<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
関東大学リーグの日大戦。当時はヘッドギアがなかった。右は鈴木監督

 ボディー打ちの瞬間は、ガードが下がるわけだから、カウンターを打たれるのでは、という怖さがある。だから、少しでも上を打とうと意識した。鈴木監督の喜ぶ接近戦で、ボディーまではいかないけど、腹の上の方を打っていたら、これはフックのタイミングだな、と思った。監督は『フックはだれでも打てる』って言うんだけど、なるべく楽な方、楽な方を思い切り打ち抜いていた。これはいいなって感じて、本番で使おうと。

 5月のリーグ戦でやり始めたら、見事に決まった。パンチで絶対早いのはストレートなんだけど、結局、オレのフックに対して合わしてくるストレートパンチャーが日本では出てこなかった。それで、勝ち続けることができた。

 高校のときから痛めていた右の拳(こぶし)をかばって、左ばかりを練習していた。だから、フックの力がついた。構えは右利きで、相手は『右が強いだろう』と思う。もちろん、三浦は右が打てない、とバレるんだけど、戦い方として相手にプレッシャーをかけて、右を出さすように仕向けて、その瞬間に左フックをカウンターで打った。まあ、その技を覚えたっていうか、相手との間合い─自分 の距離をものにできた。

 リーグでは、みんなポコポコ倒れた。(西の1位)近大との大学王座でも勝った。そのとき、大阪で新先輩が大祝賀会を開いてくれて、大学の「きずな」の強さにはびっくりした。

 全日本選手権は、優勝のつもりだった。でも、決勝で副島さんにダウン取られて大差の判定負けだった。サウスポーの相手に対しては、左に回るのが鉄則だが、ボクはクセがあってどうしても右に回ってしまう。そうすると、相手の左をもらうことになる。この完敗が、結局『国内での最後の負け試合』になる。

 国体まで1カ月しかなかったが、鈴木監督は、ボクの右に回るクセは直らないとあきらめたようだった。フックに磨きをかけるだけだった。国体は準決勝で平仲に勝った。決勝では、開催県選手の副島さんをやっと3ラウンドでつかまえた。たまたまフックが当たってKO勝ちした。監督の友達のエディーさん(プロの名トレーナー)が『オーケー』って。

 当時、副島さんとまともに戦える選手はいないっていわれていた。嬉しいというより『神様みたいな人に勝ってしまった…』というような怖さを感じた。


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