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父の開いた世界を自在に
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作品「風景99」(幅90cm×奥行90cm×高さ150cm) |
176cm、95kg。巨漢なのに、威圧感がない。はずかしそうな笑顔。おっとりした話ぶり。細身のシャキシャキした父親とは、対照的だ。
京都未生流の副家元。初代華岳、雙鶴、司頌についで四代目に当たる。生まれたときからいけばなのなかで育ち、何の抵抗もなく、今、この世界にいる。
「おじいちゃんもしたはったし、父も。家を継ぐとか家業がいやだとか、全然意識になくて。二人の仕事を見て、へえ、こんなことが出来る、うわーっ、面白い、言うてるうちに」
父の司頌とは、スタート時点から、まるで違う。美術不要の国策から、最初に学徒動員のかかった美工の学生だった司頌は、軍需工場で旋盤作業と行軍に明け暮れ、戦後は、古典の枠を超えて異素材による前衛いけばな運動に身を投じる一方、花一筋の雙鶴に反抗して、彫刻、映像に首を突っ込み、マルチいけばなの世界を築いた。
戦ういけばなを生きた父親に対して、司は素材においても作品においても、壁がなかった。父親の切り開いた世界でのびのびと自由に創ることができた。
未生流伝承の竹 壮大な造形に
この10年余、竹に熱中している。竹は、明治十六年の創流以来、蓮(はす)、こおり柳と並んで京都未生流の伝承花材だ。代々は幼いときから、竹の水揚げ、枝の撓(た)め、葉の扱いをたたき込まれる。ことに水揚げは一子相伝の技だ。
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豊国廟330段の石段を舞台にした作品「風景99 領域 上り下り」 |
「さあ、小学校に入ったころかなあ。初めて竹を切りに行ったのは。竹は夜明けに切るんです。真っ暗ななかでガサガサいう音とピシピシいう音が混じり合って。気持ち悪いんですよ。こわくて、父から離れられずにじっとしてました。長いこと竹やぶがこわかった。竹がきれいやと思うようになったのは、高校出てから。昼間竹やぶに行って、雲から太陽の光がもれて、それを下から見上げたときの、葉のきれいさ、すがすがしさ…」
武蔵野にホタルが乱舞するような大作「風景92―9 方と円」、竹の直線と曲線を組み合わせた枳殼邸の庭での「風景98―5 花いかだ」…竹を細く割って弓状にしなわせた作品群は、ビデオと竹を接合するとい司頌の剛に対して柔。おおらかな空間構成と繊細さが見事に調和している。今年五月、芸術祭典・京に入選した、東山・豊国廟330段の石段に幅5cmの竹二百本を使った壮大な造形「風景99―5 領域 上り下り」は、その頂点だ。
外で発表する作品に花を使うことはほとんどない。いけばなか、という人がいる。「造形作家のように無から有を生み出すのでなく、植物という有から有を生み出すという点で、やっぱりいけばななんです。それにとってひっつけたような花はいらんと思います」
飽きるまで竹を、と思っている。
(編集委員 林 恭子)
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