<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
似合ってるでしょう。国鉄バスの制服でパチリ

 インターハイでチャンピオンになったから、国体(栃木)でも大学のスカウトの方がたくさん来てくれて、進学するつもりだった。入学金も授業料も免除という話もあったけど、オヤジは『都会の人が言うのはウソやから、オレが働いて出すから』って言って。じゃー、その金は小遣いに回して…なんて、調子のいいことを考えたりしていた。

 その内、4年後のロス五輪を目標にした強化選手に選ばれて、翌年に国体開催をひかえていた滋賀・能登川町で合宿をした。この期間中に全日本選手権があって、準決勝、決勝の試合を見たら、もうとんでもなく強くて、本当にビビッた。来年、この選手とやったら『殺される!』って。高校2年のときの苦しい練習をもう一度やるのもいやだし、大学のクラブは、何だかすごい体育会系だし『アーッ、やめた』と決めた。後に、拓大の「押忍(オスッ)、押忍」のバリバリ体育会系になるのだから、人生分からない。

 岩手に帰って、大学から勧誘の電話がかかってくると『うちは漁業してますし、オフクロがものすごく怖くて、ダメだと言うので』と、漁業を継ぐような言い訳して逃げていた。オフクロはそんなこと言ってなかったのにね。

 それで、国鉄バスにいた大先輩が臨時職員で入れてくれることになった。でも、遊びたい気持ちもあったので、東京へ行ってみると、上野駅に、大学のスカウトが何人も迎えに来ていた。何だか怖くなって岩手に帰った。結局、悪かったんだけど、大学はどこも受けなかった。

 社会人になって1年目は、まだ大学から誘いの声がかかっていた。9月の全日本選手権だった。前年のインターハイ決勝で倒した高橋(中央大)が優勝した。『何で高橋が…』って。そのすぐ後、たまたま、神奈川県の茅ヶ崎から来た人と出会った。そこは、岩泉町の八重樫町長も所属した(プロの)ピストン堀口ジムのあるところなんですよ。『よっしゃ、プロになろう』と思い、翌日、バスを辞めて、その人の車に乗せてもらって、茅ヶ崎へいった。まあ、家出ですね。

 ジムでは、まず何年か前の新人王とスパーリングした。相手にならなくて、いつプロデビューしようか、という感じで、ジムも盛り上がっていた。でも、どうも不安があって、しんどくなってきた。ジムに来て2、3週間したら家にバレて、あきらめも早いもんだから、プロにはならずに田舎に帰ることにした。


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