<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
インターハイで優勝、記念写真を頼まれて喜ぶ

 退部にもならず、内心は早く(練習に)呼び戻してくれないかなーって思っていた。ある時、友達の家で遊んでいたら、ようやく(佐々木先生が)『何してんだ、お前!』って。待ってました、という気持ちで『やらして下さい』と言ったんだけど、もう遅いですね。まあまあ、練習の真似事ぐらいはしていたけど、フェザー級で出場しようとしたら、岩泉高校の総合優勝を視野に入れて、2階級上のライト級で出場することになった。

 もう3年生の4月に入っていたから、県大会に向けて調整するにも間に合わない状態だった。ちょうど、その頃に中洞先輩(現拓殖大コーチ)が来て、一緒に練習しているときに、悪いけど大人のボクシングっていうか、楽に試合ができる『カウンター』を教えてくれた。中洞先輩自身はファイターだったが、何故かアウトボクサーへのカウンターの教え方は上手で、高校2年生の頃から、合宿で会うと楽しくて、いつも後をついて行った。

 半分あきらめていた県大会は、三浦はフェザー級で出場すると予想されていて、全国出場を狙う選手は、あえてライト級に上げてきた。先輩のを見て、カッコいいと思ったカウンターは、相手が打ってきた瞬間に、クロスして合わすんだけど、このときはまだ左フックは覚えていなくて、まあ、ステップして必ず打ち返す程度だった。

 打ち合えばスタミナ切れすることは分かっていた。でも、県大会では、そのカウンターで相手を多分、全部倒したから『これは、面白いなー』って。インターハイでも5試合の内、準決勝以外4試合がKO勝ちだった。

 カウンターを使えば、こんなに簡単に倒れるものかと、自分でやってても感心するほどだった。佐々木監督は『最初からチャンピオンになると思っていた』と、コメントしてくれた。だけど、2年生坊主のとき、すごい練習したのに強くならなくて、半年も遊んでばかりいたのに、今度は相手が次々に倒れるっていうのが、何だかおかしいなーと、思った。

 とにかく3年生のときは、大半の試合で(相手を)倒したから、ほとんどの大学から勧誘の声がかかった。


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