<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
井手町での国体リハーサル・全日本選手権表彰式

 社会人になったらレベルが下がると思われたのか、、国際大会の代表もはずされた。4月から7月にかけて試合もなくて『こんなことをしていていいのか…』というあせりもあった。

 秋の全日本社会人選手権までは、いい意味での休養を取れた。しかし、久しぶりに大会に出てみると、2試合とも相手が棄権してしまい(結果は優勝)、がっかりした。この大会で、当時17歳の社会人、辰吉(後にプロ世界チャンピオン)が出てきた。試合を見て、動物的なカンと、ここだという時のコンビネーションに大物の予感があった。

 沖縄国体に続く全日本選手権は、翌年の京都国体リハーサルだった。5試合やって2試合判定だったが、問題なく優勝した。確かに、学生時代に比べて試合は大幅に減ったが、キャリアを積んで、リングの上でのかけひきを覚えてきたし、むしろ『大学時代より強くなっている』と、自分自身で感じていた。大会は観客も大勢来てくれて、大いに盛り上がった。

 すぐに、アジア選手権がクウェートで開かれた。『クウェートはアジア?』という思いもあったし、酒も肉もだめ。湾岸戦争がいつ始まるか分からない。緊迫した中での貴重な体験をした。1回戦でモンゴルのチャンピオンに完敗。いやー、この選手は本当に強かった。

 京都に来たこの年の暮れに、同級生の釘田(タレント・和泉修)がどんどんテレビに出始めて、『オレは何してるんや。アマのままでいいのか』って思うこともあった。当時は、関西のプロボクシングからの誘いがいろんな所からあって、何千万円で契約というような好条件もあった。迷っているときに、東京に練習に行くと、母校の鈴木監督と話して、やっぱり、いまのアマのままでやろうと思い直す。当時は、こんなことの繰り返しだった。


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