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木津川河川敷の崩落 安全対策、早急に本腰を

南部支社 米沢幸雄
木津川の河川敷。応急工事は行われているが、崩落は続いている(6日、木津川市山城町椿井)
木津川の河川敷。応急工事は行われているが、崩落は続いている(6日、木津川市山城町椿井)

 木津川市山城町椿井の木津川河川敷の崩落問題で、木津川を管理する国土交通省淀川河川事務所が応急措置を取る中、依然として河川敷が崩れ続けている。河川事務所は本格的な工事について「1カ所だけ行うのは下流に影響を及ぼす可能性がある」と消極的だが、現場の農地では危険と隣り合わせで農作業が行われている。豪雨の季節が迫り、大規模水害につながるのではないかとの不安の声も聞かれる。何らかの手だてが早急に必要ではないか。

 5月下旬に現場を訪れると、河川敷の農地に大きなひび割れが走り、立ち入り禁止ロープを張るためのくいも、崩落の進行で断崖にぶら下がっていた。ある農家の男性は「かつては100メートルほど河川敷が広がっていたが、流れの変化でどんどん削られている。豪雨になれば茨城県の鬼怒川のような大規模な水害が起こらないか」と不安がる。

 崩落現場は、木津川市山城町と精華町祝園を結ぶ開橋の上流約600メートル。右岸が約500メートルにわたって削り取られ、河川敷から水面まで約6メートルの絶壁となっている。河川敷は江戸時代から続く農地で、農家がハクサイやダイコン、ネギなどを栽培してきた。地元の市議や農家によると、約5年前から河川敷の崩落が始まった。収穫間近の農作物が畑ごと崩れていくことが相次ぎ、農道や農小屋が一晩で跡形もなく消えたこともあったという。

 崩落の原因について、川の見守り活動を続ける木津川管内河川レンジャーの福井波恵さん(65)は「砂州ができる位置が昔と変わり、水の流れが変わったため」と説明する。木津川は「砂の川」と呼ばれてきた。上流から大量の砂が運ばれていたが、水量によって堆積する砂の場所がその都度変化してきた。

 1969年の高山ダム(南山城村)の建設で洪水被害に歯止めはかかったが、一方で土砂の流入量が減少。砂州と水の流れが固定化し、同じ箇所ばかりが削られるようになり、崩落が進んだみられる。水害防止のためのハード整備が裏目に出た形だ。

 京都大防災研究所の中川一教授(河川防災システム)も「もはや『死んだ砂州』化しており、川本来の流動性を取り戻すには、砂州に手を加えることが必要ではないか。このまま放置すれば、本堤に影響が出る恐れがある」と指摘する。淀川河川事務所は、住民の強い要請を受け、3月から現場に消波ブロックを設置する応急工事を始めた。しかし、「一カ所だけ砂州を除去すれば、今度は下流の流れに影響が出る」とし、本格工事には慎重な構えだ。

 河川事務所の説明に理解できる部分はあるが、崩落箇所も固定資産税が支払われており、住民感情を悪化させる一因になっている。多くの住民が納得できる解決法を本腰で考えることが必要だ。

[京都新聞 2016年6月8日掲載]

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