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(12)きものは“変容自在” 社会学者 鶴見和子 さん

 俳人の黒田杏子さんがはじめてわたしを訪れてくださったとき、わたしの今暮らしている宇治の老人ホームの若い職員が「あの方は自由人の服装ですね」と評した。

 その時の黒田さんは、いつものおかっぱの髪に、柳宗悦の民芸運動の流れを汲(く)む若い染色家の駒田佐久子さん作の、ざっくりした白地木綿に藍(あい)でひょうたんを大胆に描いた布を、大塚末子さん考案の二部式きものに仕立てたものをさらりと着ていらした。

 きものは直線裁ちだから、着る人の姿勢と思想と暮らしぶりによって、変容自在である。解けば一枚の布に戻るので、どのように仕立て直しもできる。

 5月1日に、滋賀県立近代美術館で、志村ふくみさんの「紬(つむぎ)織り」の展覧会を拝見した。わたしが車椅子(いす)で会場をゆっくりめぐっている間、志村さんは作品についてお話をしてくださった。

 この美術館には、志村作品が60点余り収蔵されている。その多くは、初期から最近のものまで、志村作品の愛好者でコレクターの女性、霊名マリアさまからわたされたとうかがった。

 マリアさまは美術に造詣が深く、すぐれた眼識をもって、志村さんが精魂こめた作品の中からとりわけよいものを選びぬ かれた。それらすべてが、志村さんの故郷のこの美術館に収められた。

 箪笥(たんす)はからっぽになり、志村さんの前にあらわれたときは、川端康成氏の形見の薩摩絣(がすり)を着ておられた由。これぞきもの三昧(ざんまい)の極意。苦労して集めた宝ものを、自らのきこなしの創意工夫をもって楽しんだあげく、公共財として一般 の人々に開放してくださったのだ。そしてご自身は、働きやすく美しい紺(こん)絣という機能美の原点に立ち戻られたのである。

 わたしは帰ってすぐ、志村さんと、お嬢さまで染織家の志村洋子さんとの共著「たまゆらの道」(世界文化社、2001年)を読む。前半は日本の中の服装の美を尋ねる旅だった。伊勢神宮の神衣(かんみそ)から始まり、高野山・比叡山の法衣(ほうえ)、奥州平泉の毛越寺(もうつうじ)の「延年の舞」、安芸宮島の厳島神社の水上の舞台での友枝昭世師の「井筒」と「松風」のひとさし、山口の野田神社での毛利家の能衣裳(いしょう)、そしてさいごに正倉院御物。

 いずれも染め手、織り手の立場からの生き生きした描写 である。

世界を繋ぐ きもの文化
志村ふくみさんが、イタリアの聖堂でろうそくを見たときの感動を紬のきものに表した「聖堂(みどう)」。青の中に白い炎が浮かぶ

 志村さんは日本の美の源流を溯(さかのぼ)って、イラン、トルコへと旅を続ける。本の後半は、その道行である。

 イランのエスファハーンの美術館で、古代王朝時代のペルシャ錦(ザリ・バフィ)を、チャドルをまとった女性館長が、志村さんのためにわざわざ地下室から持ち出して披露された。志村さんは長年の念願であった正倉院の錦の源流をここにさぐりあてたのである。そして、この錦を「漂う気韻」と名付けた。

 わたしは、元気な頃(ころ)締めていた帯で、今は袖なしの陣羽織に仕立てなおした朱金襴(きんらん)の百合唐草紋様(もよう)の、その遠つ祖(おや)の故郷が古代ペルシャであることにおどろき、古代日本が中近東の文化をとりいれていたことに感動した。

 トルコでは、イスタンブールのカーリェ修道院でのフレスコ画の六聖人との対面 が圧巻である。

 志村洋子さんは、自作の「緑の寺」の裾(すそ)を長く曳(ひ)き、その上に、白地にうす紫で正方形の枡(ます)形の中に十字絣を織り出した「聖人II」をさらりとはおって、六聖人を仰ぎ見ている。その後ろ姿の写 真が、この本の最後を飾る。

 羽織の背縫(せぬい)の直線が一本筋が通 って、着手の姿のいきおいを凛然(りんぜん)とあらわしている。

 ひとりの日本の女性が背筋をぴんと立てて、異国の六聖人と向きあっていた。まことに堂々としている。日本の女も男も、きものを着ていれば、世界中どこへいっても、千万人といえどもわれゆかんという気概をもつことができる。

 正面を向いて立っている六聖人の典礼服は、十字絣と市松紋様である。志村ふくみさんによると、それぞれ1本のよことたての線を交差させた十字こそ、あらゆる紋様の原点であり、普遍的なものである、という。

 わたしたちの父母や祖父母が普段着に着ていた十字絣や紋絣の原点がここにあったのである。

 わたしたちの祖先は、なんと自由自在に外来の意匠や技法をとりいれて、日本の風土や暮らしに適応した日本の用の美を創(つく)り出してきたのだろう。

 志村さんの旅は、神道、佛教、イスラム教、キリスト教、そして民俗宗教としてのアニミズム(精霊崇拝)に相わたっている。とすれば、日本のきもの文化は、エキュメニカル(諸宗教の対話と共生)の精神の結実ではないか。

 このきもの文化を未来へむかって受けつぎ、さらに未発見の海外の衣文化とむすび、繋(つなぎ)あわせて、時代にふさわしい新しい衣装の形を創り出してゆきたいものだ。

 さらにいえば、男も女も、きものを着て国際会議や海外の講演会に出ていってはどうだろう。そして自前の思想をはっきり述べ、相手の考えと堂々とたたかいあわせて、新しく相互の理解に達することができるならば、そこに平和と創造の道がひらけるのではないだろうか。