<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
世界選手権の試合の後、シドニーでくつろぐ

 北海道で行われた社会人選手権は余裕を持って臨んだ。地元のジムの赤坂会長さんが練習させてくれた。『オーッ、三浦、減量は大丈夫か』と、聞いてきた。ボクサーは睡眠が一番大切なんだけど、この誘いで夜に美味しいものを食べさせてもらった。顔見知りでもないこの会長は秋田出身で、隣の岩手出身のボクを大切にしてくれた。

 そのおかげて、地元みたいな感じで試合ができた。実は、京都国体の次の年が北海道国体で、昔、京都でなくて北海道に行く(就職する)か、という話もあった。そんなことも思い出しながら、人間関係の大切さなんかも学んだような気がした。石川国体では、岩手県の選手に勝ったんで、岩手がわずかの差で優勝できなかった。決勝の相手は、強かった今岡兄弟の弟だった。石川は、前年の全日本選手権で来ていたが、民泊の人達も本当に親切にしてくれて、すごく盛り上げてくれた。

 とんでもない思い出は、国体の後の世界選手権だ。1回戦の相手、プエルトリコのアセベドという選手が、ホテルでボクの部屋に訪ねてきた。『何かくれ』と言ってるらしいので、Tシャツとかいろいろあげた。すごく喜んでね。

 これは、相手がビビッてるなと感じた。銅メダルぐらいは行けるような気がして、同僚たちに『銅なら、日本体協から(強化費)20万円もられる』と、軽口をたたいていた。

 アセベドは、試合前のシャドーボクシングを見たら右利きで(ボクは左利きが嫌いだから)よっしゃ、とね。ところが、ゴングが鳴ったら、ボクの前で踊りやがった。『ナンダ、この野郎!』ですよね。左右に動くのを見ていると、ボクの強打から逃げていると感じた。追い込んでいって、左フックや、と思って打とうとしたら『パンパンッ、パン』と、ジャブがきた。早くて、見えないかった。そしたら、鼻血が出てきた。

 それでも、コーナーに詰めて、左フックを打ったら『プンッ、プンッ』とかわされて、逆にダウンしていた。『オッ、オッ、何があったんや』と気がついたら、レフェリーがワン、ツー…とね。監督から、背もたれしろって言われて、ロープにもたれた。いやー、早かったですね、全てのパンチが。

 怒られると思ってコーナーに帰っても『いつもの通りでいいんや』って。2ラウンドはなんとか逃れて、3ラウンドは、いつものように打ち合おうといったら、パンッともらって倒された。オレもアホやね。また、追い込んでやろうと思っていったら、もう1回ダウンもらった。それで、レフェリーストップ。

 こっちは『済みませんでした』と、謝っているのに、後輩はみんな『ご苦労さまでした』と言うばかりだし、上の人はよくやったよって。おかしいな、と思ったら、アセベドは、前の年の世界ジュニアチャンピオンだった。『お前に言うと、ビビると思ったから』と、隠していたらしい。しかし、そのアセベドが、ロシアのWBC世界チャンピオン(1999年12月現在)のコスタヤジュに遊ばれた。いやー、世の中広い。


▲もくじ▲