アート新・古・今
京都の時空に遊ぶ《15》
 閉塞感ただよう世の中同様に、アートシーンもいまひとつ元気がない。それでも京都の歴史都市空間には、新しい芸術表現の種がまかれ、社寺の建築や庭園の造形、伝統文化が現代の美術表現のヒントともなってきた。そんな京都の時空を自由に歩いてみたい。
曽根隕石と野村仁の「軟着陸する隕石」 天から降る石へ敬意を込め

 宇宙空間に漂っている岩や塵のかけら。地球外物質の破片が大気に突入すると、摩擦熱で強力な光りを発して燃え、日中でも見える「火球」という発光現象を出現させる。「火球」は「流れ星」のように燃え尽きることはなく、ときに大きな音をとどろかせて、地球の表面に固形物として到達する。これが隕石(いんせき)で、含まれている鉄の割合によって、ほとんどが鉄分の鉄隕石、鉄と石がまじりあった石鉄隕石、石でできている石質隕石の三種類に分けられる。

 隕石の正体が科学的に理解されるようになったのは19世紀になってから。正体を知らなかった古代の人々は、天から降ってくる地球外物質をあがめ、隕石をご神体にして祭ったりした。日本にはそうした隕石伝承が各地に残り、京都でも高台寺道沿いにある青龍寺には、隕石という伝承の「念仏石」が本堂内などに鎮座している。

 科学分析によって確認されている国内の隕石は、05年版の「天文年鑑」では50個。京都では京都府丹波町曽根の地に慶応2(1866)年6月7日に落下した「曽根隕石」のみである。

京都で唯一の確認

慶応2(1866)年に京都府丹波町曽根に落下した曽根隕石。科学的に確認された京都で唯一の隕石。29.6×17.2×17.0センチ。(東京上野・国立科学博物館提供)

 このときの落下のようすは江戸時代に暦術をつかさどった京都の土御門家の文書に記録されている。

 「…正午過ぎるころ、天に大砲を発するがごとき二声あり、これに続いて吹螺(すいら)のごとく雷の四方に轟(とどろ)くがごとき、その中に礫(れき)を弾きて気を陵(しの)ぐに似たる声して何物か落ちたるように覚ゆ、さる程に轟(ごう)声も止(や)み午(うま)の半刻までに天も晴れたり、人みな出て見渡すに、船井郡曽根村の土橋の南なる麦作れる畑より土煙のごときもの立ち登れり…」

 記述には地図も添付され、専門家の現地調査によって丹波町曽根小字岸ケ下石浦とされている(「星の手帖」92年春号所載の村山定男「隕石の旅(7)」)。この隕石は、曽根隕石として東京上野の国立科学博物館で展示されている。重さは17・1キログラム。石質隕石としては日本で3番目の大きさ。丹波の代官をしていた家で代々所蔵されてきたが、12年前に、京都府に寄贈された。その際に、曽根に里帰りし、落下したとされる場所に説明看板やレプリカ(模造品)が設置されたが、今はレプリカは役場に移され、落下場所の目印は何もない。

現代の造形表現に

野村仁の作品「軟着陸する隕石'96」。YS11型飛行機の水平尾翼上に優に100キログラムを超える隕石が乗る

 隕石は、私たちが間近に見たり、手でふれてみることのできる唯一といえる地球外物質だ。この隕石を現代の造形表現に取り入れたのが京都市立芸大彫刻科教授の野村仁(1945−)。古今東西アーティスト多しといえど隕石を作品にした唯一の美術家だ。野村は、初期のころから時間の経過とともに変化する物質や空間をテーマにし、宇宙や天体の視覚芸術化といえる造形表現を展開してきた。カメラの魚眼レンズを空に向けて開放にした状態で日の出から日没までの一日の太陽の軌跡を一枚の写真に撮り、それを毎日続ける。雨の日の場合は、翌年の同じ日に撮り直す。こうして365日一年分の写真をそろえ、一枚一枚がつなぎ合わされてできた螺旋(らせん)状の造形「北緯35度の太陽」の作品。渦巻きが無限大の記号(∞)ような左右対称になった「赤道上の太陽」の作品。あらかじめ五線譜を撮影したフィルムをいったん巻き戻し、新聞の月齢の暦を最初に撮影したあと、その夜の月を撮影し、五線譜の上に満月や三日月が乗る’moon’ score(月の楽譜)の写真作品と、その楽譜を音符に置き換えて作曲したCDの発表など、宇宙や天体を視覚や音楽で視聴化する独創的な表現で国際的な評価を得てきた。

 野村が隕石を取り入れた作品をつくるようになるのは90年代だが、その伏線は82年にインド・トリエンナーレに選ばれて出品したさいに、釈迦の生誕地や涅槃の地など、ゆかりの聖地を車で巡ったことにある。懐かしく気持ちの良い旅を経験して帰国した、その年の秋、大阪の街を歩いていて、店のウインドーに置かれていた小指の先ほどの大きさの隕石が目に止まった。その形が壁に向かって座禅修行する達磨や、風に衣を翻して前に向かって進む釈迦の姿に見えた。天から落ちてきた無加工の物質が、人類の歴史や文化上の存在に見立てることができる不思議。野村は、米国やメキシコで、多様な形の面白さのある鉄隕石を購入、手に入れた。

宇宙との共生示す

野村仁「コスミック・センシビリティー:超螺旋/1983―96」

 大理石の上に鉄隕石をのせ「見立て」の形で発表していた野村が、思い切った発想の大作にしたのが、「軟着陸する隕石」だ。YS11型飛行機の水平尾翼の上に大きな鉄隕石がソーラーパネルの翼をつけて鎮座している。ゆっくりとまさにソフトランディングする光景がイメージされる。

 「地球ができた後で遅れて落ちてくる隕石は地表に大きな穴(クレーター)を開けたり、地球に激突して恐竜を絶滅させたとも言われたりする恐い存在でもあるのですが、私が作品に使う隕石は90パーセントが鉄の鉄隕石です。私たちの血の中のヘモグロビンにも鉄分ありますし、もし46臆年前の地球生成のときに隕石が落ちたと仮定したら、同じ鉄分が私たちにも流れているかもしれない。そう考えると、隕石を丁重にウエルカムしたい、ゆっくりと降りてもらって歓迎したいという気持ちになったんです」と野村は動機を語る。

 そんな敬意を込めたのが「軟着陸する隕石」や、隕石とDNAの螺旋構造の立体とを組み合わせた「コスミック・センシビリティー:超螺旋」だ。天から落ちる隕石に対する敬愛は、意表をつく造形のなかにユーモアと不思議を息づかせて、マクロとミクロの宇宙への扉を私たちに開いてくれる。=敬称略

 (随時掲載します)

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