(四の一)



 豊国神社

 京都側の出発点は、五条大橋東詰から3筋東の「本町通」。この細い道をしばらく南に向かって歩くと、左手に立派な社が見える。この社は豊臣秀吉をまつる神社で、一般には「ホウコク」神社と呼んでいるが、正式には「とよくに」神社と言う。

 慶長3年(1598)、豊臣秀吉が亡くなると、遺言によって遺体は東山の阿弥陀ケ峰の山上に葬られた。当初の豊国神社は、その麓に建てられ、秀吉は正一位と豊国大明神の神号を与えられ、神となった。その後、徳川の世になり、家康は秀吉の神号を廃止し、社は荒れるに任されたが、明治新政府が神社を再興し、秀吉ゆかりの方広寺大仏殿の旧地に、現在の社殿を造営した。正面の唐門は伏見城の遺構と伝えられ、国宝に指定されている。




 耳塚

 豊国神社のすぐ西側、見上げるような土盛りの上に安置された五輪塔がある。これは、豊臣秀吉の朝鮮出兵にまつわる遺跡で、大陸に派遣された秀吉配下の武将たちが、朝鮮の人々を殺し、軍功の証明として首級でなく、死人の耳や鼻をそいで秀吉のもとに送った。その後、秀吉は供養のため一カ所に集め、塚を築いたのがこの耳塚といわれている。秀吉を神としてまつる神社の前に、耳塚が位置しているのも、歴史のめぐりあわせかもしれない。


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