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児童詩投稿誌「きりん」の魅力 ひらがなで捉える感性

文化部 樺山聡
1950年代の児童投稿誌「きりん」。表紙も子どもの描いた絵を掲載することが多かった
1950年代の児童投稿誌「きりん」。表紙も子どもの描いた絵を掲載することが多かった

 『きりん』という投稿誌が、かつてあった。戦後すぐに大阪で創刊された。子どもの詩や絵がほとんどを占める珍しい雑誌だった。たとえば「ぼくのした」と題する詩。

 ぼくのした
 「うごけっ」っと、
 ぼくがめいれいしたときは
 うごいたあとだ。
 ぼくのしたをぼくよりさきに、
 うごかすのは、
 なにや。  
 (1954年4月号)

 作者は石川県に住む当時5歳。みずみずしい感覚。この詩に出合った徳正寺(京都市下京区富小路通四条下ル)の僧侶、扉野良人さん(46)は引き込まれた。「見たまま感じたままをストレートにすくい取った感性の発露と呼べば良いのか。感性の鉱脈を掘り当てた気がした」

 次は「字」という題の詩。北海道の小学3年生の作。

 ぼくが本を読んでいたら
 つばが、本にかかった。
 「お」の字だけがとびだしてきた。
 (54年2月号)

 『きりん』と扉野さんの出合いは10年ほど前。寺町通に面した古書店で店先の段ボールに入った数冊を見つけ、購入。来歴を調べ始めた。

 『きりん』は48年、毎日新聞大阪本社の学芸部員だった井上靖の提案で「日本で一番美しい子どもの本をつくろう」と発刊。編集実務は浮田要三と星芳郎という青年2人が大阪のバラックで当たった。40ページほどの小さな月刊誌で62年に東京の出版社に引き継がれ、71年に廃刊した。編集に携わった小説家の足立巻一は著書『詩のアルバム』(理論社)で「こんなにつづいた子どもの詩の雑誌は、日本ではじめてである」と書いた。

 京都の子どもたちの詩もたくさん載っている。

 中でも富有小(現・御所南小)には西田秀雄という美術教育に熱心な先生がおり、足立は同書で『きりん』を強く支えた小学校として挙げている。寺町の古書店に出したのは卒業生だろうか。

 『きりん』の魅力は、大人と子どもを区別しないことにあると思う。掲載詩に付く詩人、竹中郁の評には作品をほめる際に「手柄」という言葉がよく使われた。扉野さんは「大人が教育するという立場ではなく、同じ目線で、世界をつかみ取るおもしろさを楽しんでいる」と感心する。

 忘れられかけていた言葉をよみがえらせるため、扉野さんは11月末、徳正寺で開いた朗読会で聴衆を前に『きりん』の詩をいくつか読んだ。女性2人組の「かりきりん」はウッドベースに乗せて詩を歌った。子どもたちの言葉に新たな命が吹き込まれ、宙を舞って、広がった。

 掲載作の中には戦争の影が差すものもあるが、戦後の出発点で産声を上げた『きりん』の詩はどれも古びていないどころか、どこかこわばった今の空気に触れて輝きは増すように思う。

 ひらがなで世界を捉える。戦後70年以上が過ぎ、誰もが通った幼い頃の感じ方はどこに行ったと『きりん』は問いかけているのかもしれない。

[京都新聞 2017年12月13日掲載]

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