千年の歴史を持つ京都には、たくさんの風雅で奥深い文化があります。和菓子もそのひとつです。食べておいしく、見て美しく、その背後には豊かな歴史や人々の暮らしが息づいています。さまざまな菓子舗を切り口に、京都の歴史や文化、街の表情を探っていきます。
今回のお菓子

<お店>桂飴本家 養老亭 京都市西京区桂朝日町64 TEL:075(381)3261 <菓子>かつらあめ

桂離宮そばの神社。新緑が目にあざやかだ
「養老亭」の店構え。桂の街道に面した小さな造り
 京都の西、桂の地。嵐山から桂川の清流を下ってきた広々と静かなこの一帯は、平安京が開かれた当時から、景勝地・保養地として王朝貴族に愛されてきた。江戸時代に入り、八条宮智仁親王がこの地に「瓜畠のかろき茶や」と呼ぶ別業を造営する。のちの桂離宮である。王朝の造園美と簡素な書院造の対比の妙が、ドイツ人建築家ブルーノ・タウトに激賞され、日本建築の粋のひとつとして世界的に知られるようになった。この桂離宮のすぐそばに、「かつらあめ」と呼ぶ素朴な麦芽糖の飴を作り続けている家がある。「桂飴本家 養老亭」である。

《琥珀にも通じる美しさ》

 透き通った淡い茶色の、小石のような飴である。きらきらして、琥珀のかたまりのようにも見える。大きくごろごろとして、表面はさらっとした手ざわり。普通の飴のようにべたつくこともない。飾りのない半透明の色といい、ランダムな多角形の姿といい、「飴の原型」をみる思いがする。由来は古代の神宮皇后にまでさかのぼるというが、たしかに神話時代に同じものがあってもふしぎではないように思う。発掘された古墳から見つかる勾玉や、正倉院宝物に見られる古代ガラスのような、派手ではないが何かを秘めた、「深い」美しさが感じられる。

 
「かつらあめ」。飾りのないごろごろっとした姿が貴石のように美しい
口に入れるとほんのりとうまみが広がる。甘味というより、こくのある「うまみ」。これが麦芽糖の味である。米やとうもろこしなどの穀類を蒸し、その湯の中に麦芽(大麦の芽をすりつぶしたもの)を入れて一晩おくと、夜の間に穀類のでんぷんが麦芽糖に変わる。これをたいて、しぼって濾過したものが麦芽糖の飴である。そのままなら水飴になり、固めると写真のような飴ができる。味はほのかで、しつこさがなく、いつまでなめていても飽きがこない。

《起源は古代?》

「かつらあめ」。体から毒物を取り去り、滋養を与えてくれるという
 神宮皇后の時代、大臣武内宿弥(たけのうちのすくね)の娘で桂姫と呼ばれる女人が皇后の傍に仕えていたが、皇后が皇子(のちの応神天皇)を出産すると、手作りの飴で養育した。その後、桂姫は山城の国・桂の地を皇子の葆地としてたまわり、その地で飴の製法を伝えた。これが「桂の飴」の起こりであるという。中世、このあたりに住んで、桂川の鮎と飴とを都の人びとに売り歩いた女性を「桂女(かつらめ)」と呼んだ。短い着物に頭を白布で包む(「桂包」)独特の装束は、いまも時代祭の行列などで見ることができる。彼女たちは助産婦として都の女性のお産にも立ち会ったが、その発生や安産信仰も神宮皇后に由来するのだという。

 「あめ」の呼び名は、飴という食べ物に、天が万物を育成し、雨が草木を潤すのと同じ効果があるからだという。主成分が穀物だけというこの麦芽糖の飴には、体の中から毒素を取り去り、養分を与える力があるという。養老亭の売る固形の飴には「常饌(じょうせん)飴」の名がつけられている。常饌とは「常の食べ物」。「体に良く、毎日食べても大丈夫、という意味で名付けられたのでは」と「養老亭」の主人・遠山隆夫さんは話す。

《さまざまな歴史を織り込んで》

寛政10年の古文書。桂離宮出入りの所以などを記したもの
由緒書に捺していた判。菊の御紋と「桂御所 御用御飴所」の文字が
 遠山さんの先祖がこの地で飴を作り始めたのは江戸時代初期にさかのぼる。遠山氏はもとは美濃苗木城の城主だったのが、明暦年間(1655〜57)ごろにこの地に来て、飴作りを始めたらしい。なぜ飴屋となったのかは定かではないが、中部地方や北陸地方などでは古くから飴が作られているため、その地で身につけた製法と、桂の地に伝わっていた製法とを融合して作り始めたのではないかと遠山さんは見ている。以後、代々「飴屋理兵衛」と名乗り、この地で商売を続けてきた。現在の隆夫さんが12代目にあたる。

 由緒書には「元桂御所 御用御飴所」と記されている。元桂御所とは桂離宮のこと。代々この場所で飴を作り、宮家に献上してきたのである。遠山家では代替わりごとに、桂御所の「御用御あめ商」である旨を文書にし、代官に提出してきた。かつては店の入り口に菊の御紋をかかげていたが、幕末、武士が飴を買いに来た場合、勤王の志士であれば必ず菊の御紋に拝礼して食べ、逆に幕府方だと、腰の刀を見せて「長いのと短いのとどっちがいいか(大刀か小刀か)」と脅しつけ、代金も払わず帰っていったという。

 古代の皇子を育てたという優しい味の「かつらあめ」。決して目立つ店ではないが、こうした素朴な菓子に深い歴史があり、それが街のかたすみでいまもひっそり売られている、そのことに京都文化の奥深さを感じる。前述の幕末のエピソードを話してくれたのは隆夫さんの母・寿栄さん(96)で、寿栄さんはこうした話をさらに、安政年間生まれのおばあさんからずいぶんいろいろと聞かされたのだという。

これまでに紹介したお店
塩芳軒  ・とらや ・鶴屋吉信 ・いなりや ・俵屋吉富 ・粟餅所・澤屋 ・末富 ・御洲濱司・植村義次 ・鶴屋弦月 ・芳治軒 ・鶴屋寿 ・先斗町駿河屋 ・一和 ・菱屋 ・おせきもち ・川端道喜 ・水田玉雲堂 ・老松 ・能登掾 稲房安兼