千年の歴史を持つ京都には、たくさんの風雅で奥深い文化があります。和菓子もそのひとつです。食べておいしく、見て美しく、その背後には豊かな歴史や人々の暮らしが息づいています。さまざまな菓子舗を切り口に、京都の歴史や文化、街の表情を探っていきます。
今回のお菓子

<お店>粟餅所・澤屋 京都市上京区今小路通御前西入紙屋川町838−7(北野天満宮前西入南側) TEL:075(461)4517 <菓子>粟餅

北野天満宮。毎月25日は天神さんでにぎわう
 近づいてきた春の気配。いよいよ梅の花が見頃を迎える。京都の梅の名所の代表格は北野天満宮。菅原道真の愛した高雅な花は春寒の京の街によく似合う。

粟餅を詰めるご主人。餅を手早く丸めて左側の桶で餡をかぶせ、右側の桶で黄粉をまぶす
 天満宮の大鳥居は今出川通に面して立つ。周辺はみやげなどを売る店でにぎわうが、京都の人たちの間でとりわけ人気なのが澤屋の粟餅。黄色い粟の餅にこし餡ときな粉をまぶしたあっさりとした菓子である。澤屋は江戸時代から続く老舗。創業は天和2年(1682)とするが、それより50年ほど前に発行された俳諧の作法書で、諸国の名産などを載せた「毛吹草」に、すでに山城名物として「北野粟餅」が紹介されている。現在の当主・森藤與八郎さんで12代目。

《できたてが一番》

つきたての粟餅。しっとりした黄色が魅惑的
 古風な店内に入ると入り口にカエデ材の台。内側に大きな樽が3つ並ぶ。手前の小さな樽には搗(つ)きたての黄色い粟餅が、そして隣の大きな樽2つにこし餡ときな粉がそれぞれ入っている。店の戸を開けて「ひとつください」と注文すると、その場でご主人が餅をまるめ、こし餡ときな粉をたっぷりつけて手早く箱に詰めてくれる。ただし、一番おいしいのはとにかく搗きたて。店内でも食べられるので、時間があれば腰掛けて、お茶と一緒にいただくのがいいだろう。

粟餅1人前。餡ときな粉がたっぷりかけられる
 1人前は餡餅が3つ、きな粉餅が2つの計5つ。出された瞬間は「ちょっと多いかな」と思うが、そんなことはない。粟餅はしっとりとやわらかく、米の餅より軽いので、思ったよりずっとあっさり食べられる。「最初は半分持ち帰っていいですかとお尋ねになる方も、たいていは結局全部お召し上がりになります」と森藤さん。たしかにそののどごしのよさ、すべるようにお腹に入る感覚は絶妙で「逆にお代わりする方もあります」というのもうなずける。

 餡の餅は丸く、きな粉の餅は細長い。これは、きな粉はつけてもこぼれてしまうので、すこしでもたくさんつくように表面積を広くしたのだという。そのご主人の気持ちをあらわすかのように、きな粉餅には餅の形が埋もれるくらいに、たっぷりのきな粉がまぶしてある。

澤屋の店内。つややかなカエデの木の机が落ち着く
 芯になる粟餅は作り置きはせず、必要な分を少しずつ搗く。400〜500個分を小一時間かけて搗く。お客が多いと日に何度も搗くことになる。毎月25日の天満宮の縁日(天神さん)には、親戚なども手伝いに来て、朝から1日中搗き続けるという。持ち帰りのお客には必ず今日中に食べてと頼む。遠方への発送や出店も無理。たしかにこの風味とやわらかさは「生き物」。作り置きというのは不可能だろう。つるりと心地よいのどごしは、天神さんにお参りしなければ味わえない。

《原料確保の苦労も》

今出川通に面した店構え。「阿王(あわ)餅」の看板がゆかしい
 昨今は原料の粟の確保が大変だという。栽培農家が激減したからである。米ならば大部分を機械でこなす精製過程が、粟は栽培量が少ないためすべて手作業。おかげで作り手が減ってしまい、かつては「庶民の食べ物」だった粟も、いまではむしろ高値の品。ひと昔前までは隣の滋賀県などでも作っていたが、いまは四国や九州の農家から取り寄せるのだという。

北野天満宮の紅梅。かすかに高雅な香りが流れる
 受験期など、全国から参詣客のある北野天満宮。澤屋の粟餅もすっかり有名になったが、朝、雨戸をはずして開店準備をしている店先に、近所の人が早々と顔をのぞかせ、「寒いですなあ」と言いながら餅が丸められるのを待っている、そんな様子を見るとやはりこの土地とともに生きる店なのだと感じられる。

 かつては店の前の道路がなかったために、鳥居のすぐそばまで店舗が広がっていたそうだ。いまはむしろこじんまりとした店構えだが、「阿王(あわ)餅」と書かれた看板がさりげなく歴史の風格をにじませる。毎月25日の縁日には、大きな粟の鏡餅を天満宮に供えるのだという。


これまでに紹介したお店
塩芳軒  ・とらや ・鶴屋吉信 ・いなりや ・俵屋吉富 ・末富 ・御洲濱司・植村義次 ・鶴屋弦月 ・芳治軒 ・鶴屋寿 ・先斗町駿河屋 ・一和 ・菱屋 ・おせきもち ・川端道喜 ・水田玉雲堂 ・老松 ・桂飴本家 養老亭 ・能登掾 稲房安兼