<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
ソウル五輪のボクシング日本代表。右端がボク

 ソウル五輪の予選だった岩手での全日本選手権では、親父やお袋をはじめ、すごく応援してくれた「地元の人の力」をありがたく感じていた。プレッシャーもなく、負ける気はしなかった。大会の後、その日すぐにソウル五輪代表に決まった。壮行会も八重樫町長がすごいのをやってくれた。

 五輪に向けた合宿で、ボクシングスタイルをアップライトに変えてみた。それまでは、前かがみで構えてガンガン打って、倒しにいってたけど、パンチが当たったらすぐにバックステップしたり、サイドに逃げる方法に変えた。アマチュアは、当てればポイントになるから『これはいい。なんで早くやらなかったんだろう』というぐらいに、うまく身についた。本当はダメなんだけど、練習でも相手が倒れるほどだった。

 ボク自身はボクサーファイターが理想だ。『三浦はボクサータイプ(技巧派)』と、ずっと言われていたが、ボクシングはやっぱり『闘いや』って、今でも思いたい。ソウル五輪を前にして、25歳になっていた。ボクサーとしてはピークは過ぎている年齢でも、体脂肪率や、1500メートル走など、全ての面で測定値は向上していた。

 ソウル五輪の1回戦はザンビアのムアンバという選手だった。ボクから見たら背の低い選手で、無名だったし、悪いけど『勝った』と思った。銅メダルは確実とさえ考えていた。ファイターの多い黒人選手で、『これは、殴り合ってくれる』と期待していたら、その通りだった。ところが、左フックを打ったら、逆に左フックを合わされて第1ラウンドにダウンを取られた。第2ラウンドは5分5分かどうかで、第3ラウンドに入るときに、もうすごくやられているのに、何故か『やっちゃっていいですか』って言った。そしたら、セコンドの鈴木監督が、よし、(アップライトでなくて正面から打ち合う)これまでのスタイルでいけって。ラウンドが始まると、相手は『待ってました』とばかりに攻めてきて、逆にもっと打たれちゃった。

 結果は大差の判定負け。三浦はなんでアップライトに変えた、という声もあったけど、だれが何と言おうと『オレは一生懸命頑張ったんだ。全てを出し切った。ボクシングをやっていてよかった』と感じていた。すがすがしい負けなんですね。あの鈴木監督も珍しく『それでいいよ』って言ってくれた。岩手の連盟の先生たちからも、負けたけどよかった、と言ってもらえた。

 もう、オレの最高の舞台は終わった。


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