<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
ロス五輪会場で、世界チャンピオンのミルトン・マックローリーと。リングサイドには、プロのスーパースターの姿があった

 大学2年の年が明けて、ロス五輪選考試合の全日本選手権(鳥取)を前にした強化合宿が、3月から始まった。各階級3〜4人が指名され、マラソン選手みたいに走らされたり、本当にしんどくて、オーバーワークでコンディションを崩す選手さえいた。もう、岩手に帰りたいって思うほどだったのに、先輩からは『お前が一番リラックスして、うまく力を抜いていたから全日本で良い試合ができた』と言われた。

 その全日本は、1回戦は判定勝ちしたが、唇を切って、試合後に救急車ですよ。次の試合で、打たれて出血したらレフリーストップになると言われたが、そうなる前に1ラウンドで倒した。次の試合もすぐ勝って、傷もふさがってくれた。

 決勝は、前年のアジア選手権(沖縄)ライトウエルター級優勝の平仲に勝った。なんだか泣けてきて、テレビにも映ってしまった。オリンピック出場が決まって嬉しいっていうより、苦しかった合宿なんかも思い出して、ホッとしたのかもしれない。

 岩手からボクシング初の五輪代表が同時に2人(もう1人は瀬川先輩)出て、地元は大騒ぎになった。岩泉町の八重樫町長は元プロボクサーだし、6月17日に開いてくれた壮行会はジープのパレードもあって大変だった。

 五輪の1回戦の相手は、チュニジアの選手になった。世界選手権でも早く負けていたという情報があって『よし、勝ってもっと有名になったるぞ』って。会場の盛り上がりがすごくて、誰が試合するんだろうと思ったら、自分の試合! 感動して、何をあせったのか1ラウンドから飛ばしすぎた。

 反則を取られて、2ラウンドに五分五分に持ち込んだ。3ラウンドにはダウンを奪った。判定はどうかな、と思ったら1−4で負け。ボクは悔いの残る試合っ てあまりないんだけど、これは…。その相手が、次も、次も勝っていたしね。

 結局、アメリカの選手がメダルを多く取ったけど、パワーのある選手でも、いろいろなパンチを次々と自然に繰り出すコンビネーションが上手かった。これは勉強になったし、観客の目が肥えているのも印象に残った。ボクシングで五輪に2回出たのは、ヘルシンキとメルボルンの石丸(早稲田大学)さんだけで、夢のような話なんだけど、次のソウル五輪にも楽に出られるのでは、と思うのと、4年で体力もどれくらい落ちるかな?という不安もあった。そのぐらいボクシングというスポーツは厳しいのか、と思いましたね。

 とにかく、試合が終わったし、選手村ではステーキもフルーツも無料なので、食べ回ることにした。ところが、家に電話したら『帰ったら国体(奈良)に出ろ。選手団の旗手に選ばれるから。名誉なことだ』ってね。五輪で負けていたから『いまさら国体なんて』って偉そうな事も言えないし、食べたい物も食べずにロードワークを始めた。ロスには、良い思い出はないですよ。


▲もくじ▲