アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《13》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもい まひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなっ てきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
東本願寺の毛綱と八木マリヨの「縄バイタルリンク」

世界一の大きさ広さを誇る御影堂の壮大なたたずまい。現在は瓦ふき替えの素屋根に覆われている
  京都には日本一の木造古建築が多い。いちばん高く大きい塔は、東寺の五重塔。長さでは三十三間堂。そして大きさと面積では真宗大谷派本山・東本願寺の御影堂が日本一いや世界一をうたう。重層入母屋づくり。正面幅の長さ63メートル、側面奥行き45メートル。高さを除いて東大寺大仏殿を上回る壮大さだ。

 現在の御影堂は、阿弥陀堂とともに明治28(1895)年に再建された。それ以前の伽藍(がらん)は、元治元(1864)年、蛤御門の変による大火、いわゆる「どんど(ん)焼け」のために灰じんに帰した。東本願寺は、慶長7(1602)年に西本願寺から分かれて創建以来、京都の大火で4回も焼失している。そのたびに立ち上がり、堂宇をいっそう充実させてきた門信徒の熱い信仰と宗祖・親鸞聖人への思いの深さを如実に物語ってくれるのが、毛綱である。

外国人の感動誘う

明治の御影堂と阿弥陀堂再建へ門徒たちの熱意と信仰の力を凝縮した毛綱。再建事業を見学した外国人の心もとらえた
  毛綱は、御影堂の梁などの用材を引き上げる綱として使われた。現代のような大型クレーンなどはなかった時代。太い用材を引き上げるときに絶対に切れない強い綱をつくるため、女性信徒らが髪を切って編んだ細綱をよりあわせ、太く強じんな綱にしたのが毛綱である。再建に向けた動きが始まるとともに北陸門徒などを中心に全国から寄進された。その数大小53本。長いものは110メートル、最も太いものは直径40センチ、重さ1トンを超えるものもあった。

 御影堂の用材17万本、瓦屋根17万1000枚、全工期にかかわった人員・工数は128万3000人余…ぼう大な数字が物語る再建工事が行われていた当時、毛綱は海外から見学に訪れた外国人の心をとらえた。「米国から来日にしたV・M・ロー博士は、毛綱2本を払い受けてロンドンとニューヨークの博物館に展示したいむねを申し入れたが、ご門徒の熱心より出たものをみだりに譲りがたいと断られ、毛綱の員数および丈尺と写真を撮って帰った」という(東本願寺発行『両堂再建』)。

 毛綱は現在、進行中の修復工事に伴い、阿弥陀堂に移され、ガラスケースの中に保管されている。渦巻き状に積み上げられた圧倒的な存在感。信仰の証として見る者を強烈に引きつける。

縄アートの展開

 彫刻家・環境芸術家の八木マリヨの「縄バイタルリンク」は、信仰とは無縁。素材も髪の毛ではなくTシャツの古着だ。綱ではなく縄を重要なコンセプトに、多数の人の参加を得ながら、人と人の心を無限につないでゆくプロジェクトを国内外で展開してきた。4年前の2000年12月25日。この日の昼間に、長さ11メートル、直径1・2メートルの巨大な縄柱が京都市役所前の広場に立ち上がった。かかわった延べ人数は1万21000人。保育園の園児から大学生、障害のある人やお年寄りまで、さまざまな人が参加し、願い事を書いた古着のTシャツを縫いつないで小縄に綯(な)い、小縄から中縄、大縄へと半年がかりで作り上げ、最後に完成させた特大縄。参加者が見守るなかでそびえ立った縄柱は、21世紀を前にした冬の夜、吹いていた強風も点火直前に止み、炎の柱となって燃え上がって灰となった。

 「縄バイタルリンク」は、参加したひとり1人が自分と向き合い、自分が自分であることを認める機会になる。自分をみつめ自分を生かすことで、相手を生かし、互いに向き合うことができる。縄は、「汝我(なわ)」であり、「あなたとわたし」。あなたとわたしが相向き合って、はじめて「なわ」になる。参加者が互いに力を出してよりをかけ、縄をなっていくプロセスを通して、宇宙の動きや遺伝子DNAの螺旋(らせん)構造に象徴される、いのちのリズムを体感する。その心の動きや感動は、自分たちが参加して作り立ち上げた縄柱が炎となって燃え上がり、消えてなくなることで、より鮮明になり永遠の記憶となる。

縄の自立と感動

「縄バイタルリンク」に参加して縄をなうさまざまな市民
 八木が縄と出逢ったのは、ふるさと神戸から京都に移り住んでほどないころ。本願寺近くの仏具店で鈴のついた古びて汚れた麻縄を見たときだ。身体が震え、稲妻に打たれたような感動を覚えたという。1972年から縄の作品をつくり始めていた八木は、縄の中心に金属などを入れ、縄を自立させることを可能にした。自立する縄がステンレスの鏡面効果で何本にも映る「ザ・ルート(根)」を75年のスイス・ローザンヌのビエンナーレに出品、繊維による彫刻として高く評価された。

 八木が縄と出逢ったのは、ふるさと神戸から京都に移り住んでほどないころ。本願寺近くの仏具店で鈴のついた古びて汚れた麻縄を見たときだ。身体が震え、稲妻に打たれたような感動を覚えたという。1972年から縄の作品をつくり始めていた八木は、縄の中心に金属などを入れ、縄を自立させることを可能にした。自立する縄がステンレスの鏡面効果で何本にも映る「ザ・ルート(根)」を75年のスイス・ローザンヌのビエンナーレに出品、繊維による彫刻として高く評価された。
京都市役所前広場に立った縄バイタルリンク2000京都「21世紀―新地軸」の巨大縄柱(橋本正樹撮影)

 縄の作品は、巨大な縄が地球の内部から突き上がり地上に出てきたような「地軸」(1988年)を経てスケールを増し、同時に多数の人たちが参加して、人と人が言葉で表せない心の絆でつながっていく縄アートのコンセプトが明快になっていった。地球規模の環境汚染や貧困、紛争など人類生存の前に横たわる危機の問題を解決するつながりへの願いとともに。

 「縄バイタルリンク」プロジェクトは90年代以降、ブラジルやアイルランド、オランダ、イタリア、ドイツなど海外でも繰り広げられ、多数の参加者たちが古着を巨大な縄になうプロジェクトを成功させてきた。阪神大震災のあった1995年には、秋10月から、神戸の人々にはたらきかけてTシャツなど古着一万着をより合わせて直径1メートル、高さ8メートルの巨大縄を神戸・御影の弓弦羽(ゆづるは)神社に立ち上げた。翌年1月17日の震災1周年記念式に参加した2000人が見守るなか点火、炎上し、鎮魂の炎ともなって、被災した人たちの心を癒し、生きる力のつながりともなった。

 2000年に京都市役所前広場に立った縄バイタルリンク「21世紀−新地軸」は、八木の続けるプロジェクトのなかでは最も大きな縄柱だった。参加した多くの人の心に記憶は今も鮮明であり、強い寒風のなか燃え上がった縄柱の炎とともに、思い出は生き続ける。=敬称略

 (随時掲載します)

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