<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
ボクは「健康優良赤ちゃん」だった

 私の生まれ故郷は、岩手県下閉伊郡岩泉町小本(おもと)という三陸海岸の小さな港町で、父や兄は現在も漁業を営んでいる。

 海が大好きな私は、小学生の頃から父親の手伝いをするのが楽しみだった。学校に行く前にも海に行き、もちろん帰ったら海に直行、ウニやアワビ、ワカメなど、面白いほどたくさん採れた。体を動かすのは好きで、夏はリアス式海岸の荒波で泳ぎ、冬は消防団の方に小学校の校庭に水をまいてもらい、にわか仕立てのスケートリンクで皆とスケートに明け暮れた。

 そのおかげで、泳ぎとスケートは今でも得意中の得意だ。また、海で相撲やサッカー、お寺では野球など、たとえ人数は足りなくても勝手にルールをつくり、おおいに遊んで過ごした。夜は、空手・柔道・剣道場に通った。また、青年会のバレ−ボール教室に特別に入れてもらい、教室終了後の井戸端会議も楽しみだった。

 小さな村ではあったが、皆仲良くスポーツを楽しんでいた。また、小本は子どもの頃から、男女共に空手を習う習慣があった。それというのも、近所のおじいさん、おばあさんから聞かされていた伝説の達人"ひろかっつぁん"の存在があったからだ。その達人とは、現・国際松濤館空手道館長の金澤弘和先輩である。その金澤先輩とは、小本小学校・中学校、岩泉高校(金澤先輩は宮古水産高校に転校)、拓殖大学とご縁続き。空手とボクシングとでは競技が違うが、世界の金澤先輩の同郷として、大変光栄なことであり、何かとご指導いただき、いまだに感謝の気持ちでいっぱいである。


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