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19世紀京都画壇の美の精華 約200面を一般公開
安政2年の御所再建の際、当時の京都の名うての絵師たちが結集され、各御殿の襖絵や杉戸絵などの障壁画の制作に取り組んだ。佐々木丞平・京都国立博物館長によると総勢97名の絵師たちが制作にあたり、およそ1年半の期間で完成させた。絵師たちは2つのグループに大別され、一つは土佐派(住吉派を含む)、京狩野派、鶴沢派など禁裏御用絵師としての性格の強い集団。いまひとつは円山派、四条派、岸派、原派など、応挙を祖とする円山派から発展した町絵師系の流派の絵師たち。その割合は御用絵師系が約3割、町絵師たちが約7割を占め、当時の京都画壇の勢力を反映しているという。
絵師の豊富な人材を擁した結果、建物の用途、部屋の使用目的、性格などに対応して、絵の主題や描き手も巧みに使い分けられ、「公」と「私」、「ハレ」と「ケ」の場にふさわしい統一が図られている。 例えば、御常御殿を見ると、最も格式の高い上段の間は京狩野派の狩野永岳の「桐竹鳳凰図」、公的な色合いのある中段、下段の間は鶴沢派の鶴沢探真ら御用絵師系の画家が担当し、実際の日常生活の空間である御小座敷は円山派の中島来章や四条派の塩川文麟が「花ニ鳴鴬(なくうぐいす)図」や「和耕作図」を描いている。居間にあたる一の間、二の間、三の間には鶴沢探真の「四季花鳥図」、女官たちの部屋の申口の間には中島華陽の「常盤木(ときわぎ)ニ猿図」の襖絵といった具合に、公から私の空間の性格や画の主題によって、絵画制作の担当も御用絵師から町絵師、描画も彩色も金砂子や濃彩の世界から淡彩、墨画へと適材適所の全体的統一がみられるという。
1000年の長きにわたって王城の地だった京都。日本文化の発展に貢献し、その中心的な位置で、格式豊かな芸術的な熟成をかたちあるものにしてきたのが、京都御所を中心とする宮廷文化だった。平安京の造営以来、火災による焼失などで度重なる再建を繰り返してきた受難の歴史も伴うが、現在の京都御所の御殿の多くは、安政2(1855)年に再建されたものであり、建築内部を彩る障壁画の制作には、当時の京都画壇の絵師たちが結集して取り組んだ。「19世紀半ばの障壁画の宝庫」のうち御常御殿(おつねごてん)と御学問所(おがくもんじょ)の襖絵(ふすまえ)約200面が、新春1月6日から京都国立博物館で約150年ぶりに初公開される。保存上の理由などから“門外不出”とされてきたが、一般公開を求める要望に応えた出開帳で、宮内庁京都事務所の大英断という研究者もいる。2007年の京都の初春を彩る珠玉の襖絵の一挙公開である。
■京都御所障壁画の主な絵師と展示内容
▽狩野永岳「桐竹鳳凰図」「尭任賢図治(ぎょうにんけんとち)図」▽鶴沢探真「四季花鳥図」▽円山応立「和歌ノ意(地網引図)」▽塩川文麟「和耕作図」▽中島華陽「常盤木ニ猿図」▽岸連山「谷川ニ熊図」 【御三間】 ▽住吉弘貫「朝賀図」▽駒井孝礼「賀茂祭群参図」▽横山華渓「高雄秋ノ景図」 【御学問所】 ▽狩野永岳「十八学士登瀛州図」▽岸岱「蘭亭ノ図」▽原在照「岳陽楼図」▽岡本亮彦「菊図」▽岸連山「芦ニ雁図」 作品解説:京都国立博物館館長 佐々木丞平・京都嵯峨芸術大学教授 佐々木正子 | ||||||||||||
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