アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《3》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもい まひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなっ てきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
関根伸夫「位相―大地」と銀閣寺・ 向月台(上)

銀閣寺の向月台。手前が銀沙灘」
  その作品は、今は存在しない。つくられた当時の写真や記録類、直接かかわった作家たちの記憶の中に残るだけだ。しかし、その作品は、戦後わが国の現代 美術のまぎれもなく大きなターニング・ポイントとなり、「もの派」と呼ばれた表現動向の原点、記念碑として今もなお語られ、言説として受け継がれる。 1968年の第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展でつくられた関根伸夫の作品「位相−大地」だ。  

 「不滅の名作」現前

 
関根伸夫「位相―大地」(村井修氏撮影)。1968年 の第1回神戸須磨離宮公園現代彫刻展でつくられ朝日新聞社賞を受賞。展覧会終了後、埋め戻された
 直径220センチ、深さ270センチの穴がある。穴と同じサイズの大きさの土の円筒造形が、4・4メートル離れた位置にそびえ立つ。穴を掘り下げ、その 土を積み上げて固めた凸と凹、陰と陽の明快な造形。土という物質にかかわった単純、自明な作業から生まれた圧倒的な存在感と迫力。何もない土の地面を掘 り、掘り出した土で円筒という形を生み出した行為は、同じ土という物質が無から有の形に転位する位相幾何学の「不滅の名作」を現前させた。そして現代彫刻 展の終了後、再び埋め戻され元の地面になって消失した。

  当時、多摩美術大学大学院を修了したばかりの関根伸夫が後輩の小清水漸や吉田克朗らの作業協力を得てつくった「位相−大 地」は、土や木、石、鉄など、さまざまな物質にかかわる行為を極力ひかえながら、それまで気づかなかった物質の新たな表情を引き出す「もの派」の表現行為 の象徴的な作品となった。

  その「位相−大地」を着想した当時、関根の脳裏にあったのが、京都の名刹(さつ)、銀閣寺(慈照寺)の庭にある向月台 (こうげつだい)や銀沙灘(ぎんしゃだん)の存在なのである。戦後の現代美術のエポックとなった作品と銀閣寺の向月台。古今の造形のつながりは、不思議な ことに、これまで論及されることはなかった。

  今から8年前、西宮市大谷記念美術館が「『位相−大地』の考古学」と銘打った展覧会を企画開催した。戦後の日本美術の “神 話” となった感さえある作品が1968年に生まれた歴史的な意味を掘り下げた好企画だった。関根をはじめ制作にかかわった人々の証言を記録として残しな がら、立案から作業工程の全制作過程を写真でたどり、さらに原寸大の作品模型を展示室に再現して圧倒的な土の造形の量塊性を追体験する内容。綿密な検証と 関係者からの証言の掘り起こし。作業工程を一目瞭(りょう)然にしのべる写真類。「位相−大地」を語る上で意義のある展覧会であり、貴重な資料が図録に収 録された。

 つながる日本美術庭

 その展覧会に、関根がノートに書いた立案メモも展示されていた。「“合同変換”、土を掘って積む、土を固める」などの文字とともに、「アイデアの弱いも のは否定したい。徹底的な思考。たび重なる思考の中から一種の高まりが作品となる」といった書き込みに続いて、「銀かく寺の砂の円錐形の造形」と記されて いた一文に私は驚いた。向月台を指していることは明白であり、「位相−大地」の着想に向月台のイメージがあったことを物語っていたからだ。

 関根は高校生時代には岡本太郎の著作をバイブルのように読み、多摩美の大学時代は日本美術史や庭園の本に親しみ、京都にもしばしば訪れていた。もともと は油画が専攻科目。斎藤義重の指導を受けた。須磨離宮公園での現代彫刻展に出品することになったのは、68年5月の第8回現代日本美術展に「位相」と題し て出品した半立体(レリーフ)作品が事務作業員のミスで絵画部門ではなく立体部門に回され、コンクール賞を受賞。須磨での現代彫刻展への出品作家に選抜さ れるという偶然が重なってのことだった。関根にとっては思いもかけない展開であり、彫刻は全くの初体験。展覧会が近づき作品集荷の段取りを主催者側に打診 されたときも、「現地制作するから結構です」ととっさに返答したもののまだ全くの白紙状態。追いつめられた気持ちのなか、関根が関心を寄せていた位相幾何 学や禅、老荘思想などを背景に思い至ったのが「位相−大地」のアイデアであり、その背景に向月台のイメージがあった。

 「日本の美術と、現代の美術表現とは全く無関係というのが当時の趨(すう)勢でしたが、ぼくはそうではない、つながっているし、いなければならないと痛 切に思っていた。それを示すことが欧米の美術に追随し、欧米の動向のメッセンジャーボーイになっているだけの美術評論家の鼻をあかすことにもなると考えて いたことは確かですね」と、いま環境美術家として活躍する関根は当時を回想して話す。

  一途な情熱の果て 

 土を掘り、掘った土を積み上げて固める。確実に積み上げるため関根は東大工学研究所にも知恵を借りた。関根や小清水、吉田ら5人は1週間にわたって合宿 し、えんえんと穴を掘って、土を積み上げた。土は、12本の杭を均等に立て内側面にベニヤ板を張ったあと外側周囲を荒縄でしばって固定した円筒形の外型の 中に積み上げて固めていく手順で進められた。穴は深く、積み上げる高さが増すにつれ、作業は困難となったが、ぎりぎりのところで展覧会の作業員やクレーン 車の応援も得て無事完了した。

 外枠をはずした瞬間に関根ら当事者の予想さえも超えた圧倒的な迫力の「位相−大地」が出現した。いくつかの偶然が重なった現代美術の ビッグバンは、日本 の現代の美術が自らの美意識や感性に依って立つ新しい扉への必然だったとも言える。そして「位相−大地」が円筒形に決定するまでの段階でお椀(わん)型に する案もあったそうだ。銀閣寺の向月台もまた、現在の形になる以前はお椀を伏せたような形の時期もあったから、その符号もまた面白い。=敬称略

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