Kyoto Shimbun

日常会話 微妙なニュアンス託す

 数学の期末テストの答案が返された時のこと。「クラスで1人、100点満点が出ました」と先生が告げると、「きっしょー。すげえ」とあちこちから声が上がった。自分の手を画用紙に模写する美術の授業では、女子生徒が少しイライラしながら、「あー、きっしょー。うまくかけへんわ」とつぶやいた。

友だち同士の会話では、微妙なニュアンスを含む単語が飛び交う

 生徒の表情や前後の話の流れから、同じ「きっしょー」という言葉に、前者には称賛の意味が、後者は不快の感情が込められていると分かる。自分の感覚とは違うと思う時、生徒たちは感嘆符のように用いるs。だが、「きっしょー」は「気色悪い」という言葉からきているだけに、一瞬、どきっとさせられる。

 中学生たちはもともと存在する言葉に、感覚的に新しい意味をもたせる。「単発的な発言や単語での会話が多い。自分の思いを伝えるのが苦手だ」と国語の先生は感じる。

 「部活の試合はいつあるの」と聞くと、「今度の日曜日」と単語で返ってくる。「しんどい」と訴える生徒に「保健室で休む? 家に帰るんやったら、連絡してあげようか」と尋ねると、「うーん」と言い淀み、自分がどうしたいのかが伝えられない。「文章でうまく伝えられないから、単語に微妙なニュアンスを託すのではないか」と、先生は考える。

 数学や理科でも文章を読み解いて解答を導く問題が苦手だ。期末テストを終えた生徒たちは、「計算だけやったらまだいいけど、問題を読んでいるうちに分からんようになってしまう」という。知識はあっても、文章で問われると答えられない。先生たちも生徒の日本語力低下を感じる。

 「言葉はその時々の文化を表す。今の社会が、文章で話さなくても、生活できるようになっている」

[2006年10月18日掲載]