<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
中学時代、友達と(中央がボク)

 しかし、私の進学やボクシングのことについて、おかんがいつも、親父とおシカばぁちゃんの間に挟まれて大変だったと思う。とにかく、おシカばぁちゃんとは、子どものころから、何処に行くのも一緒だった。

 ボクシングとの出会いの時もそうだった。小本海岸を散歩していて、合宿中の岩泉高校ボクシング部の一群とすれ違ったときに最初の出会いがあった。後の恩師にあたる、佐々木達彦監督がなんと、小学生の私に声をかけてくれたのである。

 数年後、私は岩泉高校合格発表と同時にボクシング道場に直行。佐々木監督は「お〜、三浦の弟、良く来た。さー、練習着に着替えろ」。膝にはまだ違和感が残っていたが、早くボクサーになりたい気持ちが勝っていた。しかし、私が見た練習風景はボクシングではなく、ただの殴り合いとイジメにしか見えなかった。

 鼻血が出ようが倒れようが関係なく、練習は続く。小本合宿とは違う。初めての猛練習を見て、ショックで怖じ気ついてしまし、「膝が悪く、ロードワークできないから、マネジャーでお願いします」と、入部した。それでも、少しはボクサーに近づいたという満足感でいっぱいだった。

 先輩のバンテージ巻きや、ミット持ち、マッサージなど、何もかもが新鮮だった。しかし、高校から実家まで約1時間のバスでの通学はまだ、耐えられるが、最終バスが午後5時半だから、練習が盛り上がる時間帯に帰らねばならず、いつも悔しい思いで帰った。

 悔しいから、少しずつ同級生の練習を参考に、実家で1人自分なりに練習を始めた。完全に練習が見られるのは土曜日で、その日が待ち遠しかった。が、1年生は休む部員が多かった。


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