<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
世界選手権の会場でヘビー級王者のステベンソン(キューバ)と

 大学4年になる3月にジャパンカップが千葉であった。第2回なんだけど、外国から強い選手を大金で招いて、日本選手を踏み台に使うのかっていうような批判があったらしい。監督から『フランスの選手にはどうしてでも勝て』と言われたが、勝つと、世界チャンピオンのメンハルト(ドイツ)とやらないといけないし、どうしよう…って。

 いざ、試合でダウンを取られたら『このやろう』という気持ちになって、打ったら当たって、KOで勝った。決勝は、メンハルトにダウンを3回くらい取られたのに、監督は止めてくれないどころか、コーナーに戻ると『どんどん打ち合え。5月の世界選手権があるぞ』って。試合中のやり取りじゃないですよね、こんなのは。

 しばらくして、世界選手権の代表に選ばれた。大会が近いから長期の合宿もないし、自分のペースで練習できるのがうれしかった。メンバーは社会人中心で、学生はボク1人。ウエルター級で減量の苦労もなかった。

 1回戦は不戦勝で、2回戦の相手は黒人の『ケネス・グルード』っていう地元アメリカの選手。何だか愛嬌があって、ボクより10センチ以上も小柄なんですよ。強いとは聞いていたけど、打ち合ったら必ず勝てると思った。いざ、ゴングが鳴ると、小さい選手には珍しいアウトボクシングで、足使われて、しかも速い。挑発したり、いろいろ仕掛けたけど、全然打ち合ってくれない。

 リーチもそんなにないのに、ジャブは結構もらうんですよ。結局、痛くも痒くもなくて、ダメージもまったくないのに大差の判定負けだった。本当のヨーロッパスタイルの戦い方で、結局、このグルードが、メンハルトに勝ったキューバの選手さえ退けて世界チャンピオンになった。

 しかし、後になって考えてみると、この世界選手権で倒されて負けるような結果だったら、帰国後すぐの日本選手権(沖縄)に出場できなかったから。我ながら、何という強運だろう。


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