アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《10》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもい まひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなっ てきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
知恩院の輪蔵と山口啓介の「植物輪蔵」 知の方舟、植物再生願う

知恩院の修復された経蔵の中央部に重厚華麗な構えで立つ八角輪蔵。等間隔に積み上げたような引きだしには朱文字の漢字が一字ずつ書かれている

 円山公園の北、京都市内を望む景勝地にある浄土宗総本山・知恩院は、洛東屈指の大寺。浄土宗の開祖・法然が「南無阿弥陀仏」を唱える口称念仏を最初に布教した場所であり、入寂の地でもある。聖地の面影を今に伝える。

 雄大な構えの三門や本堂の大伽藍(がらん)は、江戸時代には徳川家の菩提寺となり、事あるときには城砦となる機能も併せもっていたとも言われ、独特の威容を見せる。その本堂の東南に建つ経蔵は、平成6年から6年余をかけて修復が行われた。完了した当時は内部も含めて公開されていたが、最近は閉じられていることが多い。この経蔵の中央部に大きな輪蔵(りんぞう)がある。

八面体の回転書庫

山口啓介の「植物輪蔵」(2002年)360.5×195.0×195.0センチ。八面体の各面には234個のカセットケースが並ぶ

 輪蔵は、転輪蔵ともいう。仏教経典の一切経(大蔵経)を納める八面体の書棚で回転する仕組みになっている。今風に言えば回転式の書庫といったところか。考案したのは、中国南北朝時代の僧、傳大士(ふだいし)。この輪蔵を回転させれば経典を読破したのと同じ功徳があるという。ある意味で東洋的な知恵とも言えるし、見方を変えれば手抜きの赦免ともなろうか。十数年前、中国の五台山に旅したとき、現地の寺院でも、ぐるぐる回る中型の転輪蔵を見かけた思い出がある。日本の寺院でも相当数あり、同じ浄土宗の清凉寺(嵯峨釈迦堂)にも輪蔵があるが、知恩院の経蔵内の輪蔵は、規模の大きさから言って指折りの存在だろう。

 高さは約7・5メートル、幅と奥行きは約4メートルほど。天井に届くまで見上げる高さと重量感。八面体の各面には縦12段、横に5個ずつ箱を積んだような形で引きだしがあり、見えない個所も含め総計768種。漆塗りの木箱には、宋版や明版の一切経5600余巻が納められていたが、重要文化財指定の一切経は現在は別途保管され、今は入っていない。金剛力士や帝釈天、増長天などの8体の彩色木像が見える輪蔵の台座部分には、8本の突き出し棍(こん)棒があって、これを押して回転させたようだが、現在は動かすことはない。正面には輪蔵の発明者の傳大士や童子像がある。

二分の一の規模で

「植物輪蔵」の部分。カセットケースの中には植物の葉などが天然樹脂で封印され収納されている。

 美術家の山口啓介が、知恩院の輪蔵を見たのは3年前。経蔵の修復が終了して内部が特別公開されていた時期だ。箱を等間隔に積み上げたような壮観さに初めて接したとき、直感的に方舟(はこぶね)を連想したという。多摩美大を卒業後、方舟をテーマにした版画の大作で現代日本美術展などで受賞を重ね、アメリカやドイツでの海外研修や滞在経験から、原発事故や核兵器がもたらす恐怖に基づく絵画や立体作品を制作し評価を得てきた山口ならではの着眼だった。

 方舟は、人類の堕落を怒った神が下す大洪水の難から逃れるために、神の恩寵(ちょう)を得たノアが製作したという旧約聖書〈創世記〉の伝説。ノアは家族や各動物のひとつがいとともに乗って難を避け、鳩が加えて戻ってきたオリーブの若葉で大洪水が止まったことを知る。

 「−地上の、つがいの動物を一対ずつ集めたノアの方舟は、動物種の遺伝子を運ぶ乗り物といえ、その遺伝子の乗り物、『箱』のかたちをしていた『船』と伝えられている。遺伝子、乗り物、箱、船という単語は、自分には情報、収集、保存、伝達の意味と深く関わっているように思われ、動物種に対応する植物の種子、花、葉、果実、あるいは、保護膜としての樹脂、皮膜、浸透、透明、光を集めて作品をつくる…」。知恩院の八角輪蔵に触発され、自身の「植物輪蔵」構想した山口の制作意図だ。

 知恩院に頼んで修復の際につくられた実測図を見せてもらい、全体は実物の二分の一の大きさにした。経文の入っていた木製の箱の代わりに、透明のカセットケースを使い、草花の花や葉、根、種子などを天然樹脂で包み、将来に読み解かれる遺伝子を封印、保存する。ゲーテの原植物にひかれ、植物をモチーフにした絵画も描いてきた山口は、1997年から植物の花や種子を入れたカセットケースを構成したカセットプラントの立体作品を生み出してきたが、この「植物輪蔵」を機に作品は伸びやかなスケールと共生感伴うものになった。

遺伝子情報を保管

 「植物輪蔵」が発表されたのは、2002年の夏に西宮大谷美術館で開催された山口の規模大きな展覧会「植物の心臓、宇宙の花」。八面体の立体の各面にカセットケースが等間隔に234個並んだ。その数は全部で1872個。同美術館の池泉回遊式庭園には四季折々に咲く草花や樹木など豊富な植生があるが、そこで採集したさまざまな草の葉や茎などを天然樹脂で封印して収納され、バックライトの白い光で色と形を優美に浮かび上がらせる。封印された植物の遺伝子情報が、核戦争や地球的な規模の自然破壊などのダメージを受けたあとでも、いつか読み解かれ、植物や生命の再生へとつながっていくことへの願いがこもる。

 「植物輪蔵」は、知恩院の輪蔵のような歴史の歳月を感じさせる木像彩色の重厚さはない。透明のカセットケースという現代的な素材はしかし、透明なために中の植物の色や形、形態が一目瞭(りょう)然に分かる。輪蔵を一回転させて一切経すべてを読んだことになるという東洋的知恵のように、山口の植物輪蔵は一瞬にしてすべてを見ることは可能だ。この作品以降も植物の遺伝子情報を保管、伝達するカセットプラントの作品は、ワークショップなどを通した鑑賞者の参加も得ながら、数とスケールを増し、美術館の空間を植物の彩りで美しく構成するインスタレーション(仮設装置的な設営)として展開の豊かさと広がりを見せている。=敬称略

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