「挑発する美術家たち」
 社会とのかかわりを強く意識しつつ時代を挑発する表現に取り組む美術家たちを紹介する。  (毎月1回掲載します)

最高権力者を無化し実存に迫る
19・完郭徳俊さん

 どこかで見た顔だ。いや、違う。誰(だれ)だ、この男は…。

 京都市在住の現代美術家、郭徳俊さん(1937−)が展開する「大統領シリーズ」を前にすると、視覚と記憶が軽い錯綜(さくそう)をきたす。

 一見、一人の男の顔を写したと思えるこの写真シリーズ、実は上半分が雑誌の表紙を飾った米国大統領の顔、下半分は郭さん自身の顔を、鏡を使って合成した作品だ。左側に見える郭さんの横顔や、鏡を持つ手に気付くと、意外にシンプルな制作の仕掛けが分かり、ユーモアたっぷりの着想に思わず笑ってしまう。

 それにしても、世界に覇を唱える超大国の最高権力者と、自分の顔とを合成するとは、何とも大胆不敵ではないか。

 郭さんが同シリーズに着手したのは74年、フォード大統領の時からだ。「最初は誤解も受けました。大統領に乗り移りたいのか、などと」。4年に1度、新たな大統領が就任するたびに新作を手がけた。カーター、レーガン、ブッシュ(父)、クリントン、そして現ブッシュ。「世界中に知られる世界一の権力者と、無力な美術家をプラスしてゼロにする」。権力や知名度など身にまとう「意味」を無化することで人間の実存を問う意図は、今では共感をもって受け止められている。

 日本国籍者として伏見に生まれた。日本の敗戦後に国籍を剥奪(はくだつ)され、在日韓国人2世として生きる。民族名から日本の通称名へ、再び民族名へと名を変えた経験は、国籍や名前に左右されない自己の実存への思いを深めさせたに違いない。日吉ケ丘高校で日本画を学んだ後、20代に結核で3年間の療養生活を送った。「あっという間に蓄えが底をついた。物は無になる、と痛感した」

 ろうけつ染めのアルバイトなどで生計を立て、60年代には絵画、70年代にはパフォーマンスなどに取り組んだ。「生命力が戻った後、自己証明のような感じで懸命に制作した」作品は、その時々の美術の流行とは必ずしも重ならなかったが、「風化シリーズ」や「無意味シリーズ」など独創的な中に普遍性をも宿した表現への評価が高まり、近年は新潟市美術館(01年)や韓国国立現代美術館(03年)など大規模な回顧展が相次ぐ。

 「現代美術は頭で考えるだけでなく、身体性と実存性が重要。生身の瞬間を大切にしたい」と、「大統領シリーズ」では鏡を使った即興的な撮影にこだわる。5年前にはホワイトハウス前で、当時のクリントン大統領と「合体」した2作品を野外展示し話題を呼んだ。今、米国では大統領選が終盤だ。「他国との協調性ではケリーの方がましだが、米国の利権を追う点ではブッシュもケリーも一緒」と評する郭さんと、次に合体するのは、さてどちらだろう。

  写真(左)=「古代ギリシャやローマが滅び、ソ連が崩壊したように、米国も永遠に存在する訳ではない。だから米国だって無意味なんです」と語る郭徳俊さん(京都市伏見区のアトリエ)

写真(右)=「大統領シリーズ」から「ブッシュ2001と郭」(2001年)

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出品作を刺す快感と痛み
18児嶋サコさん

 愛らしい目をした小動物のオブジェに、待ち針が突き刺さる。手足や頭に、何本も。それだけではない。舌に、目に、そして性器にまで。見る側にも、ちくちくと痛みが伝わってきそうだ。

 オブジェは現代美術作家の児嶋サコさん(1976−)の作品で、針を刺したのは個展を訪れた鑑賞者だ。2002年に大阪で開催された個展のタイトルは「さす!?」。来場者に待ち針を渡し、作品に刺してもらうのがコンセプトだった。

 「ぬいぐるみを作る時に、待ち針を刺してアクセントにしたり、目玉にしていた。柔らかいものに針を刺すのは気持ちいいし、できたものも針を刺された姿が痛々しげでかわいらしい。その気持ちよさを体験してもらおうと思った」。展示作品に針を刺す非日常的な行為も面白い、と考えた。

 同時に、「刺される気持ちよさ」も意識した。「心がしんどい時に、肉体的な刺激を受けると、その時だけでも心が楽になったりしますよね」

 刺す気持ちよさと、刺される気持ちよさ。倒錯的ともいえる快楽を鑑賞者が共有した結果、小動物たちは哀れ、全身に針を負った。「私が客だったら、そこまでできないだろうな、というところまで。イテテ、と動物に感情移入してました」

 作家活動の原動力は、生きる痛みや苦しみにあるという。「刺激が強すぎるものが世の中に結構多い。刺激的な事件とか戦争とか。一人でいるのもしんどいけれど、人と一緒にいると傷つけ合ってしまったり」。人間として生まれた以上、避けようのない痛みや苦しみ。そこから生まれる作品は、愛らしくユーモラスな装いの内に、生や性の切実さを秘める。

 東京生まれ。広島の女子中学時代は「自己主張したかったのに誰とも話が合わず、生殺しみたいだった」。放課後の図書館でムンクなどの画集に触れ、美術に興味を持って京都市立芸術大学へ。絵画や映像表現を経て、立体やパフォーマンスにも取り組む。今年は夏に大阪で戦争を主題にした個展、フランスでは着ぐるみでハムスターになりきるパフォーマンスを展開。現在は自意識をめぐる2人展を大阪で開き、以後も東京でグループ展や個展と発表が続く。

 自身にとっての美術を「コミュニケーションの方法」と位置づける。「私が感じる苦しさは、他の人も抱えていると思う。そういう人と気持ちを分かり合い、一緒に笑い飛ばしたり泣いたりして、その人の気持ちを少し楽にできたらいい」

 そのためにも、分かりやすさやリアルな表現を心掛ける。小動物を刺した針も、リアルな痛みや快感を分かち合うための、大切な媒体だったのだ。

 写真(左)=女性は女性として認知されるため「女着ぐるみ」を着ている、というのが開催中の2人展出品作の主題。女性の表皮をかたどった服を、本来の自分をイメージした動物に着せた(大阪市北区西天満・Oギャラリーeyes)

 写真(右)=個展「さす!?」の出品作「BABYLONGARM」2002年

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原爆主題に米国で共同制作
17柳 幸典さん

 縦5メートル、横3メートルほどの薄手の布に、巨大なキノコ雲が赤い背景から浮かび上がる。下には蓋(ふた)が開いた鉛色の箱が置かれ、雲は箱から立ち昇るように見える。

 柳幸典さん(1959−)は9年前、広島への原爆投下を主題にした作品「ザ・フォービドゥン・ボックス」を、原爆を投下した当事国である米国で、米国人技術者とともに共同制作した。

 「布を使う作品制作のワークショップでした。日本人作家のぼくが、アメリカ人と一緒に何を作るか。原爆投下の事実は日米間で最大のタブーとされ、アメリカと日本とでは、正当性の強調、感情的な反応、政治への利用など、全く違う立場で理解されている。重大なテーマだと思った」

 キノコ雲の傘のすぐ下に、英文と和文が重ねて記されている。日本国憲法第9条と英訳、それに英文の憲法草案だ。

 「日本の憲法は日米が最大のコラボレーションで作り上げた」。米国人スタッフとの共同制作に、憲法制定へ至る日米間のやり取りをだぶらせた。

 下に置いた箱は、浦島太郎の玉手箱やパンドラの箱からの連想という。禁じられた箱を開いた人類は、半世紀を経て、箱の存在すら忘れ去ってはいないだろうか。

 95年にニューヨークの美術館で開催した個展では「ザ・フォービドゥン・ボックス」を、ほぼ文節に分けた憲法第9条を赤いネオンで示した作品「アーティクル9」とともに陳列した。「解体された条文を再構築しながら読む装置」と作家が位置づける「アーティクル9」は、「コレヲ認メナイ」「武力ニヨル威嚇」など言葉の本質的な意味を改めて突き付ける。

 福岡県生まれ。遊び場だった海岸には、中国や朝鮮半島からの漂流物が打ち上げられ、海でつながっていることを実感した。東京の美大を卒業後に米国へ留学し、自己や他者、日本や世界についての考えを深めた。

 「人間を幸せにするためのシステムが、人間を疎外している」。国家や通貨への疑問は、砂で描いた国旗や紙幣をアリが崩していく「アント・ファーム・プロジェクト」や、日の丸の連作などに結晶した。昆虫や既製品も活用して問題の所在を示唆する機知に満ちた作風は、滋賀県立近代美術館で開催中の「コピーの時代」展に並ぶ「バンザイ・コーナー」や「マネー・クレーン・ブラインド」にもうかがえる。

 「アーティストとして自由な精神であり続けたい」と願う。能動的に他者とかかわらなければ、真の自由はあり得ない。そう考えるからこそ、歴史に、世界に、対峙(たいじ)し続ける。

 写真(左)=「死者は最大の他者。死者の立場からものを見たい」と、柳さんは近年、沈没した旧日本軍艦をダイビングで訪ねるプロジェクトに取り組んでいる。後方は作品「Loves me, Loves me not」(福岡県内のアトリエ)

 写真(右)=クイーンズ美術館(米国ニューヨーク)での展示風景(1995年)。作品は奥が「The Forbidden Box」、手前下が「Article 9」

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美術史の虚構を暴く醤油画
16小沢 剛さん

 日本の伝統的な絵画の一分野である「醤油(しょうゆ)画」をご存じだろうか。創始者は弘法大師で、雪舟や狩野山楽らも作品を残した。高橋由一ら近代の洋画家も醤油画を描いた。伝統は今も生き続け、前衛的な現代美術家も作品に醤油を活用している…。

 香川県坂出市の讃岐醤油画資料館を初めて訪ねた際、不覚にも説明板の記述を少し信じかけた。だって弘法大師の故郷である讃岐には坂出など醤油の産地があるし、涙でネズミを描いた雪舟ならば、醤油で山水画くらい描きそうではないか。

種を明かせば、醤油画の歴史は現代美術家の小沢剛さん(1965−)による創作だ。資料館に並ぶ作品は「自分が知っていて、一般にも有名と思われるものを中心に」模写した。画材の醤油は塩を抜き、防カビ剤を加え、膠(にかわ)で定着性を高めた。それにしても醤油画などという怪しい代物を、もっともらしく資料館仕立てで見せる着想には恐れ入る。

 醤油画には「温めてきたアイデアと偶然がミックスしている」という。紙に付いた醤油のシミを見て「乾いたら絵の具のような色になるかも」と醤油で落書きした経験。20世紀の終末を機に抱いた、歴史を総括する作品の構想。さらに「美術史をモチーフに、勝手な解釈で料理して作品を作れないか」との思い。その根底には美術史への批評的なまなざしがある。

 「極端にいえば日本の近代美術史は、妄想と誤解でできている」。日本画/洋画の概念のあいまいさ。西洋美術への不十分な理解。それが今も教科書に載り、権威ある美術史としてまかり通っている。そんな美術史の虚構性への疑念が、各地で独自の世界観や歴史観を展開する私設展示施設への興味と結びつき、醤油画資料館へ結実した。

 東京生まれ。幼時から絵を描くのが好きで、美術の道を選んだのも「得意科目だったから」。ところが芸大受験用の描法を美術予備校で学び、一般的な美術観との落差に驚く。公募展の搬入のアルバイトで審査の内実を垣間見たのも、美術の世界への疑念を増した。

 醤油画以外の作品も、美術に対する問題意識を映す。牛乳箱の「なすび画廊」は資本を背景に美術家を束縛する画廊システムへの、他者と話し合い絵を描き変える「相談芸術」は美術のオリジナリティー神話への、ユーモアを含む異議だ。

 醤油画資料館は滋賀県立近代美術館の「コピーの時代」展(9月5日まで)に出展中。今春はスウェーデンで3カ月間滞在制作し、秋には東京・6本木の森美術館で大規模な個展が控える。「美術が大好きであると同時に大嫌い」。裏腹な気持ちから目をそらさず、アートの現在を生きる。

 写真(左)=「まじめにふざけるのが美術に対する自分の態度かも」と語る小沢さん。「コピーの時代」展には金山明さんの作品(後方右)を、リモコンカーを使う同じ手法で醤油画に再現した新作も出展

 写真(右)=醤油画資料館は国内外に3バージョンあり、「コピーの時代」展には福岡アジア美術館の所蔵品を出展。横山大観「流燈」の醤油画などが並ぶ(大津市瀬田・滋賀県立近代美術館)

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時空を超え、画聖と「共同制作」
15嶋本 昭三さん

 「雪舟が泣いている、とよく言われますよ。でもぼくは、むしろ雪舟は喜んでいるはずだ、と思うんです」
 いたずらっぽい笑みを浮かべて、現代美術家の嶋本昭三さん(1928−)は話す。
 
 「画聖」ともたたえられる日本の水墨画の大成者が、なぜ泣いたり喜んだりするのか。それは嶋本さんが、雪舟の作とされる水墨画に赤ペンキで「あ」の字を 加筆し、新たな作品として発表したからだ。

 雪舟のファンや研究者ならずとも目をむきそうなこの行為を、「雪舟とのコラボレーション(共同制作)」と嶋本さんは位置づける。

 新たな作品に生まれ変わった水墨画は、豊干(ぶかん)と寒山(かんざん)、拾得(じゅっとく)、虎(とら)が眠る「四睡図」だ。縦長 のキャンバスに少し傾けて貼(は)り付けられ、大きな「あ」の字の一部が画面を大胆に横切る。

 意表を突くコラボレーションの背景には、嶋本さんが長年取り組む「メール・アート」がある。世界各地の美術作家が作品を郵便でやりと りするメール・アートでは、届いた作品に手を加えて新たな作品を生み出すことが珍しくない。「作品の絶対的価値」や「オリジナリティーの尊重」といった美 術界の前提が軽々と覆され、むしろ作家のネットワークから飛び出す予想外の展開が、大らかな美の喜びを生む。

 嶋本さんも、剃(そ)り上げた自身の後頭部に描く絵を呼びかけるなど、メール・アートを通してさまざまなコラボレーションを試みてき た。「国王や大統領に平和のメッセージを求めたこともあるし、庶民と共にやるのも大好き。ただし安易になりがちでもある。そこを引き留めるため、大事にさ れているものの上にコラボレートする意味があると思った」

 大阪・弁天町生まれ。関西学院大学在学中に美術家の吉原治良に師事し54年の「具体美術協会」結成に参加。「人のマネをするな」との 吉原の教えを受けて、新聞紙を支持体とした「穴をあけた絵」や、ペンキ入りの瓶を投げつけて描いた絵画など、固定観念を破る作品で注目を集めた。

 72年の「具体」解散後も「世界にない新しい美を生み出すこと」を中心に据えて活動を続け、ベネツィア・ビエンナーレに3度出展。今 年4月にはプレ・ビエンナーレの催しとして、ヘリコプターから絵の具を投下して絵を描くパフォーマンスをベネツィア北郊で実施した。京都教育大学名誉教 授、宝塚造形芸術大学教授の顔も持つ。

 制作を通して、自己の内面的な改革を重視してきた。だからこそ嶋本さんの作品は、鑑賞者に対しても常識や価値観の見直しを迫る。それにしても雪舟、もっ たいないとか思いませんでしたか?「あの絵、実はもらい物なんです。どうやら雪舟の絵を表裏2枚にはがしたうちの一方らしい。画商と付き合いがなく、値段 も分からない。迷いはありませんでしたね」。ちなみに赤ペンキは「一番の安物」だそうだ。

 写真(左)=ヘリコプターから絵の具を投下し絵を描くヴェネツィア でのパフォーマンスに際し、機内で絵の具入りコップを掲げる嶋本昭三さん(右)。幅90センチ、長さ10メートルほどの布を4枚並べ、20メートル上空か ら約150個を投下した(4月25日、しょうのひでより氏撮影)

 写真(右)=「雪舟とのコラボレーション」として発表した作品(写 真提供=ギャラリーテラ)

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「取り扱い注意」生む好奇心
14会田 誠さん

 「取り扱い注意の作家」と人は呼ぶ。現代美術家の会田誠さん(1965−)が手がけた作品には、物議を醸すものが確かに多い。

 裸の美少女を家畜や食材として描く絵画「犬」「美味ちゃん」の連作。ホームレスが強制退去させられた新宿西口に置いた段ボール製天守 閣「新宿城」。ニューヨーク上空に零戦(ゼロせん)編隊を描いた六曲屏風(びょうぶ)「紐育(ニューヨーク)空爆之図」は9・11を予見したとも評され た。

  「作品の4分の1くらいは不道徳なタイプ。だから4分の1くらいは当たってますかね」。作家は「取り扱い注意」の称号を、こう分析する。

 もちろん、物議を醸すのが制作の目的ではない。「こんなの作っちゃったらどうなるか、という好奇心みたいなものが一番強い動機」とい う。「新宿城」は制作費が捻(ねん)出できず、容易に手に入る段ボールで何が出来るかを考えた。「紐育空爆之図」は加山又造の「千羽鶴」から着想した。 「あの絵が好きで、ぼくもやってみたかった。鶴を零戦にしたら? それならニューヨークかな。街が碁盤の目状だから洛中洛外図みたいにハマりそうだし。零 戦を無限大マークにすれば、戦争が負けて終わった後も日本人の心の奥底にある反米感情を描いた、と意味づけもできる。ふむふむ、やるか。という感じ」

 論理的な思考から作品へ至ることは、ほとんどないという。内面の表現よりも「外側の何かからネタを拾う方が大人じゃないかな」。社会 派の気負いはない。けれども「芸術家はジャーナリストとは違うやり方で時代を記録する仕事をやるべきだ」と、21日から京都初公開されるドキュメンタリー 映画「≒会田誠 無気力大陸」で語っている。

 映画は絵画「人プロジェクト」の制作に取り組む様子を追う。密林を切り開いて巨大な「人」という字の芸術作品を置いたとの設定は、芸 術活動への皮肉ともみえる。「現代美術はほとんど滅びかけた多目的広場」との挑発的な言葉も映画では口にした。「属するジャンルにちょっと不満を垂れたい タイプ」と自己分析する。「最初に不道徳な作品を描いたのも、世間一般への毒というより、美術とはこういうものだと押し付ける教授に、分かり易いイヤミと して作ったのがそもそもで」

 冷めた批評眼とユーモアのセンス、それを表現する構想力が持ち味だ。東京芸大での専攻は油画だが、絵画にとどまらず立体や小説など多 彩な分野で表現活動を行い、01年の横浜トリエンナーレなどに出展。今春は出品した展覧会が4つ相次いで開かれた。

 新潟県生まれ。小学5年のころから自作マンガを友だちに見せるのが楽しみだった。「作ったものを人に見せたい欲求は、何の理由もなく 地球のマグマのように、内部で燃え続けている」。そんな「発表欲」が次に見せてくれるのは、どんな作品だろうか。

 「≒会田誠 無気力大陸」は24日まで日本イタリア京都会館(東一条通東大路西入ル)で上映。問い合わせはRCSрO75(342) 4050。

 写真(左)=美術家にならなければ「SFXの裏方と か、やりたかったかも」と話す会田誠さん。後方は作品「Girls Don’t Cry」(4月11日、KPOキリンプラザ大阪)

 写真(右)=「紐育空爆之図(戦争画 RETURNS)」1996年 (courtesy Mizuma Art Gallery)

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痛みと恐れ 生の瞬間を凝縮
13マリーナ・アブラモヴィッチさん

 80人余りの子どもたちがステージで5段に整列し、合唱する。歌声は明るい。けれど指揮をするのは骸骨(がいこつ)だ。子どもたちも全員、真っ黒な服を 身に着けている。歌声とは裏腹な不吉さが漂う。

 旧ユーゴスラビア出身のパフォーマンス・アーティスト、マリーナ・アブラモヴィッチさん(1946−)の映像新作「カウント・オン・アス」の一部だ。体 に骸骨を着けた指揮者は作家自身。合唱はベオグラードの10歳の少年少女による。

 歌は「国連の素晴らしさをたたえる内容で、ベオグラードの国連関係の学校で歌われている」と明かす。骸骨が子どもたちを指揮する映像 と合わせれば、意図が浮かぶ。「国連はユーゴスラビアに何もしてくれなかった」との悲痛な思いだ。

 旧ユーゴでは91年以降の連邦解体の過程で紛争が続いた。セルビア人とクロアチア人の衝突。ボスニア内戦。コソボ独立紛争とNATO 軍による空爆。作品に登場する喪服のような衣装や骸骨は、暴力や死者の記憶をいや応なく呼び起こす。

 香川県丸亀市の丸亀市猪熊弦一郎現代美術館で5月30日まで開催中の回顧展「マリーナ・アブラモヴィッチ−TheStar」には、他 にも不吉や恐怖、痛みを感じさせる作品が少なくない。はしごの段をナイフに置き換えた立体「ダブル・エッジ」。パフォーマンス映像では、ヘビが体を這 (は)い回る「ドラゴン・ヘッズ」や、パートナーだった美術家ウーライと向き合い、胸へ向けた弓矢を互いの体重で引き絞る「レスト・エナジー」など。「リ ズム10」では左手の指の間にナイフを素早く突き立て、「トーマス・リップス」では、へその周囲にカミソリで星形を刻む。

 苦痛や危険を作品で扱うのは「今の瞬間に焦点を当てるため」という。「私たちは、未来を見通し、過去を振り返るうちに、大切な今、こ こを忘れてしまう」と話す作家はまた「恐れを表現することで、自分の中に抱えていたものを解放できた」とも自己分析する。

 軍の英雄を父に持ち、大義に身を捧(ささ)げる理想を抱いた。同時に、人前に出るのが苦手で、痛みや血に不安を感じる少女でもあっ た。そんな矛盾の苦悩から、パフォーマンスの経験を通して解き放たれたという。「大切なのは、自分自身であること。自分が抱える矛盾を恥じることはない」 との言葉は、深い経験から発した説得力を帯びる。

 60年代後半からパフォーマンスを手がけた。75年に祖国を離れ、オランダを拠点に88年までウーライと共同制作、世界的に知られる 存在に。97年にはユーゴ代表としての出品を拒否されたヴェネツィア・ビエンナーレで最高の金獅子(じし)賞を獲得。「カウント・オン・アス」制作のた め、四半世紀ぶりに祖国へ一時帰国した。

 複数画面を同時上映する「カウント・オン・アス」には、もう一つ印象的な部分がある。骸骨を着けた作家が地面に横たわり、周囲に集 まった子どもたちが無言で星形に座る。「未来の可能性があるとしたら、この子どもたちの世代。不確実な未来の星だけれど」。生の瞬間を凝縮したまばゆい光 は、この星の将来をも照らし出している。

 写真(左)=「パフォーマンスは決めたガイドライン通りに行い、起 きたことすべてが作品。今展はライヴのパフォーマンスは行わないが、ヴィジュアルとして質の高い作品を選んだ」と話すアブラモヴィッチさん(3月20日、 丸亀市猪熊弦一郎現代美術館)

 写真(右)=《Count on Us》2003 Marina  Abramovic

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軍事加刷切手の重い現実味
12太田 三郎さん

 「軍事」。通常郵便切手100枚からなるシートの切手全部に、ただならぬ言葉が印刷されている。切手を主題に制作を続ける太田三郎さん(1950−)の 作品「軍事加刷切手」(95年)だ。

 切手は郵政省発行の1円から30円まで8種類。郵便制度の整備に携わった前島密や、白鳥、巻き貝など、当時から郵便物で見慣れた図柄 だ。上から刷られた黒い明朝体の文字は素っ気ないまでに事務的で、作品に現実味を与えている。

 明治から昭和にかけての時代、軍事加刷切手は実在した。日露戦争後の1910(明治43)年、朝鮮半島や中国に駐屯する日本軍の下士官や兵士が1カ月に 2通の書状を無料で差し出せる制度が生まれ、その郵便物に使うため通常の3銭切手に「軍事」と印刷して発行された。小さな切手に加刷されたわずか2つの文 字が、日本による軍事的侵略や、郵便を含め主権を奪われた現地の人たちの苦難、遠い家族へも手紙を送ったであろう前線兵士の悲劇など、さまざまな史実を物 語る。

 太田さんが現代版の軍事加刷切手を制作したのは、第2次大戦の戦後50年が契機だった。戦争の記憶が社会から次第に遠のく中、「戦争 が起こると、具体的にこういうことになる」と改めて示すためだ。背後には不戦への強い思いがある。

 山形県温海町生まれ。故郷は大きな空襲こそ受けなかったが、親類や友人の家族には戦没者が珍しくなく、戦争は深い傷跡を残していた。 「働き手を失って貧しくなった家もあった。ぼくは、戦争でつらいことが起きたと実感できる最後の世代かも知れない」

 切手を作品に使うようになったのは、東京のデザイン事務所で働いていた85年から。郵便局へ通って消印を押してもらい場所や時間を表 現する作品に始まり、海で拾った貝殻や天気図などを図柄とするオリジナル切手の制作へと展開した。さらに「切手の持つ意味に根ざした作品を」と、戦地から 帰らなかった日本兵や中国残留孤児の顔写真を図柄とするオリジナル切手を発表。「切手は郵便物とともに遠くに送り届けられる。たとえ使えない切手でも、身 元情報を得るきっかけにはなるかも知れない」と考えた作品は、遺族などから大きな反響があった。以後も被爆した地蔵や樹木、戦没した画学生の自画像など を、独自の切手として作品化している。

 「独立した国がすぐに切手を発行して存在を国際的に知らしめることでも分かるように、切手はサイズは小さいけれど、言い表すものはす ごく大きい。領土争いの引き金になった例もある」。先日も、竹島(韓国名・独島)を描いた切手の発行を巡る日韓政府の意見衝突が起きたばかりだ。

 日本は現在、兵器を携えた自衛隊をイラクへ派遣している。軍事力を背景にした「国際貢献」の行く末に、再び軍事加刷切手に消印が押さ れるような暗い時代が待ち構えていないなどと、誰が言い切れるだろうか。「あってはならない切手」として制作された作品の意味は、10年を経てさらに重み を増している。

 写真(左)=太田三郎さんは、10年前から暮らす岡山県津山市で、 江戸時代の舟宿を改装しギャラリーを開いた。「戦争で焼けなかったから、こういう町並みが残っている。戦争はバカげています」

 写真(右)=「軍事加刷切手」(1995年)=部分

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フォルムの先入観砕く異形
11小谷 元彦さん

 巻き毛がかわいいワンピース姿の少女が、木の枝に腰掛けて無邪気に体を揺らす。現代美術作家の小谷元彦さん(1972−)が昨年、ヴェネツィア・ビエン ナーレに出品した映像作品「Rompers」は一見、楽しい幼児番組の趣だ。

 けれど鑑賞者はほどなく、映像に込められた毒に気付かされる。少女はカメレオンに似た長い舌を素早く伸ばして虫を捕る。眉(まゆ)は 奇妙に突き出し、体に異物を埋め込む「インプラント」を連想させる。枝には女性器を思わせる膨らみがあり、液体が滴り落ちる。地面では背中に人間の耳を持 つカエルの群れが、リズミカルに跳ね回る。明るい光に満ち、親近感も抱かせた世界は、実は不気味な異形たちが息づく異界なのだ。

 「異形」は気になるキーワードという。ただし否定的な意味ではない。「人体のフォルムの可能性は、無限大に広がっている気がする」。例えば無重力空間で は人間は手が伸び、脚は短くなるといわれる。「そんな人間が現れたら気持ち悪いだろうけど、それは僕らが先入観で見ているから。今の形が完全だという認識 は、間違っているかもしれない」。背中に人間の耳を実験培養されたネズミの映像に感じた、違和感と抗しがたい魅力。形あるものは形を変える、その変化の一 段階を取り出したい、と願う。

 先入観を問い直す造形は、美と醜、快と不快が背中合わせに共存する。KPOキリンプラザ大阪=大阪市中央区宗右衛門町=で3月28日 まで開催中の個展に出展した他の立体作品も同様だ。ユリの花弁を拘束具で大きく開き、雄しべと雌しべ、すなわち生殖器をむき出しにする 「Solange」。核兵器からイメージした「Berenice」は巨大な球体から無数の配線が触手のように伸び、威圧感や機能性とともに有機性や切断を 印象づける。新作では、頭部を包帯で覆ったパジャマ姿の幼児がタイル敷きの台に放置され、愛らしい子鹿は脚に冷たい金属製ギプスを着ける。

 京都市の中心部で育った。家の前は繁華街、裏は墓地。「喜々として人が歩く楽しい雰囲気と、常に漂う死の匂(にお)い。そんなコント ラストの中にいたことが、作品にも影響を与えている」と分析する。京都の仏閣の「静謐(せいひつ)でいて距離を突き放す感じ」が好きで、少年期は仏師をも 夢見た。東京芸大で彫刻を専攻したがアカデミックな学風になじめず、剥製(はくせい)など新しい素材、映像も含む新しい表現に挑戦してきた。

 ヴェネツィアに出品して「憑(つ)き物が落ちた」と笑う。「現代美術の作家にとって、ヴェニスは亡霊みたい。でも実際には権威的では ないし、国内の面白い展覧会に参加する方が価値を見いだせることも多い」

 4月に東京で開く個展までを「自分の作品として1回転終了」と位置づける。「これまでは枝葉や実の部分で、幹ではない。そろそろ、 はっきりした自分の核を見せたい」。それで葬られても構わない−冗談めかした言葉に、新たな展開への意欲と自信が見えた。

 写真(左)=「映像と彫刻は両極端で、墓地と繁華街みたいなもの。 真ん中の僕の家はどこか、そろそろはっきりさせたい」と語る小谷元彦さん。背後はヴェネツィア出品作「Berenice」(KPOキリンプラザ大阪)

 写真(右)=「Rompers」(c)Motohiko  ODANI Courtesy of YAMAMOTO gallery

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絶景の茶室で焚く体臭の香
10徳田 憲樹さん

 那智の滝を間近に望む青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)境内の高台に昨年3月、2つの現代的な「茶室」が出現した。透明アクリル板を組んだ1・8メートル 四方の立方体で、一方は内部で香を焚(た)き、他方は壁や天井の内面を覆う赤い石鹸(せっけん)の薄片が甘い香りを漂わせる。徳田憲樹さん(1960−) の作品「匂(にお)いの茶室」だ。

 香を焚(た)く茶室から出てきた男女が「いい香りだったね」と感想を語り合うのを聞いて、徳田さんは苦笑した。香は松栄堂(本社・京 都市)に調香を依頼した特製で、徳田さんの体臭をイメージした香りだったからだ。

 94年から嗅覚(きゅうかく)に訴える発表に取り組んできた徳田さんが、体臭を香にしたいと思いついたのは99年ごろという。「匂 (にお)いは記憶を強く呼び起こす。生前の写真や映像だけでなく体臭を残せたら、その人の記憶も一層鮮明によみがえるのではないか」と考えた。24時間着 用したTシャツなどを調香の資料とし、数種の香が生まれた。那智で実際に焚いた香は「モワッとした香り」(松栄堂リスン事業部の太田逸子主任)。もっと汗 を感じさせる香も調合されたという。

 体臭が他者に不快感を与える可能性があることは、徳田さんももちろん承知の上だ。「現実には体臭から差別や人権問題につながるケース もあるに違いない。その意味で体臭は社会的な存在と言える」。「いい香り」との感想に苦笑したのは、そんな思いからだ。

 
 同時に、体臭は香水などの人工的な香りとは異なり、包み込まれるような安心感をも与える、と徳田さんはみる。母親の服の匂いに安らぎを覚えた幼時の記憶 が根底にある。匂いの茶室には「人間の匂いを通して、地元の人たちや美術関係の人たち、訪れた人たちのぬくもりを感じてほしい」との願いを託した。

 神戸市に生まれ城陽市で育った。父親は銀行員だったが「大学を出て会社に勤めるという、階段を着実に昇っていくような生き方にすごい 違和感を覚えて」違う価値を追求するため美術大学へ。鑑賞者が作品から何かを受け取るだけでなく、鑑賞者自身も一部となって遊べるような作品を目指してき た。

 視覚ばかりが偏重されがちな社会の現状を背景に「五感の復権と身体性の回復」を唱える。作品で多用する石鹸(せっけん)は「体臭や汚 れを落とし、新たな匂いを身にまとう装置」との位置づけだ。世間では過剰とも思える清潔指向が根強いが、体臭を消し去り人工的な香りを付加する「脱臭文 化」に対しては「原初の感覚が失われる」「自然の匂いが一方的に悪い匂いへ分類される」と憂慮する。

 昨年は二条城築城400年記念展「美術離宮」で、皇室の菊と徳川の葵(あおい)の香りを約1000個の練り香により融合させ「公武合 体」を嗅覚で示して見せた。匂いを感じたら写真機のシャッターを切る「鼻カメラ」のワークショップも各地で展開している。今年は「匂いをビジュアルに変換 する」試みにも取り組むつもりだ。

 写真(左)=色とりどりの香を前にした徳田憲樹さん。体臭を基にし た香も同じような短い線香に成形されているが、市販はしていない(京都市北区・リスン北山店)

 写真(右)=那智の滝を望む高台に設置された「匂いの茶室」 (2003年3月、今井紀彰氏撮影)

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街に現れた自動小銃の一団
9 榎 忠さん

 自動小銃を手にした一団が休日の繁華街に現れたら、どうしますか。一目散に逃げる? 警察に通報する? いや、目立つ動きをして撃たれるよりは、息を殺 してやり過ごす手もある。

 そんなこと日本で起こるわけがない、との常識が神戸の中心部で覆ったのは、2000年11月3日。約150人が銃を携え、元町のアー ケード街などを練り歩いた。

 幸い、流血の惨事には至らなかった。それも道理。自動小銃は現代美術家の榎忠さん(1944|)の作品で、一団は2つの展覧会場の間 で作品を移動させる企画「プレイ・ステイション」の参加者だったからだ。

 「作品は場所によって見え方や感じ方が違う。美術館や画廊でなく街なかを作品が移動し、参加者がそれを体験することで、見せることや 見ることを問いたかった」と話す榎さんは「作品とはいえ銃だから、どんな反応があるかドキドキした」と明かす。一般に参加を呼びかけ、幅広い年代の男女が 行進した。

 
すれ違う人たちは逃げも隠れもしなかった。通報もされなかったし、事前に警察へ届け出なかったにもかかわらず、通りがかったパトカーに見とがめられること すらなかった。「都会では何かにつけ見て見ぬふりをする風潮があるが、もし銃が本物だったらどうするのか。通報されなかったのがむしろ恐ろしい」

 香川県生まれ。絵を描くのが好きで、就職のため神戸へ移ってから本格的に取り組んだが、権威的な公募団体に肌が合わず脱退。美術研究 集団ZEROで活動した後、一人立ちし、住宅街の空き地に巨大な地下洞窟(どうくつ)を掘ったり、頭髪やひげなど片側の体毛すべてをそった「半刈り」でハ ンガリーを訪ねるオアフォーマンスなど、日常性を揺さぶる発表を続けてきた。「ひっかかりが大切。不快な物を排除して生きられれば楽で安心だが、いつまで も支えがあるとは限らない」。都市空間は合理性に満ちすぎ 魅力あるクリスタルで遮蔽(しゃへい)され 命はツルツル滑っていくー「プレイ・ステイショ ン」の案内状に記した言葉だ。

 99年から自動小銃を主題に制作を始めた背景には、近所に警察予備隊の駐屯地があった幼時の体験がある。演習中の隊員が銃を構えて校 庭に入ってきたこともあったという。モデルガンから図面を起こした鋳鉄製の作品は、米国製コルトと旧ソ連製カラシニコフの2種を模す。人を殺す道具が体制 を問わず大量に作られた事実を照らし出すとともに、機能に徹した機械の魔力的な美しさも意識する。「銃は怖い、という反応もあるが、生み出したのは人間。 人間には欲があるし、生きるため戦わざるを得ない場合もある。撃つのが悪いかどうかも、その立場でなければ分からない」

 今、武器を使った攻撃の危険は現実味を増している。自衛隊がイラクへ派遣されれば、日本の軍隊が再び海外で人を殺す可能性も高まる。 殺した側は、殺された側は、その時どうするのか。作品となった銃が、私たちに想像を促している。

 写真(左)=榎さんは自宅玄関に自動小銃の作品の一部を保管してい る。1丁が約15キロあるといい、ずっしり重い(神戸市垂水区)

 写真(右)=銃を手に神戸の繁華街を歩いた「プレイ・ステイショ ン」の参加者(2000年11月3日)

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米国中心の価値観問い直す
8 高嶺 格さん

 粘土の巨大な頭像が、顔を次々に変化させながら「GodBlessAmerica」を歌う。コミカルな表情、妙に甲高い声。しかも像を造り変える男女 は、作業の合間に食事したりセックスに励んだりする。神はアメリカを祝福する、との「崇高な」歌を揶揄(やゆ)するように感じる向きも少なくないのではな いか。

 現代美術作家の高嶺格(ただす)さん(1968−)が昨年千葉で滞在制作した、歌と同名のクレイ・アニメーション作品だ。登場する男 性は作家自身で、アシスタントの女性とスタジオに泊まり込み、約2・5トンの油粘土と格闘した。映像は固定カメラで18日間撮影した16800コマの画像 をつなぎ、8分間半の早回しで動かす。

 男女は最初こそ作業を楽しむようでもあるが、徐々に疲れも見せる。他方、歌は延々と続き、やがて2人が像を歌わせているのか、それと も歌が2人を働かせているのか、分からなくなる。映像自体の面白さに加え、内に含む主客の倒錯は、現実世界に響く高らかな米国賛歌も実は私たちが苦労して 歌わせているのではないか、との問題意識を誘う。米国中心の構造にいや応なく組み込まれた世界の現状を照らし出すのだ。

   部屋の中心に居座るグロテスクな頭像に比べ、周辺に追いやられた男女は薄着で生々しい。その姿は無力で滑稽(こっけい)、いとおしさも感じさせると同時 に、したたかな強さも秘める。

 高嶺さんは、一昨年の9・11テロ直後から「GodBlessAmerica」を歌う米国民の姿が繰り返しテレビに映るのに違和感を 抱いた。「自国を賛美する歌を平気で歌う姿が気持ち悪かった。愛国心というよりエゴイズムの正当化だ」。事実「神に祝福された」米国はアフガニスタンを攻 撃、さらにイラクへ侵攻した。

 自国の利益のためには手段を選ばない米国の姿勢に、以前から嫌悪感を抱いていた。個人的な体験も影を落とす。初めて訪米した89年、 「西洋以外の人間の文化はすべて私たちが教えた」と言い放つ米国人に遭遇した。「ニューヨークでは、世界の中心に自分が住んでいると思っている人に囲まれ ていた」。辺境の人間、という自覚。アメリカに象徴される偏った価値の作られ方を作品化したい、との思いを温め続けてきた。

 鹿児島県出身。幼いころから絵を描くのが好きで、京都市立芸術大学では漆芸を専攻したが、制作にかかる時間がもどかしく、ダムタイプ のメンバーとしてパフォーマンスに取り組んだ。近年は粘土や鏡、映像などを使い、多彩な表現に取り組んでいる。

 先に閉幕した京都ビエンナーレでは、日本統治下の朝鮮半島出身者が過酷な労働に従事したマンガン鉱山の廃坑で「在日の恋人」と題する 展示を行い、過去と現在を結ぶ美術の可能性を示した。米国を世界の中心とみなすのと同様の偏った価値の構造を、日本とアジア、東京と地方の関係にも見る。 「日本を真似たようなソウルの町並みに優越感を抱いた自分に気付いた時、すごく恥ずかしく感じた」。今後も制作を通して価値の問題を考えていくつもりだ。

 写真(左)=高嶺さんは、京都府京北町での3カ月余りの滞在制作 で、後方に見えるアトリエをまず建てた。「在日の恋人」は京都ビエンナーレ終了後も、丹波マンガン記念館に申し出れば鑑賞できる

 写真(右)=「God Bless America」(2002年)の一場面

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絶対性を追求「美女は模様」
7 鷲見 麿さん

 「美女って、突き詰めると模様ですよね」

 三重県四日市市在住の画家、鷲見麿(すみまろ)さん(1954−)は言い切る。01年に名古屋で開催した個展「smart定価0円 project『スミマロの育児絵日記』10000冊は『美女』だった!」で、自費出版の本1万冊を画廊空間に整然と積み重ねた。ピンクの表紙が女性的な 印象を与えるとはいえ、本の集積を「美女」と言われては、鑑賞者もいささか戸惑ったのではないか。

 鷲見さん自身、70年代の「典子に捧げるシリーズ」をはじめ、「マリアンシリーズ」「青紀シリーズ」そして現在も続く「ファティアシ リーズ」と、長年にわたり女性像を主題としてきた。しかも妻の教え子の「青紀」は17歳の女子高生、ドイツで知り合った「ファティア」は21歳の姿で描き 続けるなど、理想の女性像へのこだわりは人一倍とも思えるのだ。

 「美女は模様」と言い切る背景には、現実と理想の落差がある。現実の美女は「近づくと美女でなくなる」。絶対的な美女は「絵や表現の中にしか存在しな い」。だから美女は模様、というわけだ。あるいはまた「美女は近づくと色面になる」とも語る。方眼を使って西洋の名画を模写してきた経験からか、どうやら 美女も名画も色分解してしまうらしい。「青紀シリーズ」の中には、モザイク状の色点の中に少女の顔が浮かび上がる作品も含まれている。

 「美女は模様」が逆転したのか、女性に限らず美しいものを鷲見さんは「美女」と言い表す。花も美女。抽象的な「美」ではなく、具現化 された「美女」なのだ。出版社でさえなかなか見られないであろう、1万冊の本が表紙を波のように光らせて並ぶさまも、だから「美女」だという。

 岐阜県洞戸村生まれ。画家を志したが病弱で中学へ満足に通えず、卒業後は工業用ダイヤモンドの研磨工など職を転々とした。絵を独習し 75年に初個展を開催。名古屋を中心に発表を続け、独特な発想と確かな描写力などでファンを獲得した。近年はドイツへも発表の場を広げている。

 1万冊の育児絵日記が物語るように、家庭では「主夫」を引き受け、PTA活動や障害児への絵画指導に取り組んだ。学習指導要領で日の 丸・君が代の指導強化がうたわれた際には、小学生の長男を登校させず抗議を示した。現在は不登校や引きこもりの人たちが集う「めだかの学校」を四日市の駅 前で開く。「文化は遠くにではなく、足元にある」「頭で考えるコンセプトはたかが知れている。手が思考する潜在的で無意識、無自覚の領域こそ、僕も知らな い自分を見せてくれる」が持論だ。

 美女を追い求めてきたのは「自分の欲望であり偏見」という。そのこだわりこそが創作のエネルギーの源泉、とも。「美女に近づけば色し か目に入らなくなるが、その向こうには神があるのかも知れない。ただし善悪を超えた神には、近づきたいとは思いませんが」

 写真(左)=名古屋市民芸術祭の主催事業「日常に遍在するアート」 展(19日まで名古屋市民ギャラリー矢田)には91年制作の「選挙不出馬表明ポスター」も出展。「当選した途端にふんぞり返る議員への批判です」

 写真(右)=個展「smart定価0円project『スミマロの 育児絵日記』10000冊は『美女』だった!」の会場風景(写真提供=白土舎)

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放置された社会問題を照射
6 束 芋さん

 にっぽんの今日の天気は北西の風やや強く、晴れのち高校生…

 キリンコンテンポラリー・アワード1999で最優秀作品賞に選ばれた束芋(たばいも)さん(1975−)のアニメ映像インスタレー ション「にっぽんの台所」は、不吉な天気予報で始まる。遠近感を強調した8畳間の奥のスクリーンには、台所で料理を作る女性が映し出される。映像が切り替 わり、ビルの屋上、手すりの外に立つ足が映る。女性が卵を割り、黄身が落ちるのとシンクロして、若い男が窓の外を落ちていく。

 ここ数年、日本の自殺者は年間3万人に及ぶ。若者の飛び降りを事務的に予報するブラックユーモアは、リストラや家庭内暴力など社会問 題を照射する作品にふさわしい幕開けだった。

 「インターネットで集まって自殺したり、今は本当に安易。みんな難しい時間を持つけれど、解決法が自殺というのは面白くない。社会を つくるのは個人の行動。何もせずに社会のせいにするのでなく、どんな状況でも楽しく生きようと努力する責任があると思う」。日本はさまざまな問題を抱えて いるが、日本人は何ら解決のため働きかけようとしない。たくさんの人たちが本気で自分自身の幸福を考え、行動を起こしたとき、そのたくさんの点が集まり日 本という大きな点が幸福へ向かうのではないか−そんな思いが根底にある。

 日の丸を排せつする女子高生、バッグに押し込まれる子どもなど、続いて発表した「にっぽんの横断歩道」「にっぽんの湯屋(男湯)」も毒を含む。「にっぽ んの台所」や新作の「夢違え」などを10月26日まで公開しているハラミュージアムアーク=群馬県渋川市金井=の展示室前には「世相や社会問題から題材を 得ており、場合によって不快を覚えるイメージが含まれています」との断り書きが掲示された。

 「私は不快感をわざと与えるような作品が好きで、そのようなものづくりをしている。不快感を不快感としか受け取れない人たちには不快 な作品でしかないと思うし、滑稽(こっけい)さなどを見いだせる人には面白さを味わえると思う。私の作品を嫌いな人には、なぜ嫌いなのか、そういう自分は どんな人間なのかを考えてもらえれば、その人が私の作品と出合ってくれたことを私は心から喜べる」

 京都造形芸術大学へ進んだ一番の動機は「高校で落ちこぼれ、理系や文系の大学には進めなかった」からだという。卒業後は広告代理店へ の就職を目指していた。卒業制作の「にっぽんの台所」が受賞相次ぎ、「いつの間にか現代美術家という肩書きがついていた」。今春、母校の教授に就任し、現 在は五島記念文化賞美術新人賞の副賞で英国に滞在している。

 「志望はことごとく打ち砕かれ、そして今の自分があり、現在は想像以上に面白い人生を送らせてもらっている」。「メチャメチャつら い」という制作も「発表して人と出会う楽しみがある。自分でコミュニケーションの媒体をつくっている感じ」。楽しく生活する努力を、自らもまた責任を持っ て実践している。

 写真(左)= 英国から一時帰国した束芋さん。「私の作品は 『世界共通だ』とも言われるが、私の作品の細かいつくり込みは、日本の細かい部分を表現している。そういう見方の違いを発見できたのも、海外へ出た成果」 (7月19日、大阪市中央区のKPOキリンプラザ大阪)

 写真(右)=「にっぽんの台所」(1999年)の一場面=木奥恵三 撮影、写真提供・キリンビール株式会社

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天皇、零戦…「昭和」を照射
5 中ハシ 克シゲさん

 その立像は、八角形の展示室の中心に置かれた巨大な造花の茎に隠れ、かろうじて金色の靴が見えるだけだった。

 00年に西宮大谷記念美術館で開かれた彫刻家中ハシ克シゲさん(1955−)の個展「あなたの時代」には、「昭和」を照射する作品が 並んだ。小学校で道徳的規範を体現してきた二宮尊徳像が本や薪(まき)を放り出して失跡したかのような「ニノミヤ君」。連合軍が硫黄島に上陸したのと同じ 日付に沖縄の地面に散り敷いた桜を撮影した「2月19日」。そして立像は展覧会の副題「YourMajesty's Reign」(陛下の御世)が示す通 り、昭和天皇を等身大でかたどっていた。

 人の手が加わった自然に関心を抱き、刈り込んだ松や鑑賞用のコイを主題としてきた。「でも人工化された自然の最たるものは人間でしょ う」。異化された肉体を持つ力士像も造ったが、敗戦を機に神から人になった昭和天皇こそは極めて人工的な存在だと考えた。

 ただし、造ったのは昭和天皇の像ではなく「昭和天皇像の像」という。「多くの人と同様、ぼくも昭和天皇に会ったことがない。映像や写真で分かる範囲での 天皇像にしたかった」。2体をブロンズで制作し、うち1体は全身に金箔(きんぱく)を張った。

 天皇を否定も賞揚もするつもりはなかったが、出展に際しては、難色を示す美術館側と折衝を重ねた。結局、全身を露出する展示は見合わ せた。「館としては、何かあったら困る、ということでしょう。実際には、別の2会場で全身を公開した際にも何もなかったのですが。そういう自粛もまた、日 本の天皇像を成り立たせる主要な要素の一つだと思います」

 香川県生まれ。幼いころ、日本画家だった祖父が目の前で自在に絵を描いてくれた。東京造形大学へ進み、彫刻家の佐藤忠良氏に師事。具 象的な犬の塑像を造る際、オオカミとの違いは何かと思い巡らしたことが、人工化された自然に興味を抱く契機だったという。

 「あなたの時代」展の根底には、自分をつくった日本という国、昭和という時代への、愛憎半ばする思いがあった。「戦争が昭和を分断し た。戦後生まれの自分を戦前とつなぐのは戦争だ」と感じ、戦争の象徴として旧日本軍の戦闘機「零戦(ゼロせん)」を原寸大で制作し燃やすプロジェクトを 00年に開始。敗戦前日に琵琶湖上空で消息を絶った零戦をモデルに公開制作した機体を現在、京都芸術センター=室町通蛸薬師下ル=で展示しており、14日 夕、琵琶湖を望む大津市の成安造形大学グラウンドで燃やす予定だ。

 プロジェクトの過程で零戦の操縦士たちと知り合い、国鉄職員だった父がかつて零戦の整備士だったことも知った。「戦争の是非を判定す る気はないし、イデオロギーを押し付けたくもないが、何が人々を戦争や特攻に駆り立てたのか、プロジェクトが考えるきっかけになれば」。今回の公開制作が 戦争体験者と若い世代の出会いの場となったことを喜んでいる。

 写真(左)=零戦は32分の1のプラモデルを拡大撮影した2万 5000枚の写真を張り合わせて制作。「燃やすのはもったいない、とよく言われますが、ゼロから制作し、燃えてゼロになるまでの過程こそが、ぼくの作品。 それに、戦争はもっともったいないですよ」(京都市中京区・京都芸術センター、公開制作中の7月31日撮影)

 写真(右)=「あなたの時代」2000年

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「性差」揺るがす男性ヌード
4 内藤 千文さん

 「鑑賞用の男」がモチーフだ。

 画面の主人公は若い全裸の男たち。花を手に優雅なポーズで立ち、あるいは気だるく横たわる。整った顔、長めの髪、夢見るような視線。 贅肉(ぜいにく)の ない肢体はしかし、筋肉美でもなく、しなやかだ。アクリル絵の具の明るい背景を、時に大輪の花が彩る。

 キレイ系の男たちを花の精に見立てた内藤千文さん(1957−)の絵画「FR♂R(フローラ)A」シリーズは今年2月、京都市左京区 岡崎のギャラリー 16で開いた京都初個展で、観客にさまざまな反応を呼び起こした。

 「きれい」と喜んだのは女性、特に母娘連れの娘に多かった。男女のペアは戸惑い気味。男性は構図や背景について意見を述べ、画題への 言及は避けがちだっ たが、中には「男性の裸など醜く、見るに値しない」「芸術ではない」と怒り出す男性もいた。

 「母娘連れの娘たちが解放された様子で絵を自然に受け入れていたのに比べ、男性たちは過剰に意識し緊張していたし、絵をどう見たらいいか、取っ掛かりが ない様子でした」。内藤さんは分析する。

 男性の反応の背後に、ジェンダー(文化的・社会的な性差)により植え付けられた、美術に対する偏見を読み取る。「女性のヌードは見慣 れていても、裸を見 られる側に回ったことがない。見られる自分を意識するのは初めて味わう感覚で、だから拒否反応も出てきたんじゃないかな」

 男性ヌードを描き始めたのは97年。裸の女性を描いた作品が無数にあるのに比べ、ヌードの男性をモチーフにした作品が極めて少ないの が気になっていた。 「男女を入れ替えて、どう思う?と提案してみたい気持ちもあって」。裸像は白抜きにして生々しさを薄め、ポーズも筋肉を強調しないよう工夫。作品は花の精 を描いた「歴史画」に位置づけるなど、戦略的な配慮も怠りない。

 兵庫県宝塚市生まれ。「物心ついたころから、絵を描くために生まれてきた、と思っていた」。大阪芸大へ進んだが、親の勧めで洋裁学校 へも通い、卒業後は 織物会社に就職。しかし夢をあきらめず、35歳で再び美術の世界へ飛び込んだ。

 小学3年の時「しまった、自分は男じゃない」との思いが体を駆けめぐったという。女であることの不自由。抱き続けた「なぜ」の問い は、ジェンダー・フ リーの視点へ導いた。現在は大阪女子短大教員として、身体イメージの性差に関する論文も発表している。

 若い男性ヌードの連作は当面続けるが、ゆくゆくは「りりしいおばあさん」「きれいなおじいさん」の裸像にも挑戦するつもりだ。「現代 社会では、ヌードと いえば若い女ばかりで、すごく偏っている。おじいさんの裸はなかなか受け入れられないとは思うけど、私が引っ張って行きたい」

 写真(左)=「現代の男性イメージは背広かマッチョ。でも攻撃 的な身体より、愛される美しい身体を、これからの時代は求めるはず」と話す内藤さん(大阪市住吉区の自宅)

 写真(右)=「FR♂RA ガーベラ」(2003年)

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命の基準のあいまいさ突く
3 桑島 秀樹さん
 審査を経て入選したにもかかわらず、その作品は会場に展示されなかった。展覧会は1997年7月12日に東京都写真美術館で開幕した「東京国際写真ビエ ンナーレ」。作品は桑島秀樹さん(1964−)による4枚組み写真「THE LIFE」で、カタログへの掲載も見合わされた。

 4枚とも画面中央に調理用ミキサーを置く。1枚はミキサーの透明な器に赤い金魚が多数入っており、残り3枚はミキサーによって金魚が 粉砕される過程を追う。生きて泳いでいた金魚が、泡立つ赤い液体へと変わり果てる様子は、背景の静かな青空や、ミキサーのメッキの清潔感との落差も著し く、衝撃的だ。

 「公共の美術館なので不快感を与える可能性がある作品は具合が悪い、との理由でした」。桑島さんは振り返る。

 桑島さんは小学2、3年のころ、兄が飼う熱帯魚に餌(えさ)を与えるのが日課だった。肉食のアロワナなどの餌として、近所のペット店 は生きた金魚を売っていた。「100円で13匹。水槽に入れると熱帯魚が寄って来てパクパク食べる。見るのが楽しみだった」

 
餌となる金魚の命の重みなど感じたことはなかったが、縁日の金魚すくいで捕った金魚は大切に育て、決して餌にしなかった。当時「当たり前のように割り切っ て認識していた」命の軽重。道徳の授業では「殺してはダメ」と教わる。けれども母から空襲の被災体験を繰り返し聞かされ、ベトナム戦争や過激派によるテロ 事件の報道に接するうち「悪いということが現実に起きている。人間が考える命の軽重の基準は非常にあいまいではないか−という疑念が、自分に対する課題と して蓄積していった」。写真専門学校へ進み、自己の表現を探る中で、この課題に餌の金魚を使って取り組もうと思い立った。

 ビエンナーレの展示拒否には「表現の世界にも臭い物にふたをする傾向があるのか」と落ち込んだが、2000年以降、個展やグループ展 で出展の機会が相次 ぐ。会場に通い、鑑賞者との対話に努めた桑島さんは「命をめぐって、真剣な考えや切実な体験を話していただいた」と喜ぶ。

 餌の金魚と知ると、拒否反応から一転、安心顔になる人も少なくなかった。「人を基準にした合理的な理由があれば、殺すこともある程 度、許容できるのだろう。スーパーに行けば、いろんな生き物が殺されパックされて並んでいるのだし。ただし殺している事実や殺す現場のことも知る必要があ るのではないか」

 9・11テロ、アフガニスタン、イラク、パレスチナ…世界では「正義」「大義」の名の下に、大量殺戮(さつりく)が続いている。「テ レビは殺人のニュー スもスポーツも次々切り替えるし、僕自身、自爆テロなどを報じる新聞を閉じた途端、別のことを考えている。どうしたら重く受け止めていけるか。自分の中に 軽重を判断する基準を持たないと、有事法制が出来たのだからドンパチやるか、となりかねない」。新作のため再度ミキサーを回すつもりはないが、「THE LIFE」の出展は戒めを込めて続ける予定だ。

 写真(右)=愛用の機材と桑島さん。実家は大阪の写真館で、専 門学校卒業後は京都の写真スタジオに3年間勤め独立した(大阪市北区・桑島秀樹写真事務所)

 写真(左)=「THE LIFE」(1996年)

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通報された日本中のトイレ
2 岡本 光博さん
 2000年8月、兵庫県警に1件の通報が入った。現代アート野外展を開催中の神戸・六甲アイランドの岸壁に、トイレの洗浄液を青く着色する設置式の薬剤 が多数置かれ、一部は海に流出しているという。通報は釣り客からだった。

 「環境破壊だ、というんです」。同展の出品作として薬剤を69個設置した岡本光博さん(1968年−)は振り返る。作品名は「おくだ け」。と聞けば、商 品名も思い浮かぶだろう。日常的に売られ使われ、テレビCMでもおなじみだ。

 野外展で、しばしば巨大な彫刻が置かれることに違和感を抱いていたという。「アトリエに閉じこもって制作した彫刻を単に野外に移した ところで、今の日本 で有効とは思えない。作品は作家のアイデアが大切。既成概念に対して何かを投げかける作品にしたい」。水辺に近い展示環境を生かす狙いもあった。

 トイレと青色の組み合わせは、以前から気になっていた。「チェコなどには、青い照明のトイレがあるんです。それがおかしくて。洗浄液を青くするのも、青 い地球のイメージ、清潔で環境に良いイメージですよね。でも、そのイメージが本当なのか、素朴な疑問がある」。薬剤について製薬会社が「生物への悪影響は ない」と説明しているのを知り、作品化に踏み切った。

 「1人でも2人でも引っかかってくれたら」と願った作品は、通報を受けた。「うれしかった。気付かれないかとも思ったから。毎日、大 量の薬剤が、浄化槽 を通すとはいえ、海や川に流れている。小さな地球では、トイレに置くのも海辺に置くのも変わらない。釣り客は日本全国のトイレを通報したに等しい」

 京都市生まれ。幼いころから絵を描くのが好きだった。自由な表現への思いが強く、大学は「全国の美術系で唯一、デッサンが入試にな かった」滋賀大学教育 学部へ。課題の制作を巡り教師と衝突もしたが、教授だった鴫剛氏や村岡三郎氏らの励ましを得て、独自の作品世界を展開してきた。皮膚に応じた色のバンソウ コウを並べる「Lin29・調査1」、飢餓で骨と皮になった子どもの座像に食紅で彩色した「食卓オブジェ」、群がるカメラマンがフラッシュをたき続ける 「PTSD」などの作品からは、人種差別や富の偏在、報道被害などへの問題意識や批評精神がのぞく。

 「アーティストは特殊な人種ではないと思う。普通に日常を暮らす中から、問題を考え、何かを表現することで社会的な責任を果たした い」

 13日からギャラリーTAF=寺町通今出川下ル=で個展を開く。京都芸術センター=室町通蛸薬師下ル=で6月1日まで開催中のグルー プ展にはユーロ硬貨 から欧州各国の紋章が入る中心部分を抜き落とした「ユーロリング」を出品し、「グローバル化=アメリカ化」を問う。小さな指輪に、静穏を繕う世界への告発 を込めて。

 写真(左)=托鉢(たくはつ)僧を模した立体作品「法」と岡本 さん。この作品も青森で街頭展示中に下半身を露出され、警察への通報を受けた(京都市北区のアトリエ)

 写真(右)=2000年の六甲アイランド現代アート野外展に出品し た「おくだけ」

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ポップな装いで「平和」問う
 椿 昇さん
 「非合法の国連軍をつくったんです」。水戸芸術館=水戸市五軒町=で個展「国連少年」を6月8日まで開いている椿昇さん(1953年−)は言う。展示 は、壁に並ぶ機関銃に始まり、劣化ウラン弾処理や地雷除去を行うロボット、迷彩を施した寝袋、テロ組織へのミサイル攻撃を指示する基地など、言葉にすると アブナイ作品が続く。

 けれども会場に深刻さはない。ウラン弾を飲み込む高さ5メートルのロボットは愛らしいテディベアだし、周囲を地雷に囲まれた地雷除去 ロボットは右往左往 するばかり。寝袋の迷彩に至っては戦車に轢(ひ)かれた文様を描き「死んだふりで見逃してもらう」。戦場の死臭とは縁遠い、遊びの空気が満ちている。

 企画の背景には「今の国連は本当の国連ではない」との痛切な問題意識がある。「国連は問題を話し合いで解決する場でしょ。言葉による コミュニケーション は人類最大の武器です。ところが今回のイラクでも、米英が国連を無視して戦争を始めた。米国の言いなりになる国連ではなく、本来の超越的な国連を再起動し なくてはいけない。そのための武器を新しい国連軍に与えたんです」

 作品のポップな装いは「パッと見て『反戦だ』とか思わせないため」。安易に分類されがちな分かりやすさよりも、立ち止まって考えてもらう導入になれば、 と願う。一昨年の横浜トリエンナーレで室井滋さんと共作し話題を集めた巨大なバッタ「飛蝗」にも、すべてを食い尽くすグローバリズムへの批判を込めた。」

 「ぼくの作品には風刺やブラックユーモア、挑発がある。社会に挑発する力がなくなったら、ファシズムが訪れる」。開かれた社会を希求 する思いは、国連 マークの月桂樹を翼に変えた。今展の制作ノートには、こんな言葉が記された−「『今』我々をおだやかな沈黙に陥れようとする何者かに対抗しなければ『未 来』という弱々しい生き物は永遠に遠ざかる」」

 京都市生まれ。手塚漫画の洗礼を受け、少年時代は疏水に手製の潜水艦を浮かべた。宇宙飛行士や天文学者を目指したが「数学の成績が思 わしくなくて」京都 市芸大へ。卒業後は「美術でメシを食おうと思うと、思い切ったことができない」と昨年まで24年間、中学の美術教師をしながら制作を続けた。生徒とじっく り向き合う姿勢、「生徒に前だけ向かせるための教室を、生徒が好きなことをするための基地に」と主張するラジカルさゆえに、人は「アート界の金八先生」と 呼ぶ。」

 「道義なき戦争」に突進した米国。追従する日本の現状を「道義なき平和」と評する。「非武装中立という、世界から畏敬の念を持たれる 超越的な価値を、政 治家は理解できずドブに捨てた」。それでも「こんな展覧会を公立美術館で堂々と開ける。反戦を唱えるマドンナを黙らせた米国の民主主義に、日本の民主主義 は勝った」。相互に尊重しつつ自由な発言が許されるネット社会にも、未来へつながる可能性を見る。もちろん、希望を捨ててなどいない。」

 写真(左)=「国連少年」の出展作を制作した工房で。この「ノ イズのある温かい空間」も、椿さんのゲリラ戦の拠点だ(京都市西京区・東洋ポリテック)

 写真(右)=「国連少年」展から劣化ウラン弾を処理するロボット 「テツオ」(水戸芸術館)

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