<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
初めて出た国際大会「キングスカップ」での試合。左がボク

 岩泉高校から大学に進む生徒は少なかった。3月3日、自宅の前で、拓殖大に向かうボクを同級生たちが胴上げして祝ってくれた。このときも、オヤジには農協の長期研修と言ってあったので『何で胴上げなんか…』と不思議がられた。ぞうり履いて、上野に着いたら、中洞(なかほら)先輩が『その格好はないだろう』と言って、靴を買ってくれたのをよく覚えている。

 入学前に、目前のキングスカップの代表だ、と言われてすぐ合宿に入った。アジア選手権よりレベルが高く、メンバーの半分は拓殖大だった。大会では1回戦で韓国の選手に負けた。どうも、それから韓国の選手によく負けるようになった。まあ、初めての国際大会だったので、全てが新鮮で印象的であった。

 エアーメールを書くのが嬉しくて、おばあちゃんとか、友達に出しまくって、どうもそれを受け取った実家では『国宏はどこへ行ってる?』って騒ぎになった。騒ぎといえば、パスポートを無くして、滞在も延びてしまう”事件”を起こしてしまい、中央郵便局勤務の鈴木監督に大めだまをくらうスタートだった。

 大学に入ると、5月のリーグ戦に向けた練習が始まった。1時間半をこなすと、夜は田舎にはない池袋や新宿の町が楽しくってね。遊ぶ方にも体力を残していたら、鈴木監督が『アマチュアは、3分3ラウンドの短い時間に最高の力を出すんだ』って。言われてみると、周りは、練習が終わると遊びにいけないくらいクタクタになっている。サボッているのはオレぐらいだった。

 監督は、アマチュアでは珍しいボディー打ちを要求した。これは、拓大の特長になっている。だけど、ボディーを打つ瞬間っていうのは、自分のガードが下がるわけだから、カウンターをもらわないか、と怖いし嫌だった。実は、それが、得意の左フックにつながっていく。


▲もくじ▲