<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
関東大学リーグで平仲(右)に判定勝ちした

 国体は、ボクシングの場合、チャンピオンクラスになると出ない選手も多かった。まして、学生として一番大切な大学リーグをひかえていたが、鈴木監督は『お前は丈夫なのは、岩手のおかげだろ』っていうし、ボクも岩手の代表という立場は大切にしたかった。振り返ると、言われるままに、いろいろな大会に出ることで、引退までに200以上もの試合を戦うことになったのだろう。

 奈良国体の入場行進は3番目だから、沖縄までの全都道府県が揃うまでものすごく時間がかかる。減量で体はきついし、待ち時間は選手団の後ろに回って寝ていた。決勝は奈良と当たり、2対2の後の勝負を決める試合がボクだった。警察官の家に民泊していたんだけど、地元の奈良に負けない応援で、勝たせてもらった。岩手は国体4連覇できた。

 この頃からですね。いけないことなんだけど、スパッと倒して決めればいいのに、楽をしてしまうっていうか『相手に悪い』というような気持ちで、ついチンタラしてしまう。だから、逆に相手のダメージが大きくなる。タンカーで運ばれた可愛い後輩もいた。相手の気持ちを分かったつもりが、分かっていなかった。

 大学リーグは、2連覇がかかっていたが、試合前の予想は日大有利だった。オリンピックに行ったのは、日大が黒岩、東、平仲の3人。うちは、瀬川先輩とボクの2人だった。監督は『三浦、ウエルターに上げとけ』って言って、平仲と当てる作戦だった。瀬川先輩はライトフライに落として黒岩と、というように、得意の裏作戦の真っ向勝負をしかけた。

 あこがれの後楽園ホールで、オーダー交換をするときの緊迫感は何とも言えないものがある。学生はリーグ戦にコンディションを合わせるし、ボクシング通の間では、この年の拓殖大と日大の接戦は語り種だろう。平仲とは僅差だった。1ラウンドにダウンを取られて、2ラウンドは逆に取って、判定で勝った。3年だった平仲は、この試合を最後にプロへいき、後に世界チャンピオンになる。平仲には結局4戦4勝だったが、ボクのライバルがいなくなり、平仲がプロでどれぐらいやれるかを楽しみにした。


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