<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
北京アジア大会での試合(左がボク)

 北京アジア大会では、金沢での全日本選手権でセコンドをしてくれた本山監督が、奥さんや後援者と一緒に応援に来てくれた。会場警備が厳しかったのに、応援の横断幕も出してくれた。

 決勝まで、4試合の予定だった。ところが、準々決勝で対戦することになった朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の選手が棄権した。前日、別の階級の試合で、北朝鮮サイドと相手がもめて、北朝鮮選手はだれも試合に出なくなった。もし対戦していたら、打ち合ってくれれば勝てたかもしれないが、冷静に考えると負けていただろう。またまた、強運だった。

 準決勝がモンゴルの選手。『三浦は負けるだろう』と、言われていたようだ。ダウンは取られたが、逆転で判定勝ちして自信になった。

 決勝は、シリアのハンジという選手だった。前年のアジア選手権でも対戦していて、レフェリーストップで負けていた。作戦はアウトボクシングでっていう話だったけど、ボクは『やっぱり、最初からいきましょう』って。セコンドの中洞(なかほら)先輩は、『お前の好きなように行け』と言うだけだった。

 ハンジは小柄な選手で、(うまく捕まえられなくて)いやになってきた。自分もガードしながら、効かないアッパーを打ってみた。捨て身の一発じゃないんですね。それが、当たりそうになったから、今度は本気で打ったら、これが当たらない。後はもう…。

 終わって(判定負け)みると、何でシリアがアジアなんだろう、なんて考えたり、中学の時の英語の先生が『1位にならないと、2位以下は1回戦負けと同じ』と言っていたことなんかも思い出した。表彰式が終わって、選手村に帰ってきたら、『三浦、ナイス!』って声をかけてくれる人がいた。サッカーのラモス選手だった。選手村のサウナで、いろいろ話し合う仲になっていた。

 金メダリストにだけ贈られるパンダの大きなぬいぐるみを自分で買った。日本に持って帰る費用をカンパしてください、と呼びかけたら、結構みんな協力してくれた。自分で自分をほめるんじゃないけど、このパンダは、いまでも、このアジア大会でのパンツとグローブとシューズをはめて置いてある。


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