Kyoto Shimbun 1999.2.26「京都・より道スポット」

 伏見城趾出土遺物展示室

 栄華をしのぶ「金ぱく瓦」

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伏見城の栄華を今に伝える展示室

 伏見城は豊臣秀吉が晩年を過ごし、後に徳川家康が入った名城として知られる。展示室は、同城や城下町の屋敷跡から出土した瓦(かわら)などを並べる。

 伏見城が歴史に登場する期間は、わずか30年あまりと短い。秀吉が1595(文禄4)年に現在の伏見区桃山町に築城したが、完成した翌年に「慶長の大地震」で壊滅。再度、同区東伏見山、現在の桃山御陵のあたりに再建したが、これも関ヶ原の合戦で落城してしまう。三度修復されたものの、最後は家康の死後、江戸幕府により破壊された。

 しかし、その遺構は西本願寺や二条城、高台寺などに移築され、今も当時の栄華をしのぶことができる。同展示室のある御香宮神社の神門も伏見城西大手門の遺構と伝えられる。

 展示室に並べられている瓦などは、同神社の三木善則宮司ら有志たちでつくる「伏見城研究会」のメンバーたちが73年から集めたものだ。三木宮司は「そのころ、下水道が急速に整備され、伏見城の遺跡が破壊されつつあった。何とかしなければと思い、調査と保存に乗り出した」と話す。

 当時、伏見城の遺跡は行政から文化財として認知されておらず、メンバーたちが手弁当で発掘調査を行った。「建設現場から瓦が出たと聞けば、自転車に乗って取りに行った」と三木さんは思い起こす。

 伏見城の瓦の特徴は、金ぱくがほどこされていたことだ。かつては城全体が金色に輝き、まぶしさのあまり巨椋池に魚が住めなかった、という伝説まで残っている。しかし、長い間土に埋もれていたため、今ではかすかに金色が確認できる程度だ。

 三木さんは「伏見が都市として現代まで生き残ることができたのは、城下町として交通網や生活基盤が整備されていたおかげ。伏見を形づくった伏見城を、後世に伝えることができれば」と話している。


 伏見城趾出土遺物展示室  京都市伏見区御香宮門前町の御香宮神社内。主に瓦約200点を展示する。開館時間は午前10時〜午後4時。入場無料。
 電話 075(611)0559。

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