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短詩型文学の力 「共感より驚異」に希望

文化部 阿部秀俊
新刊「鳥肌が」の出版記念イベントで担当編集者と対談する穂村さん(左)。ユーモアと毒が入り交じったトークが参加者を引きつけた(京都市下京区)
新刊「鳥肌が」の出版記念イベントで担当編集者と対談する穂村さん(左)。ユーモアと毒が入り交じったトークが参加者を引きつけた(京都市下京区)

 「すぐ感動するやつはクズですよ」。先日、京都であったトークイベントで歌人の穂村弘さんが、いささか挑発的に世間の感動志向を批判した。学生サッカーのテレビ中継で監督の名前が出るたびに「今年心臓を手術」のテロップが流れたことを挙げ、「ドラマじゃないところにスポーツの崇高さがあるのに、感動モノに仕立てて、おとしめている」と手厳しかった。

 確かに、何でもやたらと感動に結びつけ、共感を強いる風潮には違和感を覚える。怒りや憎しみへの共感になると、危うさも感じる。しかし今、共感の力は絶大だ。フェイスブックの「いいね!」に象徴されるように、あらゆる価値の尺度が、共感できる/できないに規定されているような気がしてならない。

 穂村さんは、シンパシー(共感)よりワンダー(驚異)を掲げる歌人。初期の作品にはこんな歌がある。

 <サバンナの象のうんこよ聞いてくれだるいせつないこわいさみしい>

 最もわかり合えそうにない対象に向かって直接表現でたたみかけ、孤独感をにじませる。共感との距離が絶妙だ。トークの後、「共感より驚異」の思想について尋ねた。

 「共感は、うすうす知っている現象をはっきり言われて安心すること。つまり現状を強化する働きがある。個人としては心地よく、社会としては変動の可能性が減る。でもワンダーは、世界の覆りの可能性を示唆し、新しい価値観の存在を予期させる。個人にとっても社会にとっても、一種の危険物でしょう」

 話は短詩型文学の持つ多義性や京大俳句事件にも及んだ。生活や社会を詠む新興俳句運動の拠点「京大俳句」のメンバーが一斉検挙されたこの事件について、穂村さんは「SFみたいな話だけれど、ある意味うらやましいくらいに『厚遇』されていた」と皮肉を込める。共感が支配的な今の時代は「どんなに危険なことを書いても、何の力もないと思われているのでしょう」

 京大俳句事件については今春、文化面の連載「KENPOU考」で記事にした。極めて短い表現に目くじらを立てて言論弾圧した愚かな権力。そうした思いから「わずか17音の表現すら許されない時代があった」と書き始めたが、たった17音に宿る多義性のうちにこそ「危険」が潜む、そのことを権力は正確に見抜いていたのだろう。

 同事件を研究する川名大さんに取材した時、「弾圧されても仕方ない」とあっさり言われたことを思い出す。記事から落としたこの言葉に、権力が「正当に」恐れた短歌や俳句の力が示唆されていた。

 「沖縄の新聞はつぶせ」「放送電波を止める」。あからさまな言論封殺の動きが加速するが、標的は散文にとどまる。まだ気付かれていない。韻文が隠し持つ抵抗のやいばが、残された希望と思いたい。

[京都新聞 2016年9月21日掲載]

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