軍事加刷切手の重い現実味
12太田 三郎さん

 「軍事」。通常郵便切手100枚からなるシートの切手全部に、ただならぬ言葉が印刷されている。切手を主題に制作を続ける太田三郎さん(1950−)の作品「軍事加刷切手」(95年)だ。

 切手は郵政省発行の1円から30円まで8種類。郵便制度の整備に携わった前島密や、白鳥、巻き貝など、当時から郵便物で見慣れた図柄だ。上から刷られた黒い明朝体の文字は素っ気ないまでに事務的で、作品に現実味を与えている。

 明治から昭和にかけての時代、軍事加刷切手は実在した。日露戦争後の1910(明治43)年、朝鮮半島や中国に駐屯する日本軍の下士官や兵士が1カ月に2通の書状を無料で差し出せる制度が生まれ、その郵便物に使うため通常の3銭切手に「軍事」と印刷して発行された。小さな切手に加刷されたわずか2つの文字が、日本による軍事的侵略や、郵便を含め主権を奪われた現地の人たちの苦難、遠い家族へも手紙を送ったであろう前線兵士の悲劇など、さまざまな史実を物語る。

 太田さんが現代版の軍事加刷切手を制作したのは、第2次大戦の戦後50年が契機だった。戦争の記憶が社会から次第に遠のく中、「戦争が起こると、具体的にこういうことになる」と改めて示すためだ。背後には不戦への強い思いがある。

 山形県温海町生まれ。故郷は大きな空襲こそ受けなかったが、親類や友人の家族には戦没者が珍しくなく、戦争は深い傷跡を残していた。「働き手を失って貧しくなった家もあった。ぼくは、戦争でつらいことが起きたと実感できる最後の世代かも知れない」

 切手を作品に使うようになったのは、東京のデザイン事務所で働いていた85年から。郵便局へ通って消印を押してもらい場所や時間を表現する作品に始まり、海で拾った貝殻や天気図などを図柄とするオリジナル切手の制作へと展開した。さらに「切手の持つ意味に根ざした作品を」と、戦地から帰らなかった日本兵や中国残留孤児の顔写真を図柄とするオリジナル切手を発表。「切手は郵便物とともに遠くに送り届けられる。たとえ使えない切手でも、身元情報を得るきっかけにはなるかも知れない」と考えた作品は、遺族などから大きな反響があった。以後も被爆した地蔵や樹木、戦没した画学生の自画像などを、独自の切手として作品化している。

 「独立した国がすぐに切手を発行して存在を国際的に知らしめることでも分かるように、切手はサイズは小さいけれど、言い表すものはすごく大きい。領土争いの引き金になった例もある」。先日も、竹島(韓国名・独島)を描いた切手の発行を巡る日韓政府の意見衝突が起きたばかりだ。

 日本は現在、兵器を携えた自衛隊をイラクへ派遣している。軍事力を背景にした「国際貢献」の行く末に、再び軍事加刷切手に消印が押されるような暗い時代が待ち構えていないなどと、誰が言い切れるだろうか。「あってはならない切手」として制作された作品の意味は、10年を経てさらに重みを増している。

 写真(左)=太田三郎さんは、10年前から暮らす岡山県津山市で、江戸時代の舟宿を改装しギャラリーを開いた。「戦争で焼けなかったから、こういう町並みが残っている。戦争はバカげています」

 写真(右)=「軍事加刷切手」(1995年)=部分

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フォルムの先入観砕く異形
11小谷 元彦さん

 巻き毛がかわいいワンピース姿の少女が、木の枝に腰掛けて無邪気に体を揺らす。現代美術作家の小谷元彦さん(1972−)が昨年、ヴェネツィア・ビエンナーレに出品した映像作品「Rompers」は一見、楽しい幼児番組の趣だ。

 けれど鑑賞者はほどなく、映像に込められた毒に気付かされる。少女はカメレオンに似た長い舌を素早く伸ばして虫を捕る。眉(まゆ)は奇妙に突き出し、体に異物を埋め込む「インプラント」を連想させる。枝には女性器を思わせる膨らみがあり、液体が滴り落ちる。地面では背中に人間の耳を持つカエルの群れが、リズミカルに跳ね回る。明るい光に満ち、親近感も抱かせた世界は、実は不気味な異形たちが息づく異界なのだ。

 「異形」は気になるキーワードという。ただし否定的な意味ではない。「人体のフォルムの可能性は、無限大に広がっている気がする」。例えば無重力空間では人間は手が伸び、脚は短くなるといわれる。「そんな人間が現れたら気持ち悪いだろうけど、それは僕らが先入観で見ているから。今の形が完全だという認識は、間違っているかもしれない」。背中に人間の耳を実験培養されたネズミの映像に感じた、違和感と抗しがたい魅力。形あるものは形を変える、その変化の一段階を取り出したい、と願う。

 先入観を問い直す造形は、美と醜、快と不快が背中合わせに共存する。KPOキリンプラザ大阪=大阪市中央区宗右衛門町=で3月28日まで開催中の個展に出展した他の立体作品も同様だ。ユリの花弁を拘束具で大きく開き、雄しべと雌しべ、すなわち生殖器をむき出しにする「Solange」。核兵器からイメージした「Berenice」は巨大な球体から無数の配線が触手のように伸び、威圧感や機能性とともに有機性や切断を印象づける。新作では、頭部を包帯で覆ったパジャマ姿の幼児がタイル敷きの台に放置され、愛らしい子鹿は脚に冷たい金属製ギプスを着ける。

 京都市の中心部で育った。家の前は繁華街、裏は墓地。「喜々として人が歩く楽しい雰囲気と、常に漂う死の匂(にお)い。そんなコントラストの中にいたことが、作品にも影響を与えている」と分析する。京都の仏閣の「静謐(せいひつ)でいて距離を突き放す感じ」が好きで、少年期は仏師をも夢見た。東京芸大で彫刻を専攻したがアカデミックな学風になじめず、剥製(はくせい)など新しい素材、映像も含む新しい表現に挑戦してきた。

 ヴェネツィアに出品して「憑(つ)き物が落ちた」と笑う。「現代美術の作家にとって、ヴェニスは亡霊みたい。でも実際には権威的ではないし、国内の面白い展覧会に参加する方が価値を見いだせることも多い」

 4月に東京で開く個展までを「自分の作品として1回転終了」と位置づける。「これまでは枝葉や実の部分で、幹ではない。そろそろ、はっきりした自分の核を見せたい」。それで葬られても構わない−冗談めかした言葉に、新たな展開への意欲と自信が見えた。

 写真(左)=「映像と彫刻は両極端で、墓地と繁華街みたいなもの。真ん中の僕の家はどこか、そろそろはっきりさせたい」と語る小谷元彦さん。背後はヴェネツィア出品作「Berenice」(KPOキリンプラザ大阪)

 写真(右)=「Rompers」(c)Motohiko ODANI Courtesy of YAMAMOTO gallery

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絶景の茶室で焚く体臭の香
10徳田 憲樹さん

 那智の滝を間近に望む青岸渡寺(和歌山県那智勝浦町)境内の高台に昨年3月、2つの現代的な「茶室」が出現した。透明アクリル板を組んだ1・8メートル四方の立方体で、一方は内部で香を焚(た)き、他方は壁や天井の内面を覆う赤い石鹸(せっけん)の薄片が甘い香りを漂わせる。徳田憲樹さん(1960−)の作品「匂(にお)いの茶室」だ。

 香を焚(た)く茶室から出てきた男女が「いい香りだったね」と感想を語り合うのを聞いて、徳田さんは苦笑した。香は松栄堂(本社・京都市)に調香を依頼した特製で、徳田さんの体臭をイメージした香りだったからだ。

 94年から嗅覚(きゅうかく)に訴える発表に取り組んできた徳田さんが、体臭を香にしたいと思いついたのは99年ごろという。「匂(にお)いは記憶を強く呼び起こす。生前の写真や映像だけでなく体臭を残せたら、その人の記憶も一層鮮明によみがえるのではないか」と考えた。24時間着用したTシャツなどを調香の資料とし、数種の香が生まれた。那智で実際に焚いた香は「モワッとした香り」(松栄堂リスン事業部の太田逸子主任)。もっと汗を感じさせる香も調合されたという。

 体臭が他者に不快感を与える可能性があることは、徳田さんももちろん承知の上だ。「現実には体臭から差別や人権問題につながるケースもあるに違いない。その意味で体臭は社会的な存在と言える」。「いい香り」との感想に苦笑したのは、そんな思いからだ。

 
 同時に、体臭は香水などの人工的な香りとは異なり、包み込まれるような安心感をも与える、と徳田さんはみる。母親の服の匂いに安らぎを覚えた幼時の記憶が根底にある。匂いの茶室には「人間の匂いを通して、地元の人たちや美術関係の人たち、訪れた人たちのぬくもりを感じてほしい」との願いを託した。

 神戸市に生まれ城陽市で育った。父親は銀行員だったが「大学を出て会社に勤めるという、階段を着実に昇っていくような生き方にすごい違和感を覚えて」違う価値を追求するため美術大学へ。鑑賞者が作品から何かを受け取るだけでなく、鑑賞者自身も一部となって遊べるような作品を目指してきた。

 視覚ばかりが偏重されがちな社会の現状を背景に「五感の復権と身体性の回復」を唱える。作品で多用する石鹸(せっけん)は「体臭や汚れを落とし、新たな匂いを身にまとう装置」との位置づけだ。世間では過剰とも思える清潔指向が根強いが、体臭を消し去り人工的な香りを付加する「脱臭文化」に対しては「原初の感覚が失われる」「自然の匂いが一方的に悪い匂いへ分類される」と憂慮する。

 昨年は二条城築城400年記念展「美術離宮」で、皇室の菊と徳川の葵(あおい)の香りを約1000個の練り香により融合させ「公武合体」を嗅覚で示して見せた。匂いを感じたら写真機のシャッターを切る「鼻カメラ」のワークショップも各地で展開している。今年は「匂いをビジュアルに変換する」試みにも取り組むつもりだ。

 写真(左)=色とりどりの香を前にした徳田憲樹さん。体臭を基にした香も同じような短い線香に成形されているが、市販はしていない(京都市北区・リスン北山店)

 写真(右)=那智の滝を望む高台に設置された「匂いの茶室」(2003年3月、今井紀彰氏撮影)

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「挑発する美術家たち」
 社会とのかかわりを強く意識しつつ時代を挑発する表現に取り組む美術家たちを紹介する。  (毎月1回掲載します)

街に現れた自動小銃の一団
9 榎 忠さん

 自動小銃を手にした一団が休日の繁華街に現れたら、どうしますか。一目散に逃げる? 警察に通報する? いや、目立つ動きをして撃たれるよりは、息を殺してやり過ごす手もある。

 そんなこと日本で起こるわけがない、との常識が神戸の中心部で覆ったのは、2000年11月3日。約150人が銃を携え、元町のアーケード街などを練り歩いた。

 幸い、流血の惨事には至らなかった。それも道理。自動小銃は現代美術家の榎忠さん(1944|)の作品で、一団は2つの展覧会場の間で作品を移動させる企画「プレイ・ステイション」の参加者だったからだ。

 「作品は場所によって見え方や感じ方が違う。美術館や画廊でなく街なかを作品が移動し、参加者がそれを体験することで、見せることや見ることを問いたかった」と話す榎さんは「作品とはいえ銃だから、どんな反応があるかドキドキした」と明かす。一般に参加を呼びかけ、幅広い年代の男女が行進した。

 
すれ違う人たちは逃げも隠れもしなかった。通報もされなかったし、事前に警察へ届け出なかったにもかかわらず、通りがかったパトカーに見とがめられることすらなかった。「都会では何かにつけ見て見ぬふりをする風潮があるが、もし銃が本物だったらどうするのか。通報されなかったのがむしろ恐ろしい」

 香川県生まれ。絵を描くのが好きで、就職のため神戸へ移ってから本格的に取り組んだが、権威的な公募団体に肌が合わず脱退。美術研究集団ZEROで活動した後、一人立ちし、住宅街の空き地に巨大な地下洞窟(どうくつ)を掘ったり、頭髪やひげなど片側の体毛すべてをそった「半刈り」でハンガリーを訪ねるオアフォーマンスなど、日常性を揺さぶる発表を続けてきた。「ひっかかりが大切。不快な物を排除して生きられれば楽で安心だが、いつまでも支えがあるとは限らない」。都市空間は合理性に満ちすぎ 魅力あるクリスタルで遮蔽(しゃへい)され 命はツルツル滑っていくー「プレイ・ステイション」の案内状に記した言葉だ。

 99年から自動小銃を主題に制作を始めた背景には、近所に警察予備隊の駐屯地があった幼時の体験がある。演習中の隊員が銃を構えて校庭に入ってきたこともあったという。モデルガンから図面を起こした鋳鉄製の作品は、米国製コルトと旧ソ連製カラシニコフの2種を模す。人を殺す道具が体制を問わず大量に作られた事実を照らし出すとともに、機能に徹した機械の魔力的な美しさも意識する。「銃は怖い、という反応もあるが、生み出したのは人間。人間には欲があるし、生きるため戦わざるを得ない場合もある。撃つのが悪いかどうかも、その立場でなければ分からない」

 今、武器を使った攻撃の危険は現実味を増している。自衛隊がイラクへ派遣されれば、日本の軍隊が再び海外で人を殺す可能性も高まる。殺した側は、殺された側は、その時どうするのか。作品となった銃が、私たちに想像を促している。

 写真(左)=榎さんは自宅玄関に自動小銃の作品の一部を保管している。1丁が約15キロあるといい、ずっしり重い(神戸市垂水区)

 写真(右)=銃を手に神戸の繁華街を歩いた「プレイ・ステイション」の参加者(2000年11月3日)

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「挑発する美術家たち」
 社会とのかかわりを強く意識しつつ時代を挑発する表現に取り組む美術家たちを紹介する。  (毎月1回掲載します)

米国中心の価値観問い直す
8 高嶺 格さん

 粘土の巨大な頭像が、顔を次々に変化させながら「GodBlessAmerica」を歌う。コミカルな表情、妙に甲高い声。しかも像を造り変える男女は、作業の合間に食事したりセックスに励んだりする。神はアメリカを祝福する、との「崇高な」歌を揶揄(やゆ)するように感じる向きも少なくないのではないか。

 現代美術作家の高嶺格(ただす)さん(1968−)が昨年千葉で滞在制作した、歌と同名のクレイ・アニメーション作品だ。登場する男性は作家自身で、アシスタントの女性とスタジオに泊まり込み、約2・5トンの油粘土と格闘した。映像は固定カメラで18日間撮影した16800コマの画像をつなぎ、8分間半の早回しで動かす。

 男女は最初こそ作業を楽しむようでもあるが、徐々に疲れも見せる。他方、歌は延々と続き、やがて2人が像を歌わせているのか、それとも歌が2人を働かせているのか、分からなくなる。映像自体の面白さに加え、内に含む主客の倒錯は、現実世界に響く高らかな米国賛歌も実は私たちが苦労して歌わせているのではないか、との問題意識を誘う。米国中心の構造にいや応なく組み込まれた世界の現状を照らし出すのだ。

   部屋の中心に居座るグロテスクな頭像に比べ、周辺に追いやられた男女は薄着で生々しい。その姿は無力で滑稽(こっけい)、いとおしさも感じさせると同時に、したたかな強さも秘める。

 高嶺さんは、一昨年の9・11テロ直後から「GodBlessAmerica」を歌う米国民の姿が繰り返しテレビに映るのに違和感を抱いた。「自国を賛美する歌を平気で歌う姿が気持ち悪かった。愛国心というよりエゴイズムの正当化だ」。事実「神に祝福された」米国はアフガニスタンを攻撃、さらにイラクへ侵攻した。

 自国の利益のためには手段を選ばない米国の姿勢に、以前から嫌悪感を抱いていた。個人的な体験も影を落とす。初めて訪米した89年、「西洋以外の人間の文化はすべて私たちが教えた」と言い放つ米国人に遭遇した。「ニューヨークでは、世界の中心に自分が住んでいると思っている人に囲まれていた」。辺境の人間、という自覚。アメリカに象徴される偏った価値の作られ方を作品化したい、との思いを温め続けてきた。

 鹿児島県出身。幼いころから絵を描くのが好きで、京都市立芸術大学では漆芸を専攻したが、制作にかかる時間がもどかしく、ダムタイプのメンバーとしてパフォーマンスに取り組んだ。近年は粘土や鏡、映像などを使い、多彩な表現に取り組んでいる。

 先に閉幕した京都ビエンナーレでは、日本統治下の朝鮮半島出身者が過酷な労働に従事したマンガン鉱山の廃坑で「在日の恋人」と題する展示を行い、過去と現在を結ぶ美術の可能性を示した。米国を世界の中心とみなすのと同様の偏った価値の構造を、日本とアジア、東京と地方の関係にも見る。「日本を真似たようなソウルの町並みに優越感を抱いた自分に気付いた時、すごく恥ずかしく感じた」。今後も制作を通して価値の問題を考えていくつもりだ。

 写真(左)=高嶺さんは、京都府京北町での3カ月余りの滞在制作で、後方に見えるアトリエをまず建てた。「在日の恋人」は京都ビエンナーレ終了後も、丹波マンガン記念館に申し出れば鑑賞できる

 写真(右)=「God Bless America」(2002年)の一場面

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絶対性を追求「美女は模様」
7 鷲見 麿さん

 「美女って、突き詰めると模様ですよね」

 三重県四日市市在住の画家、鷲見麿(すみまろ)さん(1954−)は言い切る。01年に名古屋で開催した個展「smart定価0円project『スミマロの育児絵日記』10000冊は『美女』だった!」で、自費出版の本1万冊を画廊空間に整然と積み重ねた。ピンクの表紙が女性的な印象を与えるとはいえ、本の集積を「美女」と言われては、鑑賞者もいささか戸惑ったのではないか。

 鷲見さん自身、70年代の「典子に捧げるシリーズ」をはじめ、「マリアンシリーズ」「青紀シリーズ」そして現在も続く「ファティアシリーズ」と、長年にわたり女性像を主題としてきた。しかも妻の教え子の「青紀」は17歳の女子高生、ドイツで知り合った「ファティア」は21歳の姿で描き続けるなど、理想の女性像へのこだわりは人一倍とも思えるのだ。

 「美女は模様」と言い切る背景には、現実と理想の落差がある。現実の美女は「近づくと美女でなくなる」。絶対的な美女は「絵や表現の中にしか存在しない」。だから美女は模様、というわけだ。あるいはまた「美女は近づくと色面になる」とも語る。方眼を使って西洋の名画を模写してきた経験からか、どうやら美女も名画も色分解してしまうらしい。「青紀シリーズ」の中には、モザイク状の色点の中に少女の顔が浮かび上がる作品も含まれている。

 「美女は模様」が逆転したのか、女性に限らず美しいものを鷲見さんは「美女」と言い表す。花も美女。抽象的な「美」ではなく、具現化された「美女」なのだ。出版社でさえなかなか見られないであろう、1万冊の本が表紙を波のように光らせて並ぶさまも、だから「美女」だという。

 岐阜県洞戸村生まれ。画家を志したが病弱で中学へ満足に通えず、卒業後は工業用ダイヤモンドの研磨工など職を転々とした。絵を独習し75年に初個展を開催。名古屋を中心に発表を続け、独特な発想と確かな描写力などでファンを獲得した。近年はドイツへも発表の場を広げている。

 1万冊の育児絵日記が物語るように、家庭では「主夫」を引き受け、PTA活動や障害児への絵画指導に取り組んだ。学習指導要領で日の丸・君が代の指導強化がうたわれた際には、小学生の長男を登校させず抗議を示した。現在は不登校や引きこもりの人たちが集う「めだかの学校」を四日市の駅前で開く。「文化は遠くにではなく、足元にある」「頭で考えるコンセプトはたかが知れている。手が思考する潜在的で無意識、無自覚の領域こそ、僕も知らない自分を見せてくれる」が持論だ。

 美女を追い求めてきたのは「自分の欲望であり偏見」という。そのこだわりこそが創作のエネルギーの源泉、とも。「美女に近づけば色しか目に入らなくなるが、その向こうには神があるのかも知れない。ただし善悪を超えた神には、近づきたいとは思いませんが」

 写真(左)=名古屋市民芸術祭の主催事業「日常に遍在するアート」展(19日まで名古屋市民ギャラリー矢田)には91年制作の「選挙不出馬表明ポスター」も出展。「当選した途端にふんぞり返る議員への批判です」

 写真(右)=個展「smart定価0円project『スミマロの育児絵日記』10000冊は『美女』だった!」の会場風景(写真提供=白土舎)

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放置された社会問題を照射
6 束 芋さん

 にっぽんの今日の天気は北西の風やや強く、晴れのち高校生…

 キリンコンテンポラリー・アワード1999で最優秀作品賞に選ばれた束芋(たばいも)さん(1975−)のアニメ映像インスタレーション「にっぽんの台所」は、不吉な天気予報で始まる。遠近感を強調した8畳間の奥のスクリーンには、台所で料理を作る女性が映し出される。映像が切り替わり、ビルの屋上、手すりの外に立つ足が映る。女性が卵を割り、黄身が落ちるのとシンクロして、若い男が窓の外を落ちていく。

 ここ数年、日本の自殺者は年間3万人に及ぶ。若者の飛び降りを事務的に予報するブラックユーモアは、リストラや家庭内暴力など社会問題を照射する作品にふさわしい幕開けだった。

 「インターネットで集まって自殺したり、今は本当に安易。みんな難しい時間を持つけれど、解決法が自殺というのは面白くない。社会をつくるのは個人の行動。何もせずに社会のせいにするのでなく、どんな状況でも楽しく生きようと努力する責任があると思う」。日本はさまざまな問題を抱えているが、日本人は何ら解決のため働きかけようとしない。たくさんの人たちが本気で自分自身の幸福を考え、行動を起こしたとき、そのたくさんの点が集まり日本という大きな点が幸福へ向かうのではないか−そんな思いが根底にある。

 日の丸を排せつする女子高生、バッグに押し込まれる子どもなど、続いて発表した「にっぽんの横断歩道」「にっぽんの湯屋(男湯)」も毒を含む。「にっぽんの台所」や新作の「夢違え」などを10月26日まで公開しているハラミュージアムアーク=群馬県渋川市金井=の展示室前には「世相や社会問題から題材を得ており、場合によって不快を覚えるイメージが含まれています」との断り書きが掲示された。

 「私は不快感をわざと与えるような作品が好きで、そのようなものづくりをしている。不快感を不快感としか受け取れない人たちには不快な作品でしかないと思うし、滑稽(こっけい)さなどを見いだせる人には面白さを味わえると思う。私の作品を嫌いな人には、なぜ嫌いなのか、そういう自分はどんな人間なのかを考えてもらえれば、その人が私の作品と出合ってくれたことを私は心から喜べる」

 京都造形芸術大学へ進んだ一番の動機は「高校で落ちこぼれ、理系や文系の大学には進めなかった」からだという。卒業後は広告代理店への就職を目指していた。卒業制作の「にっぽんの台所」が受賞相次ぎ、「いつの間にか現代美術家という肩書きがついていた」。今春、母校の教授に就任し、現在は五島記念文化賞美術新人賞の副賞で英国に滞在している。

 「志望はことごとく打ち砕かれ、そして今の自分があり、現在は想像以上に面白い人生を送らせてもらっている」。「メチャメチャつらい」という制作も「発表して人と出会う楽しみがある。自分でコミュニケーションの媒体をつくっている感じ」。楽しく生活する努力を、自らもまた責任を持って実践している。

 写真(左)= 英国から一時帰国した束芋さん。「私の作品は『世界共通だ』とも言われるが、私の作品の細かいつくり込みは、日本の細かい部分を表現している。そういう見方の違いを発見できたのも、海外へ出た成果」(7月19日、大阪市中央区のKPOキリンプラザ大阪)

 写真(右)=「にっぽんの台所」(1999年)の一場面=木奥恵三撮影、写真提供・キリンビール株式会社

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天皇、零戦…「昭和」を照射
5 中ハシ 克シゲさん

 その立像は、八角形の展示室の中心に置かれた巨大な造花の茎に隠れ、かろうじて金色の靴が見えるだけだった。

 00年に西宮大谷記念美術館で開かれた彫刻家中ハシ克シゲさん(1955−)の個展「あなたの時代」には、「昭和」を照射する作品が並んだ。小学校で道徳的規範を体現してきた二宮尊徳像が本や薪(まき)を放り出して失跡したかのような「ニノミヤ君」。連合軍が硫黄島に上陸したのと同じ日付に沖縄の地面に散り敷いた桜を撮影した「2月19日」。そして立像は展覧会の副題「YourMajesty's Reign」(陛下の御世)が示す通り、昭和天皇を等身大でかたどっていた。

 人の手が加わった自然に関心を抱き、刈り込んだ松や鑑賞用のコイを主題としてきた。「でも人工化された自然の最たるものは人間でしょう」。異化された肉体を持つ力士像も造ったが、敗戦を機に神から人になった昭和天皇こそは極めて人工的な存在だと考えた。

 ただし、造ったのは昭和天皇の像ではなく「昭和天皇像の像」という。「多くの人と同様、ぼくも昭和天皇に会ったことがない。映像や写真で分かる範囲での天皇像にしたかった」。2体をブロンズで制作し、うち1体は全身に金箔(きんぱく)を張った。

 天皇を否定も賞揚もするつもりはなかったが、出展に際しては、難色を示す美術館側と折衝を重ねた。結局、全身を露出する展示は見合わせた。「館としては、何かあったら困る、ということでしょう。実際には、別の2会場で全身を公開した際にも何もなかったのですが。そういう自粛もまた、日本の天皇像を成り立たせる主要な要素の一つだと思います」

 香川県生まれ。幼いころ、日本画家だった祖父が目の前で自在に絵を描いてくれた。東京造形大学へ進み、彫刻家の佐藤忠良氏に師事。具象的な犬の塑像を造る際、オオカミとの違いは何かと思い巡らしたことが、人工化された自然に興味を抱く契機だったという。

 「あなたの時代」展の根底には、自分をつくった日本という国、昭和という時代への、愛憎半ばする思いがあった。「戦争が昭和を分断した。戦後生まれの自分を戦前とつなぐのは戦争だ」と感じ、戦争の象徴として旧日本軍の戦闘機「零戦(ゼロせん)」を原寸大で制作し燃やすプロジェクトを00年に開始。敗戦前日に琵琶湖上空で消息を絶った零戦をモデルに公開制作した機体を現在、京都芸術センター=室町通蛸薬師下ル=で展示しており、14日夕、琵琶湖を望む大津市の成安造形大学グラウンドで燃やす予定だ。

 プロジェクトの過程で零戦の操縦士たちと知り合い、国鉄職員だった父がかつて零戦の整備士だったことも知った。「戦争の是非を判定する気はないし、イデオロギーを押し付けたくもないが、何が人々を戦争や特攻に駆り立てたのか、プロジェクトが考えるきっかけになれば」。今回の公開制作が戦争体験者と若い世代の出会いの場となったことを喜んでいる。

 写真(左)=零戦は32分の1のプラモデルを拡大撮影した2万5000枚の写真を張り合わせて制作。「燃やすのはもったいない、とよく言われますが、ゼロから制作し、燃えてゼロになるまでの過程こそが、ぼくの作品。それに、戦争はもっともったいないですよ」(京都市中京区・京都芸術センター、公開制作中の7月31日撮影)

 写真(右)=「あなたの時代」2000年

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「性差」揺るがす男性ヌード
4 内藤 千文さん

 「鑑賞用の男」がモチーフだ。

 画面の主人公は若い全裸の男たち。花を手に優雅なポーズで立ち、あるいは気だるく横たわる。整った顔、長めの髪、夢見るような視線。贅肉(ぜいにく)のない肢体はしかし、筋肉美でもなく、しなやかだ。アクリル絵の具の明るい背景を、時に大輪の花が彩る。

 キレイ系の男たちを花の精に見立てた内藤千文さん(1957−)の絵画「FR♂R(フローラ)A」シリーズは今年2月、京都市左京区岡崎のギャラリー16で開いた京都初個展で、観客にさまざまな反応を呼び起こした。

 「きれい」と喜んだのは女性、特に母娘連れの娘に多かった。男女のペアは戸惑い気味。男性は構図や背景について意見を述べ、画題への言及は避けがちだったが、中には「男性の裸など醜く、見るに値しない」「芸術ではない」と怒り出す男性もいた。

 「母娘連れの娘たちが解放された様子で絵を自然に受け入れていたのに比べ、男性たちは過剰に意識し緊張していたし、絵をどう見たらいいか、取っ掛かりがない様子でした」。内藤さんは分析する。

 男性の反応の背後に、ジェンダー(文化的・社会的な性差)により植え付けられた、美術に対する偏見を読み取る。「女性のヌードは見慣れていても、裸を見られる側に回ったことがない。見られる自分を意識するのは初めて味わう感覚で、だから拒否反応も出てきたんじゃないかな」

 男性ヌードを描き始めたのは97年。裸の女性を描いた作品が無数にあるのに比べ、ヌードの男性をモチーフにした作品が極めて少ないのが気になっていた。「男女を入れ替えて、どう思う?と提案してみたい気持ちもあって」。裸像は白抜きにして生々しさを薄め、ポーズも筋肉を強調しないよう工夫。作品は花の精を描いた「歴史画」に位置づけるなど、戦略的な配慮も怠りない。

 兵庫県宝塚市生まれ。「物心ついたころから、絵を描くために生まれてきた、と思っていた」。大阪芸大へ進んだが、親の勧めで洋裁学校へも通い、卒業後は織物会社に就職。しかし夢をあきらめず、35歳で再び美術の世界へ飛び込んだ。

 小学3年の時「しまった、自分は男じゃない」との思いが体を駆けめぐったという。女であることの不自由。抱き続けた「なぜ」の問いは、ジェンダー・フリーの視点へ導いた。現在は大阪女子短大教員として、身体イメージの性差に関する論文も発表している。

 若い男性ヌードの連作は当面続けるが、ゆくゆくは「りりしいおばあさん」「きれいなおじいさん」の裸像にも挑戦するつもりだ。「現代社会では、ヌードといえば若い女ばかりで、すごく偏っている。おじいさんの裸はなかなか受け入れられないとは思うけど、私が引っ張って行きたい」

 写真(左)=「現代の男性イメージは背広かマッチョ。でも攻撃的な身体より、愛される美しい身体を、これからの時代は求めるはず」と話す内藤さん(大阪市住吉区の自宅)

 写真(右)=「FR♂RA ガーベラ」(2003年)

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命の基準のあいまいさ突く
3 桑島 秀樹さん
 審査を経て入選したにもかかわらず、その作品は会場に展示されなかった。展覧会は1997年7月12日に東京都写真美術館で開幕した「東京国際写真ビエンナーレ」。作品は桑島秀樹さん(1964−)による4枚組み写真「THE LIFE」で、カタログへの掲載も見合わされた。

 4枚とも画面中央に調理用ミキサーを置く。1枚はミキサーの透明な器に赤い金魚が多数入っており、残り3枚はミキサーによって金魚が粉砕される過程を追う。生きて泳いでいた金魚が、泡立つ赤い液体へと変わり果てる様子は、背景の静かな青空や、ミキサーのメッキの清潔感との落差も著しく、衝撃的だ。

 「公共の美術館なので不快感を与える可能性がある作品は具合が悪い、との理由でした」。桑島さんは振り返る。

 桑島さんは小学2、3年のころ、兄が飼う熱帯魚に餌(えさ)を与えるのが日課だった。肉食のアロワナなどの餌として、近所のペット店は生きた金魚を売っていた。「100円で13匹。水槽に入れると熱帯魚が寄って来てパクパク食べる。見るのが楽しみだった」

 餌となる金魚の命の重みなど感じたことはなかったが、縁日の金魚すくいで捕った金魚は大切に育て、決して餌にしなかった。当時「当たり前のように割り切って認識していた」命の軽重。道徳の授業では「殺してはダメ」と教わる。けれども母から空襲の被災体験を繰り返し聞かされ、ベトナム戦争や過激派によるテロ事件の報道に接するうち「悪いということが現実に起きている。人間が考える命の軽重の基準は非常にあいまいではないか−という疑念が、自分に対する課題として蓄積していった」。写真専門学校へ進み、自己の表現を探る中で、この課題に餌の金魚を使って取り組もうと思い立った。

 ビエンナーレの展示拒否には「表現の世界にも臭い物にふたをする傾向があるのか」と落ち込んだが、2000年以降、個展やグループ展で出展の機会が相次ぐ。会場に通い、鑑賞者との対話に努めた桑島さんは「命をめぐって、真剣な考えや切実な体験を話していただいた」と喜ぶ。

 餌の金魚と知ると、拒否反応から一転、安心顔になる人も少なくなかった。「人を基準にした合理的な理由があれば、殺すこともある程度、許容できるのだろう。スーパーに行けば、いろんな生き物が殺されパックされて並んでいるのだし。ただし殺している事実や殺す現場のことも知る必要があるのではないか」

 9・11テロ、アフガニスタン、イラク、パレスチナ…世界では「正義」「大義」の名の下に、大量殺戮(さつりく)が続いている。「テレビは殺人のニュースもスポーツも次々切り替えるし、僕自身、自爆テロなどを報じる新聞を閉じた途端、別のことを考えている。どうしたら重く受け止めていけるか。自分の中に軽重を判断する基準を持たないと、有事法制が出来たのだからドンパチやるか、となりかねない」。新作のため再度ミキサーを回すつもりはないが、「THE LIFE」の出展は戒めを込めて続ける予定だ。

 写真(右)=愛用の機材と桑島さん。実家は大阪の写真館で、専門学校卒業後は京都の写真スタジオに3年間勤め独立した(大阪市北区・桑島秀樹写真事務所)

 写真(左)=「THE LIFE」(1996年)

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通報された日本中のトイレ
2 岡本 光博さん
 2000年8月、兵庫県警に1件の通報が入った。現代アート野外展を開催中の神戸・六甲アイランドの岸壁に、トイレの洗浄液を青く着色する設置式の薬剤が多数置かれ、一部は海に流出しているという。通報は釣り客からだった。

 「環境破壊だ、というんです」。同展の出品作として薬剤を69個設置した岡本光博さん(1968年−)は振り返る。作品名は「おくだけ」。と聞けば、商品名も思い浮かぶだろう。日常的に売られ使われ、テレビCMでもおなじみだ。

 野外展で、しばしば巨大な彫刻が置かれることに違和感を抱いていたという。「アトリエに閉じこもって制作した彫刻を単に野外に移したところで、今の日本で有効とは思えない。作品は作家のアイデアが大切。既成概念に対して何かを投げかける作品にしたい」。水辺に近い展示環境を生かす狙いもあった。

 トイレと青色の組み合わせは、以前から気になっていた。「チェコなどには、青い照明のトイレがあるんです。それがおかしくて。洗浄液を青くするのも、青い地球のイメージ、清潔で環境に良いイメージですよね。でも、そのイメージが本当なのか、素朴な疑問がある」。薬剤について製薬会社が「生物への悪影響はない」と説明しているのを知り、作品化に踏み切った。

 「1人でも2人でも引っかかってくれたら」と願った作品は、通報を受けた。「うれしかった。気付かれないかとも思ったから。毎日、大量の薬剤が、浄化槽を通すとはいえ、海や川に流れている。小さな地球では、トイレに置くのも海辺に置くのも変わらない。釣り客は日本全国のトイレを通報したに等しい」

 京都市生まれ。幼いころから絵を描くのが好きだった。自由な表現への思いが強く、大学は「全国の美術系で唯一、デッサンが入試になかった」滋賀大学教育学部へ。課題の制作を巡り教師と衝突もしたが、教授だった鴫剛氏や村岡三郎氏らの励ましを得て、独自の作品世界を展開してきた。皮膚に応じた色のバンソウコウを並べる「Lin29・調査1」、飢餓で骨と皮になった子どもの座像に食紅で彩色した「食卓オブジェ」、群がるカメラマンがフラッシュをたき続ける「PTSD」などの作品からは、人種差別や富の偏在、報道被害などへの問題意識や批評精神がのぞく。

 「アーティストは特殊な人種ではないと思う。普通に日常を暮らす中から、問題を考え、何かを表現することで社会的な責任を果たしたい」

 13日からギャラリーTAF=寺町通今出川下ル=で個展を開く。京都芸術センター=室町通蛸薬師下ル=で6月1日まで開催中のグループ展にはユーロ硬貨から欧州各国の紋章が入る中心部分を抜き落とした「ユーロリング」を出品し、「グローバル化=アメリカ化」を問う。小さな指輪に、静穏を繕う世界への告発を込めて。

 写真(左)=托鉢(たくはつ)僧を模した立体作品「法」と岡本さん。この作品も青森で街頭展示中に下半身を露出され、警察への通報を受けた(京都市北区のアトリエ)

 写真(右)=2000年の六甲アイランド現代アート野外展に出品した「おくだけ」

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ポップな装いで「平和」問う
 椿 昇さん
 「非合法の国連軍をつくったんです」。水戸芸術館=水戸市五軒町=で個展「国連少年」を6月8日まで開いている椿昇さん(1953年−)は言う。展示は、壁に並ぶ機関銃に始まり、劣化ウラン弾処理や地雷除去を行うロボット、迷彩を施した寝袋、テロ組織へのミサイル攻撃を指示する基地など、言葉にするとアブナイ作品が続く。

 けれども会場に深刻さはない。ウラン弾を飲み込む高さ5メートルのロボットは愛らしいテディベアだし、周囲を地雷に囲まれた地雷除去ロボットは右往左往するばかり。寝袋の迷彩に至っては戦車に轢(ひ)かれた文様を描き「死んだふりで見逃してもらう」。戦場の死臭とは縁遠い、遊びの空気が満ちている。

 企画の背景には「今の国連は本当の国連ではない」との痛切な問題意識がある。「国連は問題を話し合いで解決する場でしょ。言葉によるコミュニケーションは人類最大の武器です。ところが今回のイラクでも、米英が国連を無視して戦争を始めた。米国の言いなりになる国連ではなく、本来の超越的な国連を再起動しなくてはいけない。そのための武器を新しい国連軍に与えたんです」

 作品のポップな装いは「パッと見て『反戦だ』とか思わせないため」。安易に分類されがちな分かりやすさよりも、立ち止まって考えてもらう導入になれば、と願う。一昨年の横浜トリエンナーレで室井滋さんと共作し話題を集めた巨大なバッタ「飛蝗」にも、すべてを食い尽くすグローバリズムへの批判を込めた。」

 「ぼくの作品には風刺やブラックユーモア、挑発がある。社会に挑発する力がなくなったら、ファシズムが訪れる」。開かれた社会を希求する思いは、国連マークの月桂樹を翼に変えた。今展の制作ノートには、こんな言葉が記された−「『今』我々をおだやかな沈黙に陥れようとする何者かに対抗しなければ『未来』という弱々しい生き物は永遠に遠ざかる」」

 京都市生まれ。手塚漫画の洗礼を受け、少年時代は疏水に手製の潜水艦を浮かべた。宇宙飛行士や天文学者を目指したが「数学の成績が思わしくなくて」京都市芸大へ。卒業後は「美術でメシを食おうと思うと、思い切ったことができない」と昨年まで24年間、中学の美術教師をしながら制作を続けた。生徒とじっくり向き合う姿勢、「生徒に前だけ向かせるための教室を、生徒が好きなことをするための基地に」と主張するラジカルさゆえに、人は「アート界の金八先生」と呼ぶ。」

 「道義なき戦争」に突進した米国。追従する日本の現状を「道義なき平和」と評する。「非武装中立という、世界から畏敬の念を持たれる超越的な価値を、政治家は理解できずドブに捨てた」。それでも「こんな展覧会を公立美術館で堂々と開ける。反戦を唱えるマドンナを黙らせた米国の民主主義に、日本の民主主義は勝った」。相互に尊重しつつ自由な発言が許されるネット社会にも、未来へつながる可能性を見る。もちろん、希望を捨ててなどいない。」

 写真(左)=「国連少年」の出展作を制作した工房で。この「ノイズのある温かい空間」も、椿さんのゲリラ戦の拠点だ(京都市西京区・東洋ポリテック)

 写真(右)=「国連少年」展から劣化ウラン弾を処理するロボット「テツオ」(水戸芸術館)

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