<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 
山形国体でセコンドをするボク

 山形国体前の仙台での練習で『どこかおかしい』と感じていた。国体は、全日本社会人選手権よりレベルが高いんですが、出ればやっぱり勝てるような気持ちもあり、もうだめだろう、とも…。でも、京都に就職したのは、国体に出て勝つのが仕事っていう思いもあった。

 とにかく、山形の国体会場にはいった。地元の山形は、ボクがウエルター級に出るというので、その階級を避けていた。しかし、(拓殖大の)鈴木監督から『バカ、もうやめろ!』と、言われて、その一言で引退を決意した。

 山形にいた拓大の先輩は、もう少しやったらとか、惜しんでくれた。それでも、鈴木監督は『だめ、もうだめ』と。試合に出ないことを決めたので、まあ、飲みにつれていってもらった。

 ちょうど、京都の武元監督が、子供が生まれて、国体に来れなくなった。ボクは、セコンドをやらせてもらうことになった。実は、ボクは教えるのも大好きだから、前からやりたいと思っていた。岩手のチャンピオンになった選手に、京都の藤原が準決勝で負けたけど、セコンドというものの爽快(そうかい)さを知った。

 でも、武元先生が教えた選手を、この日だけセコンドしたわけだから、何にもならない。この手で、いちから選手を育ててみたい、と強く思った。

 それにしても、2週間前の全日本社会人選手権は、心の中では『泣きながら』試合をしていた。決勝だって、すぐに倒せる相手だったのに、手こずって3ラウンドまでいった。試合の後、長い付き合いのその選手から『1ラウンドで負けると思っていました。どうしたんですか』と慰められた…。準決勝の選手とは、悪いけどわざと判定までいってやろう、と思ったが、やられそうになった。それで、怖くなって、打ったことのない右クロスでKO勝ちした。勝っても、内容はおかしいボクシングだった。左フックが打てないから右クロスを使っていたんだから。

 本当は、この大会に出ること自体が無理だったですね。ただ、地元のみんなが集まってくれて、全員で写真を撮ったのが素晴らしい思い出になっている。

 山形国体開会式のNHKの中継放送では、京都府選手団のところで『ボクシングの三浦選手は、9年連続の優勝を狙っています』と、紹介されたが、その次の日に引退を決めたボクは、もう悔しいとも何とも思わなかった。(国体の試合に出たら)もう負けると、自分で分かっていたんです。


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