The Kyoto Shimbun
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消えゆく仁丹町名表示板 老いの街で放つ存在感

社会部・樺山聡
仁丹の町名表示板をあしらったポスター。落ち着いた西陣の街並みに似合う(京都市上京区)

 仁丹の町名表示板は美しい。京都の道ばたで長い歳月の波にもまれながら生き残り、今も路地での右往左往を見守る。縦長ほうろう板に明朝の字体。外交官を模した紳士の絵。確実に減ったが、時代に逆らうかのような孤独な立ち姿は老いを迎えた街にも重なる。

 下京区楊梅通東洞院南西角の木造2階建て民家にはかつて2枚掲げられていた。「下京區楊梅通東洞院西入福島町」と「下京區東洞院通五條下ル二丁目福島町」。2年ほど前にこの民家が駐車場になることが決まり、隣に暮らす山野桂市さん(76)が解体業者に頼んで引き取った。「一人暮らしの80代の女性が亡くなりはって。看板には愛着もあったし、なかったら通りはる人も困る。看板までもがなくなったら、おばあさんも浮かばれん」と話す。

 1枚を十字路から見える自宅外壁に掲げ、もう1枚は駐車場南隣の民家に付けてもらった。しかし、この民家に一人で住んでいた99歳女性も今年2月に亡くなり、今は空き家。

 「昔から住む人はすっかり少なくなってしまった。こっちはマンション、こっちは空き地。寂しいもんですわ」。かろうじて廃棄を免れた1枚もあるじを失い、再び存続の危機に陥っていた。広告宣伝に熱心だった森下仁丹(大阪市)が1910年に全国で設置した町名表示板を大量に残すのは京都のみだが、この15年で4割減の約800枚になったとみられている。

 それでも街を歩くたびに探していると、表示場所とは少しずれた場所の民家に掲げられている例も数多く見つけた。救出例は相当数あるのではないか。2階部分に多いのも「盗難防止で1階から移した可能性が高い」と、写真を撮り集めている愛好家から聞いた。

 「私は西陣・大黒町です」。仁丹町名表示板がそう語りかけるようなポスターが、京都市上京区浄福寺通上立売上ルの手織技術振興財団が運営する「織成舘」前に掲げられている。西陣で生まれ育ったグラフィックデザイナー久谷政樹さん(69)=左京区=が約20年前に作った。折しもバブルで開発が進み、幼いころに見慣れた表示板が次々に失われていくことに心を痛め、制作を企画した。

 「無機質になっていく街そのものにわたしには映った。この街に何を残すべきか、控えめながらも再考を迫っているように見えた」

 御池通に交差する通り名表示板や地下鉄東西線の誘導表示の設計にもかかわった久谷さんにとって、そのデザイン性も魅力の一つ。「白の素地に鮮やかな青の縁と余白。あの美しさにはかなわない。だからこそ受け継がれてきたのだろう」

 道案内を理由に商品名の浸透を図った当初の使命を果たし終え、もはや京都の街の一員として愛されていると言ったら大げさだろうか。壊しては建てるの繰り返しを見直そうと言い始めた今だからこそ、過去の人々の営みを知る美しさは一段と際だっている。

[京都新聞 2010年5月26日掲載]

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