倒壊被害を受けた野外彫刻を新たに制作

ひと ARTALK》 彫刻家 西野康造さん

西野康造さん
  亀岡市の山間地にアトリエを構える彫刻家の西野康造さん(1951−)は、楽器を表現した作品や、自然の風を受けて美しく動く翼状の作品など、数多く の野外彫刻や現代建築に調和した立体造形で知られる。そんな西野さんが埼玉県立近代美術館のある北浦和公園に89年に設置した高さ5メートルのサキソフォ ン作品「風の中で」が一 昨年秋、何者かによって倒壊、破損の被害にあった。同美術館を訪れる人や市民に親しまれてきた彫刻だけに、行政側も異例の早さで対 応、従来のステンレスから新しくチタン素材で作り直すことが正式に決定、電解着色による黄金色の新たな装いでよみがえった。

 −犯人は不明、つかまっていないとか?

 「前の夜に若者たちが飲んで騒いでいたそうです。連絡を受けて見に行ったんですが、見事に壊れていましたね。何人かよじ登ったために 倒れて壊れた。修復 不可能でした。でも、そうショックはなかったですよ。自分の設計ミスで倒壊したのならショックですが…」

「風の中で」

 −美術館の対応はどうでしたか?

 「美術館の方がショックだったようです。美術館に来る人に親しまれ、顔のような存在の作品になっていたそうで、友の会の人から“こん なことになって、恥 ずかしい”“ないと寂しい”という言葉をもらいました。一刻も早く、元に戻したいという気持ちの高まりが、行政側の素早い対応になったと思います」

 −西野さんは元どおりにつくりなおすことに抵抗があったようですね?

 「風の中で」は神戸須磨離宮公園現代彫刻展で埼玉県立近代美術館賞を受けて設置された作品。プロとして立つことができた思い出の作品 だし、直したいとは 思ったんですが、90年の小田原城野外彫刻展で大賞を受けた作品以降、動く彫刻をつくるようになって、楽器のシリーズから離れましたからね。いったん終 わったものを再びつくるのは大変ですし、同じものをつくるのは苦痛なんです。それに今は強度や軽さ耐食性などチタンという良い素材を使うようになってます から、ステンレスではつくりたくない。チタンにしてもらいました」

 −チタンは高価、西野さんの持ち出しになったようですが?

 「今は美術館の購入予算もない状態。ぼくはタダでも良いと言ったんですが、とにかく見積もりを出してほしいということなので、無料、 材料費だけとか、3 段階で出しました」

 −設置の日はサキソフォンの四重奏の演奏会があったり、盛り上がったようですね?

 「友の会の人達が喜んで熱心に取り組んでくれました。前のステンレスの作品は周囲の風景に溶け込む感じでしたが、こんどは金色で浮き 上がる感じ。喜んで もらえて良かったと思っています」

−美術館は野外彫刻作品の被害に備えて新しく保険に入ったとか?

 「保険は被害に対する備え。それより少し照明を当てて明るくすることで悪さをすることは少なくなると思う。何より野外彫刻は多くの人 に親しまれ愛される ことが大事です。後世に残るかどうかもそれで決まります」 

 写真左=「野外彫刻は大切に思ってもらえることが一番」と話す西野 康 造さん
 写真右=チタン素材 で美しくよみがえっ た「風の中で」(上)と、倒壊被害にあった状態の「風の中で」

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「源氏物語」はライフワークになりました

ひと ARTALK》 染織家 志村ふくみさん

 紬織(つむぎおり)の重要無形文化財保持者で、大佛次郎賞や日本エッセイストクラブ賞の文筆家としても知られる志村ふくみさん(1924−)。春らんま んの4月には、滋賀県立近代美術館で初期から現在までの紬織着物など約100点を披露する展覧会があり、京都では娘の洋子さん、孫の祐子さんとの三代展が 開かれる。展覧会で初披露される「源氏物語」の新シリーズや初めての三代展への思いを聞いた。

 滋賀近美での大個展は10年ぶり2度目。今回は、志村さんの40年来の親友で、志村作品を長年にわたって収集してきた佐久間幸子さん =東京都港区在住=のコレクションを一括購入した美術館が、披露を兼ねて開催する。

 「佐久間さんは優れた美意識の厳しい目をもった人。1959年に発表した『鈴虫』以来、伝統工芸展などに出品した作品を買い求め、私 の作品や創作の軌跡 を私以上に知っている人でもあるんです。自分が亡くなる前に、公の美術館にきちんと納めておきたいという希望を受け容れてもらい、滋賀の近代美術館で一括 購入されました。本当にありがたいことですが、コレクションは私の10年ほど前の仕事までですし、それ以降の制作やこの3年ほど取り組んでいる『源氏物 語』も見ていただきたいので、つくりためた20数点のうち納得のいく15点を寄贈し、一緒に展示することになりました」

 本好きの志村さん。「源氏物語」は十代のころから折りにふれて親しんできた。対談の著作もある美術史家の白畑よしさんと源氏物語絵巻 や平家納経など平安 時代の美意識や装飾美を語り合ったり、襲(かさね)の色目をテーマに糸を染め、紬や絣(かすり)の裂(きれ)を織って後世に伝える努力のなかで、「源氏物 語」を主題にした着物を少しずつ創(つく)りためてきた。

 「嵯峨に移り住んで30数年。この地の土や水、風に育(はぐく)まれた草や木の”いのちの色“をいただいて糸を染め、機で織ってきましたが、源氏をテー マにするようになって、嵯峨が源氏ゆかりの地であることにあらためて気づかされます。すぐ近くの清凉寺(嵯峨釈迦堂)は、もともとは光源氏のモデルともい われる嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)の山荘のあったところですし、お墓のあることも実は最近知りました。歴史はひっそりと息づいて、気づくの を待っているんでしょうね」とほほ笑む。

 「賢木」「花散里」「明石の姫」など物語の心のイメージを植物から得た色糸で優美に織り上げた紬織着物が平安の色と心象風景を匂(に お)い立たせる。

 「機織りは、生まれるものの基本。たて糸とよこ糸が交叉(さ)したとき初めて生まれ、ものが成る。たて糸は歴史や文化の伝統からあた えられるもの。よこ 糸は現代の自分の生きざま。平安時代から続いた嵯峨の風土のなかで色をいただき、源氏物語をテーマにするようになった縁に改めて気づき驚いています。死ぬ まで源氏シリーズを続けたいですね」

 母から娘、孫とつながることになった初の三代展についても、それぞれの個の仕事を尊重する。「正倉院からトルコへ染織の源流を訪ねる 旅で自分の進む世界 をみつけた洋子、クリスタルな透明感を絣で自由に出そうとする孫。それぞれ自分の道を続けていくだけです」。来し方への思いからか凛(りん)として語る。


 「志村ふくみの紬織り」展は滋賀県立近代美術館で4月10日−5月23日。三代展はサラ紬愛館=室町通出水上ル=で4月23−25日に開かれる。  

写真=「ずっと以前から『源氏物語』は好きでしたけどここま で深入りすることになるとは思いませんでした」と話す志村ふくみさん

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つくる情熱と夢を広げていきたい

ひと ARTALK》 美術家 岩野勝人さん

 28日まで京都文化博物館で開催中の「鉄腕アトムの軌跡展」は、手塚治虫の鉄腕アトムを中心に、ロボットの誕生から最新のものまで多彩な軌跡をひもとく文化史展でもある。その会場に、映画「メトロポリス」の美少女マリアや、ロンドンでつくられたスピーチするエリックなど、ロボットの歴史を彩る「名作」のレプリカが並ぶ。

 −ロボット制作をすることになったのは?

 「12年ほど前、『私のアトム展』の空間づくりを手伝い、95年に巡回した「手塚治虫 過去と未来のイメージ展」で、手塚さんが中学生時代に描いたマンガに出てくる最初のロボットのプポ氏やコブラ姫のイメージロボットを制作、こんどの機会につながりました」

 ロボットという言葉が登場したのは今から84年前。チェコの作家、カレル・チャペックの戯曲「R・U・R(エル・ウー・エル)」が最初だ。労働や賦役を意味するチェコ語「robota」に由来する人造人間の戯曲は、世界各地で上演されてロボットブームの下地をつくった。各国で最新、最先端のロボットづくりが試みられる。

 1927年にアメリカで製作され電話の指示で役目を果たす「テレヴォックス」。翌年、ロンドンで発表されたスピーチする「エリック」は、実際には無線による遠隔からの発声だが、しゃべるロボットとして当時の人々を驚かせた。

 −どんな方法で模造したのですか?

 「エリックのように簡単な構造図が残っている場合もあるんですが、他は写真で想像するぐらい。逆に設計図があったら、僕らがやるより工作機械のプロが作る方が適当でしょう。仲間と議論し皆でアイデアを出し合ってイメージをふくらませながら仕上げました」

 日本製のロボットもある。鉄人28号のモデルにもなったという三井安太郎の人間型ロボット。日本初=東洋初をうたった西村真琴のロボット「学天則」は、大阪市立科学館に数年前に静止した状態のレプリカがつくられているため、今回はあえて見送った。

 「既にあるものはつくろうとは思いません。ただ生物学者で画や文にも才能のあった西村真琴は、自由にものを考え、すべて手づくりで実行していったすごい人。ロボット学天則の容貌(ようぼう)は世界平和を願ってさまざまな民族の特色を取り入れているように考え方のスケールは実に大きい。人造人間など未来への警告は、現代のクローンやゲノムなどの問題とも重なります。レプリカをつくることは、夢を持ち、新しいものを生み出すことに情熱を注いだ先達の努力が、今のぼくたちの思いと同じであることを確認する機会にもなります」

 従来の彫刻概念にとどまることなく、新しい出会いや社会的なニーズとのかかわりのなかで今という時代の造形表現の可能性を切りひらくこと。岩野さんのロボットレプリカはそんな夢を広げる実践の一環だ。

写真=「ロボットに込めた先人の夢は、今ぼくらがものを創る夢や熱意とも重なります」と、ロボットのレプリカの前で話す岩野勝人さん。

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生命と精神が一体化した作品をつくりたい

ひと ARTALK》 造形作家 井田照一さん

 金閣寺に近い山すそに住まいを構える井田照一さん(1941−)。86年にラウシェンバーグとともに日米国際文化名誉賞を受けるなど、国際的な活躍を物語る受賞は数多い。この春4月には米ニューメキシコ州アルバカーキーにあるリトグラフ(石版画)の研究所で仕事をし、2カ月の滞在期間中、シアトルでブロンズ造形の制作も行う。

 国内では愛知県・豊田市美術館で「井田照一 版画の思考」と題した規模大きな回顧展が開催中(4月25日まで)。版画ばかりでなく絵画、ブロンズ彫刻、ペーパーワーク(紙の造形)、陶芸…と多彩なメディアによる作品が並ぶ。地元京都でも初期60年代から70年代の作品を展示した個展がアートフォーラムJARFO=西大路高辻西南角=で始まった(3月21日まで)。7月には正観堂で新作個展も予定されている。

 49歳のとき食道がんがみつかって2度の手術を受けた。現在も治療が続いているが、創作意欲は衰えることはない。入院時も油絵を描いたり、粘土をひねったり。なかにはキャンバスに鉄粉や銀粉、アルミの粉などをまき、排尿をかけて毎日のようにつくった作品もある。「抗がん剤を服用しているから化学変化で金属の色が変わる。ひとつとして同じものはない。きれいなもんだよ」と笑う。まさに生きていることの存在証明としての絵画作品群は、国内外のアーティスト約20人にスポットをあてる豊田市美術館の秋の企画展「イン・ベッド」で展示されるとか。

 自ら動くことによって生まれる人やもの、できごととの出会い。病気も含めたさまざまな体験。それらと自分自身との接点や間に新しい自己発見があり、作品を生み出すチャンスと可能性がある。「人生は一回しかないし、いろんな出会いと表現の可能性をミスしたくない。そのためにはひとつの素材や表現手法に固執するのではなく、もっともふさわしい素材と方法で具現化する、それがぼくの創作だし、生き抜いていく方法でもあるんです」

 井田さんが一貫してかかげる創作のコンセプト「表面は間である(Surface is The Between)」は、版画の制作過程からの着想に根ざしている。水平に置いた版と紙、プレス機で垂直にかかる力。垂直と水平の接点に表面(作品)が生まれるというわけだが、もともとは、今は亡き友人ジョン・ケージが井田さんに贈ったドーバー海峡の石からの啓示だった。「あるとき紙の上に置いていた石を動かすと、長い年月のあいだに紙の上に石の跡がうっすらついていた。その表面に感激したんだ」と打ち明ける。

 石と紙との間に生まれていた存在の証。井田さんの表現行為の原点ともいうべき経験に基づくコンセプトは、さまざまな国や場所に出かけ、人との出会いの中から、生の証明としての作品をつくる揺るぎない哲学として明快さを増す。「生命と精神が一体化した作品をつくりたい。ぼくにとってものを創ることは生きることの免疫力です」  

写真= 「ものをつくることは生きることの免疫力です」と話す井田照一さん

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