Kyoto Shimbun 1997.10.22 第3部 意匠の挑戦

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分業の良さ生かせず

 明治初期の町家を改装した店舗のショーウインドーを振り袖や小紋が飾る。値札はすべて仕立て上がりのセット価格。ブティック感覚で気軽にのぞける雰囲気は、呉服屋につきものだった「敷居が高い」とのイメージとはいささか違う。

 昨夏、京都市下京区に開店した「京のきもの屋」。ベンチャーで知られる婦人服販売会社「イタリヤード」が親会社だ。低迷が続く和装業界にアパレル企業が進出するのは珍しいが、「ビジネスチャンスは十分。だって京都のどこに初心者向けに着物を売る店がありますか」。北村陽次郎社長の言葉は明快だ。

   金彩友禅で独自技術を確立した和田光正さん
   (京都市上京区)            

 販売方法も型破り。ゆかたブームの成熟から、今夏は男性向けのおしゃれ着として麻製の縮(ちぢみ)を色柄違いで30種類もそろえた。多くの在庫を抱える危険も伴うが、北村社長は「大量仕入れは価格を安く抑えるため。市場開拓にリスクははつきものだ」と平然と言ってのける。

 高度成長期以降、幾度となく指摘されてきた「きもの離れ」も今や当たり前の感になった。背景には暮らしの洋風化や価格の問題が横たわっているが、時代に合った商品開発が十分でないことも大きな原因だ。

 もともと和装業界は、買い手と作り手の距離が離れている。西陣織の流通構造を見ても、メーカーがつくった帯を「産地問屋」が引き取り、室町にある「前売り問屋」に卸す。そこから地方問屋や百貨店に出荷する複雑な仕組みだ。図案や糸染め、織り、仕上げなど工程の分業化も多岐にわたっている。

 女性を取り巻く環境変化への対応の遅れは、この業界の市場調査の不足を物語っている。晩婚化で20代後半の独身女性が急増しているのに、振り袖の多くは20歳前を対象に作られている。「和服を着たくても着るものがない、という声に業界が気付かなかった」と染呉服メーカー「京朋」の大江茂社長は反省する。

 最近になって、そで丈が振り袖と訪問着の中間の「振り小袖」を扱う業者が増えたが、「これほど市場の動きに鈍感な業界も珍しい」と業界幹部は話す。

和装ニーズに遅れ

 かつて和装の世界では悉皆(しっかい)屋が総合プロデューサー役を務めていた。商品企画や図案の発注、20近い工程すべてに目を配り、時には販売まで関わった。織元や染匠など製造卸業者も、最先端の流行や消費者の好みを取り入れながら、自らの感性でビロード地の友禅着物などざん新な作品を生んできた。

 「昔の染匠は芸術に造けいの深い文化人が多く、着物づくりに自己主張があった。最近は会社経営が忙しく、デザインも加工もまかせきりが目立つ」。金彩友禅作家の和田光正さんは嘆く。

 プロデューサー役がいない現在、和田さんのように染織作家が自ら工房を抱えるケースが増えた。「でも分業の良さが本当に生かせるのは総合プロデューサーがいればこそ」と和田さんは言う。

 伝統的な技術やデザインを生かし、70年代から世界のファッションを席けんしているイタリアの染織産業も各工程の分業化が強みだ。その秘けつを岡本義行法政大教授(企業経営論)は「情報収集から図案、素材、縫製、仕上げまで全体を見通すプロデューサー役の存在が大きい」と指摘する。

 同様に、世界屈指の技術と繊細な美意識を兼ね備える京都の染織業界。変化の激しい時代だからこそ、かつてのような調整機能が求められている。



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