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ウトロ土地問題 根深く残る差別の解消を

南部支社 今口規子
約30年にわたって立ち退き問題に揺れたウトロ地区。在日韓国・朝鮮人の住民らが移り住む公的住宅の建設が進んでいる(宇治市伊勢田町)
約30年にわたって立ち退き問題に揺れたウトロ地区。在日韓国・朝鮮人の住民らが移り住む公的住宅の建設が進んでいる(宇治市伊勢田町)

 「実名で掲載はしないでください」。昨年末に朝刊社会面で連載した企画「安住の地 ウトロ」の開始直前、在日3世の男性から連絡があった。落ち着いた、しかし厳しい声だった。「ウトロは良く思われていない。世間は、厳しい。子どもに私と同じ思いをさせることになる」。根深く残る差別を恐れ、そう言わざるを得ない現状に、言葉がなかった。

 彼の家への思いや人生を隣人として記録したい。匿名になるが、幻となった原稿の骨子をつづる。

 男性は宇治市伊勢田町ウトロ地区で生まれ育った。祖父は戦時中、飛行場建設に従事するため移り住んだ韓国・朝鮮人の一人。男性が幼少のころに暮らしたのは作業員宿舎を改装した長屋。壁の隙間からネズミが入り込み走り回っていた。

 小学校の頃、いじめを受けた。「死ね」と暴言を吐かれたこともある。孤独だった。「いじけるより、明るく努力しよう。見返してやろう」。そう決心し、勉強やスポーツにこつこつと取り組んだ。

 新しい家が建ったのは高校生の時。憧れの屋根瓦、玄関は吹き抜け。「日本人のような瓦屋根の家に母を住まわせる」。父の夢を知ったのは随分後だった。卒業後、東京の専門学校に入学した。家業を継ぐように言われ、宇治市内に戻った。早朝や深夜、休日の工事、どぶ掃除など、他の業者がやりたがらない仕事を率先して受注し、父とともに建設会社を育て上げた。

 逆境をはね返す力はウトロで身につけた。「それが僕のバックボーン。努力すれば人は認めてくれる」

 30年近く前、土地所有者から立ち退きを迫られ、男性の家族を含む住民たちは土地問題にほんろうされた。昨年6月、住民が移り住む公的住宅建設に向けて工事が始まり、住民たちが苦労して建てた家々は取り壊されていっている。

 国内外からの寄付で購入した土地の上に公的住宅が建つ。男性は「奇跡のよう」と語る。けれど、彼には消えない「なぜ」がある。

 日本国籍を約10年前に取得した。「韓国人としての誇りは心の中にある。でも韓国籍では就職で差別を受け、生きにくい。子や孫のためにもと思った」。激しい言葉で憎しみをむき出しにするヘイトスピーチについて尋ねた時、それまで明快に答えていた男性が「人間として許したらあかんことなのに。なぜ日本人に韓国、朝鮮人をさげすむ気持ちが根強くあるのか、本当に分からない」といつまでも答えを探していた。

 ウトロ地区の土地問題が解決したのは確かだ。数年後にはまちの姿は大きく変わり、いずれ今の住民や子孫はほとんどいなくなっていく。

 その一方で、私たちの社会はどう変わったのだろう。在日3世の男性が私たちに突きつける問いは、何も変わらず重く残ったままだ。

[京都新聞 2017年1月18日掲載]

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