<不世出のアマボクサー・三浦国宏の半生記> 

 このシリーズも最終回を迎えました。不世出のアマチュアボクサー、三浦国宏選手を取材した思い出を紹介します。

 彼は、1999年12月末で京都府立山城高校職員を退職しました。

 野球によくこんな話があります。投手が大打者と向かい合ったとき、得意のコースに投げてはいけない、と分かっていても、何故かそのコースにボールがいってしまい、結局打たれる−。大打者の大打者たる所以です。「三浦の左フック」は、まさにそれでしょう。

 アマボクシングで、三浦を倒せば一躍スターです。徹底的に分析、研究されたのは当然でしょう。1992年、ふるさと岩手であった全日本社会人選手権の会場でした。あるボクシング指導者が「三浦の(パンチの)スピードも相当落ちたな。しかし、あの左だけは…」とつぶやきました。結果は、その左フックが、不気味なまでにうなりを上げました。

 ある試合では、一流の大学生選手がKOされ「あの左フックは、どこから出てくるかまったくわからん」と、つぶやくのを聞いたことも…。

 ただ、スポーツでは、強すぎる、上手すぎることが時として厄介な場合があります。野茂投手のあのすごいフォークボールをきれいにミットに収める捕手は、日本ではなくて米大リーグにいたのです。その相棒をみつけたことで、野茂投手は思いっきり投げることができた、といわれています。

 拓殖大学を出て、京都に就職した頃の三浦選手は、強すぎたために練習相手に苦労しました。スポーツでは「もし」「たら」は禁句と言われますが、選手としての全盛期に、もしもっと素晴らしい練習環境が与えられ、海外に武者修行に出られていたら、どれほど強くなったか、と想像することがあります。

 しかし、三浦という選手から、そういう悔しさ、あるいは愚痴に似たことを聞いたことはありません。酒が大好きで、京都時代の引退後は「酒は酔うためにあるから、酒を飲むと酔うことにしている」などと言っては、いつも酔っていました。酔った勢いでも、「未練がましい」言葉は出てきません。よほど意志が強いか、考えられないほど無欲なのか−。

 いまのところ、つかみどころのない大選手だったとしか言いようがありません。拓殖大学時代の鈴木監督から今年いただいた年賀状にも「三浦は不思議な男ですが」と書かれていたほどですから。

 勤めていた山城高校の卒業生にサッカーの釜本邦茂氏がいます。高校時代の釜本氏を指導者した森貞男氏(元山城高校校長)があるとき「三浦の目(の鋭さ)は、釜本に似ている」と言いました。釜本氏は旧日本サッカーリーグ通算202ゴール。三浦選手の生涯通算218勝。この近似値にも何か共通する「勝負の魂」を感じているのです。

続く
素人目にも「スキ」のない三浦(左)のファイトスタイル(1992年・国体近畿ブロック大会) 勝つと、どんな小さな大会でも三浦は嬉しそうだった(1995年・京都ベルト戦)

引退試合となった京都での全日本社会人選手権。祝福の輪の中で寂しさを隠す(1995年) 同じ全日本社会人選手権で。「試合直前なのに、私にスリッパを持ってきてくれた三浦さんがとっても不思議だった」とファンの一人


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