アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《12》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもい まひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなっ てきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
車折神社の「祈念神石」と福岡道雄の「反の石」 石を積む行為、願いと想像力

オノ・ヨーコ「クリーニング・ピース」の展示(滋賀県立近代美術館)

 オノ・ヨーコの表現行為の軌跡をひもとく日本で初めての回顧巡回展が、最後の開催地の滋賀県立近代美術館で12月12日まで開かれている。その会場に「クリーニング・ピース」という作品がある。木製の台座が三つ置かれ、同じ種類のなめらかな肌ざわりの自然石が積まれている。鑑賞者は、真ん中のへこみから自由に手に取り、「悲しみの山」か「喜びの山」か、どちらかを選んで積む。

 「あなたの人生の中の悲しみに番号をつけて、表にする/悲しみの数だけ小石を積み上げる/悲しいことがあるたびに、小石を加えていく/表を燃やし、/小石の/山の美しさを愛でる」「あなたの人生の中の幸せに番号をつけて、表にする/幸せの数だけ小石を積み上げる/幸せなことがあるたびに、小石を加えていく/できた小石の山を、悲しみの山と比べてみる」  そんな呼びかけの詩のある参加型の作品だ。

お礼の石積み

車折神社の「祈念神石」のお礼の石積み。たくさんになると別の場所に移され、数が多くなるとお祓いし、許可を得て丹後の海に沈めることもあるという

 小石を積むという行為は、アートの世界よりも世俗的な信仰や宗教の世界ではずっと昔から知られてきた。たとえば「賽(さい)の河原」の地蔵信仰。冥土(めいど)の三途の河原で小児が父母の供養のために石を拾って積み、塔をつくろうとする。「ひとつ積んでは母のため…」と積んでいる途中に鬼が来てこわしてしまう。その子の苦しみを救ってくれるのが、お地蔵さんというわけだ。「賽の河原」の説話の哀調と異なって、積まれた石が願いごとの叶ったお礼という意味を帯びているのは、洛西・嵯峨にある車折神社の「祈念神石」にちなむ石積みの山だ。

鉄斎ゆかりの神社

 車折神社は、平安末期の儒学者で博学をもって世に聞こえたという清原頼業(よりなり)をまつる。近代京都の画聖、富岡鉄斎が宮司を務めたこともあり、嵯峨の地を気に入って移り住んだ冨田溪仙が寄進した枝垂れ桜が春に咲くなど、近代の日本画家ゆかりの神社でもある。

 車折神社の祈念神石が、いつごろから始まったのかはっきりとはわからない。お礼の石を積む石づくりの台座に「明和8年(1771)」の銘が見え、安永9年(1780)刊の「都名所図会」の記述や天明7年(1787)の「拾遺都名所図会」に描かれた境内図などからも、当時既に信仰を集めていたことがわかる。

 境内などにある小石を祈念神石としてもらい受け、自宅に置いて願い事をかける。その願いが実現すると、お礼の石を社殿前の石の台座に神石とともに奉納する習わし。お礼の石はどんな大きさでも種類でもかまわない。中には岩と思えるほど大きな石を納めて境内に置かれているものもある。商売繁盛や売掛金の回収などにご利益があると信心する人が多いのは、祭神の清原頼業の名前の語呂(ごろ)にちなむという説も。金が「寄り」、商売が「成る」という縁起かつぎのユーモラスな知恵。お礼の石の文字には国家試験合格や小学校講師になれた感謝などに混じって、「売り上げ向上」「○○子が仕事に行くようになりますよう」といった現代世相の一端が垣間見えるものもある。

一貫する反の姿勢

福岡道雄「反という字」(1990年)=ブロンズ、64.5×49.4センチ×1.3センチ

 現代彫刻家、福岡道雄が積み上げた樹脂製の石には、「反」の文字が刻まれている。1990年につくったブロンズ彫刻には、地面に棒で大きな『反』の文字を描いている人物の作品もある。アーティストは、現実をみつめ、自分という存在の根っこに錘鉛をおろして表現する。1958年に大阪の画廊で関西では最初となった個展発表を行った福岡は、一貫して無所属の立場で活動してきた。自己の内面をみつめ、死にたくなる思いの自己救済の術として、あるいはまた、日常身辺の風景にしのびよる環境汚染などへの警鐘をこめて、寡黙だが、重い意味を宿した彫刻作品を創作してきた。

福岡道雄「反の石」(1996)

 「ただひたすら『反』という文字を頭に彫刻を作ってきたような気がする。それは反抗の『反』であり、反対の『反』であり、また反省の『反』でもあったわけだ。…」。福岡は著書『何もすることがないー彫刻家は釣りにでる』のあとがきにこう書いている。

 フナ釣り好きの福岡は、釣り糸を垂れていて眺めるさざ波をモチーフにしたり、アトリエの庭の草むしりをする自画像的な作品などの風景彫刻を通して、確実に進む環境汚染などの危機をみつめてきた。彫刻に「反」の文字が最初に入ったのは、波の造形の上に「反」の漢字が浮かぶ「反という波」(1990年)。その5年後、1995年1月の大阪・信濃橋画廊の個展で福岡は「僕達は本当に怯(おび)えなくてもいいのでしょうか」をテーマにした個展を開催、木製の棺造形を展示した。会期中に阪神大震災がおこり、結果的に警鐘の意味をなげかけることにもなった。

 この数年来、福岡は黒い樹脂板に電動彫刻刀で「僕達は本当に怯えなくてもいいのでしょうか」の文字を繰り返し、書き連ねる平面作品をつくり続けてきた。どこか写経にも通じるような現代アートの表現行為でもあり、現代の文明社会や人間存在の生への呪文(じゅもん)のようでもある。=敬称略

[ 戻る ]

<バックナンバー>
◆アート新・古・今 《1》 《2》 《3》 《4》 《5》 《6》 《7》 《8》 《9》 《10》 《11》 《13》 《14》 《15》 《16》

◆ひとARTALK ◆発動 京都の工芸 ◆挑発する美術家たち