アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《5》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもいまひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなってきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
新選組の刀痕と白髪一雄の「赤い丸太」

旧前川邸の表門の出窓に残る刀痕。出窓は現在取り外されている

 テレビドラマ「新選組!」の放映なども後押しして、新選組がブームだ。壬生寺や屯所のあった八木邸、旧前川邸かいわはじめ、ゆかりの遺構は新選組観光ツアーの人波でにぎわう。

 新選組が歴史に足跡を残すのは文久3年春以後から慶応3年までの約5年間にすぎない。今も人気を集めるのは、武士になる夢に向かって突き進み、守護の職務に殉じた悲劇的末路への庶民的な判官びいきに加えて、近藤勇や土方歳三、沖田総司ら多彩 な人物像が共感的な思い入れを呼びやすいためか。

壬生賀陽町にある旧前川邸

 新選組ゆかりの史跡を訪ねた人が視覚的なインパクトを受けるのは、暗殺や襲撃といった事件を今に伝える痕跡だ。新選組発祥の地、八木邸の母屋には初代局長、芹沢鴨が土方や沖田らに斬殺されたときの刀傷が鴨居に残る。旧前川邸の表門の左側にあった出窓の右側の柱には二太刀の深い刀傷の跡がある。旧前川邸の現在の所有者の話では、この出窓は40年ほど前の普請のときに取り外し、今は屋敷内で保存している。このほど京都文化博物館で開催され約9万人が鑑賞した「新選組!」展で、この出窓が出展され、刀痕が目を引いていた。

 子母澤寛「新選組遺聞」(中公文庫)によると、隊士たちの刀自慢が高じての試し斬(き)りの刀痕で、「一刀ざッくとやると、三寸位 斬込んで、下の方へそぎ取るように斬っているから驚きます」との聞き書きがある。新選組とは無関係だが、伏見の寺田屋には幕末の志士、坂本龍馬が薩長連合を実現した矢先に襲撃され、恋人お龍の機転であやうく難を免れたときの刀痕が今も残っている。

 刀傷の跡が見る者に訴えかけるのは、事実としての行為の痕跡ゆえであり、歴史や事件の証拠としてのリアリティーの強さだ。

▽行為の芸術表現

1955年に初めて「赤い丸太」を制作したときの白髪一雄(芦屋公園)

 行為がもっている表現のインパクト、事件としての意味合いは、第二次大戦戦後の現代美術の流れの中でひとつの重要な水脈となってきた。床に寝かせたキャンバスの上に絵の具をしたたらせるドリッピングで描いた米国のジャクソン・ポロックは、ある批評家に「カンヴァスの上に起こるべきものは、絵ではなくて事件であった」といわしめたアクションペインティングで大きな影響をあたえた。日本では50年前の1954年に吉原治良をリーダーに結成された具体美術協会の若き美術家たちが、精神の絶対的な自由を具体的に示すという趣旨と「誰もやっていないことをやれ」という鼓舞のもと、行為性に基づく破天荒 な作品を次々に試みた。新聞紙を何枚も貼り重ねたキャンバスならぬ紙バスに穴をあけたり、絵の具を入れたびんを投げつけて描いた嶋本昭三、木枠に張った紙を破裂音とともに突き破る行為を始めた村上三郎、そして紙を床に寝かせ足で描くという人類始まって以来の絵を試みたり、足だけでなく身体全体でまさに泥と格闘した「泥に挑む」の白髪一雄らの行為としての絵画。具体は吉原の死去とともに72年に解散したが、具体初期の前衛精神あふれる制作は、世界のアートシーンでの先駆的なアクション=行為の芸術表現として国際的な評価が定着した。

 具体の結成に参加した当時の白髪の行為に寄せた文章がある。「イーゼルなんかほうり出して、画面 を壁に釘づけして斧でめった切りにして汗びっしょりのフラフラで心臓破裂の一歩手前ぐらいになるまでやって安楽椅子に倒れ込んだ時の気持ちの良さを知りたい為に描いているみたいになっても良い」(「具体」2号所載「思うこと」)

▽斧で斬り込む

1985年に再制作された白髪一雄の「赤い丸太」(兵庫県立美術館蔵)の部分の刃の痕跡

 そんな激しい格闘と斬り結ぶ行為を痕跡にとどめた作品が55年の「赤い丸太」だ。芦屋公園で開催された「真夏の太陽にいどむモダンアート野外実験展」で、赤い色を塗った太目の丸太10本を円錐形に組み立て、その中で刃渡り16センチほどの斧を10分間休むことなく振るい、斬った痕跡をつけたアクション絵画。既に足で描く行為を始めていた白髪が手足や身体だけでなく斧という道具を使った時期の作品だ。野外展だっため作品に強さが欲しかったことや、白髪の刀剣やナイフなどへの趣味、幼少の頃からのチャンバラ好きが手伝って生まれた作品である。

 幕末の暗殺をまとめた本や新選組関係などの本もよく読んだそうで、竜馬が襲撃の難を逃れた「伏見寺田屋の柱の刀傷は見に行ったことがある」と白髪は語る。「赤い丸太」のように、木材に斧で刃の痕跡を残す行為としての絵画は、形を変え57年の第4回具体展まで続けられたが、以後は天井の梁からつるしたロープを支えに、足で描く作品に戻り、今日までアクションペインターとしての一貫して揺るぎない創作が続いてきた。

 斧を使うことはなくなったとはいえ、残酷で無惨なものへの白髪の関心は強く、自ら「いけにえ絵画」と呼んでイノシシの毛皮をはりつけた画面 に赤い絵の具を使って足で描いた作品や、代表作の水滸伝シリーズにも白髪の性向や気質が生き続ける。

▽足で絵を描くサムライ

 白髪の家には無銘ながら「村正」という鑑定つきの日本刀が伝わる。若いころから日々に抜いて眺め精神を高めるひとときをもってきた。この8月で満80歳になる白髪は、尽きぬ 創作意欲同様に、刀への愛着は変わらない。具体の活動が海外の芸術家にもに知られるようになるにつれ、尼崎の白髪宅家を訪問する外国のアーティストが増え始めた頃の、ある日、米の抽象画家サム・フランシスが訪ねてきた。床の間に飾ってあった日本刀を見て「お前は足で絵をかくサムライだ」と言った。 幕末・維新の歴史の痕跡ともいうべき刀痕と、白髪の「赤い丸太」を重ね合わせながら、そんなエピソードを思い起した。=敬称略

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