本井康博講師は「新島先生をひとことで言うなら、誠実な人柄。初対面でも、すぐに信用させてしまうような魅力を持っていた。そんな人柄を慕い、旧邸にも、いろんな学生が集まってきたのでは」と話している。
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