<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
島根国体での岩手県チーム。中央がボク

 田舎に戻ると、知り合いの延縄(はえなわ)漁船に乗ったりした後、地元の農協にはいった。牛乳冷却処理場で働きながら、時間があったので母校のボクシング部の指導を始めた。佐々木監督は喜んでくれるし、自分も勉強になった。盛岡へ練習試合に行くときは、マイクロバスの運転もした。

 高校を卒業して社会人2年目になると、見事にどこの大学も勧誘に来なくなっていた。どうしようか…、と思っていたときに、当時、拓殖大学4年の中洞先輩(なかほら=宮古水産OB)から『岩手でミニ国体(国体東北地区予選)があるから見に来い』って電話がかかってきた。その誘いがきっかけで、拓殖大の鈴木監督に会えて、『くすぶっていないで東京へ来い。全日本社会人で優勝したら入れてやる』と言ってもらった。鈴木監督は、岩手の高校生のスカウトに来たが、断られたので、ついでに私に声をかけたらしい。

 全日本社会人を前にした島根国体では、1回戦から3試合連続して1ラウンドで倒した。準決勝は、後にプロの世界チャンピオンになる平仲(当時、日大)だった。パンチはあるけど、どうもクセがあるな、と感じた。『当たるんじゃないかな』と思って打ったら、本当に第1ラウンドで2回ダウンを奪い、RSC勝ちした。

 決勝は、とんでもなく強いと思っていた副島さん(そえじま=当時、群馬県庁)だった。どちらも反則を重ねて、どちらかがもう1回したら負けという第3ラウンドに、反則を取られて失格負けした。しかし『副島さんとこれだけ戦えた』と、これはもう、すごい自信になった。

 東京であった全日本社会人は、4試合勝ってチャンピオンになった。オヤジやオフクロには、国体も全日本も『農協の長期研修に行く』って言って出掛けたけど、『農協職員が活躍』と新聞に出て、あっさりバレていた。


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